映画ライター今昔物語

(本原稿は文を紡ぎ編む人たちの Advent Calendar 2022 に参加しています。)
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 映画評論家というのは今も昔も試写を見に行ってその評を書くごく地味な仕事である。映画会社の中にある試写室で、公開の数ヶ月前からはじまる「マスコミ向け試写」というのは業界関係者だけが参入できる秘儀、業界の既得権益にして映画評論家の特権なわけで、それをもって羨まれることも多い。まあ人より早く、金を払わずに映画を見られることはありがたいと思ってますんで、特権と言われるのも仕方ないだろう。映画についていろいろ文句を言うことは多いんだけど、「映画を見られて嬉しい」という思いをなくしてしまったら映画評論家はおしまいだと思っている。

 パンデミック時代、オンライン試写という便利なものが登場して、もっぱら自宅で配信されるものを見ることが多くなった。たいへん便利ではあるのだが、どうもこういうのに慣れ過ぎるとよろしくないのではないかと思わざるを得ない。ややもすると映画館で映画を見るのを忘れがちになるからだ。どんなに映画が変わっても、その出口が映画館であることだけは変わらない。

 そんなささやかなことで暮らしをたてている映画評論家だが、ずっとそうだったわけではない。かつては、映画料金の1900円を払わないで映画を見られることを特権とか言ってるのはこの貧乏になってしまった令和の日本の話であって、かつての日本はもっと豊かだった。映画界ももっとずっと豊かだった。あのころは本当に美味しい仕事というのもあったのだ。今日はそういうお話。

 このことをわかってもらうためには、まずプレス・ジャンケットというものについて説明しなければならない。知っての通り、広いアメリカには全国紙というものがない。各都市にローカルの新聞やテレビ局がある。その中で、たとえばニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった新聞が全国紙的な地位を獲得しているというわけである。各地の新聞やテレビにはそれぞれのローカルな評論家がいる。ニューヨークならヴィンセント・キャンビーやポーリン・ケイル、シカゴならロジャー・エバートといった具合。新作が公開されるとなれば、当然映画会社は監督やスターをそうした評論家たちにインタビューさせたい。だが、全米各地をプレス・ツアーとしてスターを連れまわすというのは金がかかりすぎる。ならば評論家をまとめてLAに呼び集め、そこでまとめてインタビューさせればいい。これがプレス・ジャンケットである。評論家や映画記者といった面々を、アゴアシつきで集めて、そこにスターを連れてきてグループ・インタビューをさせる。それでもスターを連れ回すよりは安いという計算なのである。

 で、これを日本からやろうというわけだ。

 前世紀、いまだ日本のプレゼンスが大きかったころの話である(中国ではなく、日本での興行成績こそが問題だった時代)。航空料金も安かったから、日本からジャーナリストを連れていっても、インタビューによって雑誌のページが取れれば元が取れる。インタビューを宣伝費として換算するのにもまた怪しい計算があるのだが、そこは本題ではないので深入りはしない。ともかく、そういう計算で、日本からジャーナリストをアメリカまで連れていっても元が取れる、ということになっていた時代があったのだ。

 ぼくなどは映画業界では端役中の端役だったので、世界中を華麗に飛びまわるような活躍はできない。それでも毎月のようにLAに通い、LA在住の友達に「LAの子より頻繁に会ってるじゃないか!」と笑われたこともあるくらいだ。今から思うと夢のようだが、それだけ雑誌メディアに力があった時代だったのである。

 記者たちは「ドメスティック」と「レスト・オブ・ザ・ワールド」に分けられ、それぞれでジャンケットが組まれる。LAに飛び、ホテルにチェックインすると現地の試写室で映画を見て、翌日ホテルの一室で監督やらを囲んでインタビューという手順である。ぼくらは「レスト・オブ・ザ・ワールド」に入れられるのだが、この分類にMLBをワールドシリーズと呼んでしまうようなアメリカ人特有の思い上がりを感じてしまう。ジャンケット開催地はLAとはかぎらない。「レスト・オブ・ザ・ワールド」ならばヨーロッパのジャーナリストが中心になるわけで、それならヨーロッパで開催するほうがいいだろう。恐ろしいことに、そうやって何度も開催されるジャケットに行くうちにジャーナリスト同士顔なじみになっていたりする。「××のジャケットは行く?」「興味ないけど、今度のやつはロンドンだから行こうかな」みたいな会話が交わされるのを聞いたときはさすがに呆れた。プレス・ジャンケットの世界を舞台にデイヴィッド・ロッジの『小さな世界』みたいな小説が書けそうだなあ、と構想を練っていたこともある。映画薀蓄もたっぷり盛りこんで。どうかな?

 残念ながらこれはすべて過去の話となった。洋画配給のプレゼンスが小さくなったこととか、日本経済の縮小とか、まあいろいろ理由はあるのだろうが。まあ洋画配給がバブルだったころの一時代に一瞬だけ成り立った夢物語ということかな。

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