なにが新生活だ

新たにここに住む。暮らしていく。
そう実感して少し泣いた。

いまだ“立たされている”という感覚。
思い通りであるはずがない。
それでも、何とか手繰り続けた結果の今だ。
開かれすぎた魅えない明日を前に、
閉ざしてしまった見栄ない夢を傍らに、
ぐらぐら、ゆらゆらと。


いつだってどうしたって生かされる。
私は今日からここで生活をはじめるのだ。
有り難い。悲しい。怖い。信じたい。
明日を愛せないけど、希望だと思いたい。


憂き憂きである。
ああ嫌だ嫌だ、私はただ古文の小テストしていた頃に戻りたい。学校から帰ってNHKを見てた時期に戻りたい。英単語書きまくってこれ意味あるのかなって思いたいだけだ。


東京に来なくても満たされていたかった。
別に東京に来たからといって、しんどい事ばかりだけれど。
だけど確かに、ここでしか叶わなかったことがある。少なくとも、ずっと思ってた「どこかに行きたい」という欲は無くなったように思う。いい事では無いのかもしれないが、ずっと楽になった。



意味がわからない。
生きている意味がわからない。
そんなこと思ってるなんて知ったら悲しむ人がいるだろうか。いてくれるだろうか。
時々過激に、時々冷静にそう思ってしまう。これを病気と言われたらきっと安心する。


意味がないこと、社会は曖昧なこと、人は矛盾していること、揺るがない幸せなどないこと。
安心は続かない。だから、私はいつまでも救いを求める。求めることができる。
自分や他人、世界の不幸をダシにして楽しんでいる。
そんなことずっとわかっている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?