一年半ぶりの心持ちの記録、コロナの次の「災害」を見据えたメモ 22/08/16
2020年の初回の緊急事態宣言の間、自分としての封城日記として書いたメモ群(https://note.com/garmy/m/m65a6183d586e)を終えた後、定期的に振り返ってもよいかと思いつつ書くタイミングを逸していたが、書くぞ、と思ったので1年半振りに書く心持ちの記録。
これを書いていたら、「積極的な忘却過程」どころか、本気で「臭いものに蓋をする」つもりで岸田文雄が日本を動かすことにしたことが分かったので、とりいそぎ上梓。
先に結論として:これから自分はどうありたいのか
東日本大震災の時に1週間くらいパニックになっていて、後に「同じような災害が起こったときには、もっとよい向き合い方をしよう(自分と自分のその時点の家族は守れるようにしよう)」と思っていた自分は、どうだったか。
エネルギー危機に対する備えはできた(その時は2年でしようと思ったが結局10年かかったが)。パニックにならずに済んだかというと、最初から2-3年の長期戦を覚悟してここまでこれたので悪くはなかったのだろうし、最初に捉えた、病気としてのコロナ像は概ね正しかった。世の中が流れていくのに流されるままであった11年前と比べれば、もう少し世の中がどう動くと理想的なのかを考えて動く振りぐらいは出来ただろう。家族を守れたかというと、結局はしのぎきれなかった、なんとか生きているがそれは言い訳に過ぎない。
そして、今回もまた「救われない人」が沢山生まれてしまった…
今回の一連のコロナ危機を踏まえて、改めて、世の中には賢い人が隠れていて動いてくれることが分かった(西浦先生、忽那先生、が二大巨頭。Twitterをする中では萩野先生が伴走する位置を走り続けてくださっていたのが感謝、↓でやり取りして以降、ずっと拝読しております…)。
しかし、なんちゃって専門家の中には半可通も多く、途中から足を引っ張る発信が増えたひとも多かった。
世の中を変えていくのがミッションのはずの行政機構の中のひとは「SF的な未来を創造しながら手元で使える技術・政策は全て活かしきって未来を作り出す」能力はほとんど持ち合わせていなかったし、口だけ出して手を出さない目立ちたがり屋も沢山いたし、何よりもアカンのは政治家とメディアで大半の意思決定と世論誘導はお粗末な限りであったと思う。
あと、専門家・有名人・政治家問わず、闇に飲まれていったのが沢山。沢山…
そうしたときに、「しっかり向き合って、正確に像を捉えて、あるべき姿を考えて、少しでもいいから動いてみる」だけでは、やはり不足で、普段から行政官を育てておかないといけないし、自分が不得意なところをカバーしてくれる仲間は必要だし、自分が手を動かさなくても物事が動くようなディレクションもできないといけないし、「変わっていくことがよいことだ」というプロパガンダもできないといけないし、そういうときに安心してすぐ動けるように自分の土台はしっかり、本業は半分の力でも動かせないといけないし、子供は早く独り立ちできるように…
そう考えると、様々な顔を使い分けるようなリスクヘッジはあまり得策ではなく、差し障りがあることでも、しっかりと「実名の自分」でも話をしていかねば、この半分匿名アカでこういう自分語りをするのは最後になるようにせねば、と考えるに至ったのでした。
そして、上記を実現できていたら、きっとそれは、世の中をよくするような広い意味でのプロジェクトマネジメント業をやれるようになっていることなのだと思います。だから、真面目に、プロジェクトマネジメント業をしていきたい。
あ、宇宙クラスタ関連のネタとか娯楽のネタは引き続きこのアカウントです。そうしないと宇宙クラスタには伝わらないから。あのひとだ、ってのが…
結局、この1年半で世の中はどう変わったのか
2022年冒頭までは比較的「賢い」動きを出来ていたが、基本的には「リスクに鈍感」な方向に世の中がシフト。感染者数が最後に爆増。
日本はなんだかんだいって、国内でも、リスクに過敏すぎる派と、リスクに鈍感過ぎる派のせめぎ合いの中で中庸を取って「賢い」動きを出来ていた。ワクチン接種率高いとか、マスクを着けてるとか。
しかし、典型的なサラリーマン社長ムーブをかます(意思決定・決断は何も下さないが、ポストを派閥に配る内閣改造みたいな組織内で重要な儀式だけはそつなくこなす)岸田文雄首相になってから、「警戒を解いてもよいように受け止められる」方針発令が下されるようになり、ベースが「リスクに鈍感派」に移りつつある。
マスクもだいぶ儀式化してきたので「暑ければ外では外してよい」の条件抜きにマスク外す人もだいぶ出てきたり、かなり風化は激しくなっている。
とはいえ、コロナ前に比べれば遙かに清潔な世界ではあるのだが…
幸いにも、無残に感染者数を爆増させていることまでは可視化できているが、それを可視化しない方向に政府は動いている。
まだ「賢い」動きだった時代の状況把握の仕組みが残っているが故に「無残に感染者数を爆増させている」状況が可視化されている
しかし、「数だけ数えて何になるのだ」という知事会の恨み節(なんとなんと、あの賢い熊谷・千葉県知事すら全数把握叩きをしたのだ!)が力を持ち始めて、「なにも把握しない」方向に流れつつある
2020/05/25の見通しの正誤表のその後、のその後
結局、執拗な猜疑心をもってコロナに接し続けたのは中国と北朝鮮だけ、大半の国は「積極的な忘却過程」に入っており、日本も乗り遅れまいとし始めた、というのが現状のように思える。
結局「ポリコレ棒」レベルのポリコレというのは、形式にすぐ陥って廃れるということが明らかになったし、感染が非常に拡大した結果、大半のひとは「感染=卑しい」という差別はしなくなった…
当時は「ポリコレ棒も意味のある習慣になるのでは」と思って↑のようなことを考えたのだが、結局、娯楽のupdateは途中でとまり、何割かは「元に戻る」こととなったのだなぁと…
冒頭の「積極的な忘却過程」の結果、繋がっていないのが日本と中国だけ、という状況になっているものの、世界が繋がった結果ウイルスの欧州選抜組・インド選抜組みたいなのがしょっちゅう来襲するという、とてもじゃないけれど平穏とは思えない「見通しの良さが潰えた」世界になったなぁ…
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