遺書代わりコラム その2

生きるのも大変だが、死ぬのも大変だ。

調理という行為の重大性に気づかない人は幸せだ。そういう人は人生を通してちゃんと調理されたものを食べてきたのであって、エサを食ったことがないと思われるからである。つまり、この世の食べ物はすべてちゃんと調理されていると思っていて、ときにエサがあることを知らない。これほど幸せなことがあるだろうか。美味いものを、そうと知らずに食べる人こそが本当の幸福の持ち主だ。

知ること、自由であること、権利を持つこと、力があること。これらは一般に望ましいことと考えられており、実際にそれらを持っていることは概して望ましいが、自分がそれらを持っていると意識することは決して幸せではない。知ることは知らぬということだ。自由は自分を縛る首輪と鎖を認めることである。権利は自らが奴隷であることの証でしかない。力に頼る人のなんとさみしいことか。それらは理想だ。理想はそれを理想だと認識した瞬間に堕落して、見たくもない現実の写し鏡となる。

幸せなどいらない。欲しがってはいけない。幸せはそこにあれば良い。幸せが何なのかを考える必要はない。考えれば幸せは朽ちて腐れる。では幸せがそこにない人はどうすれば良いのか?幸せを求め、幸せを究めようとする人はどうすれば良い?マァ、諦めるが良い。われわれに幸せは手に入らない。ご存知でしょうに。

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