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九段下、20周年の夏の魔法 / UNISON SQUARE GARDEN「さよならサマータイムマシン」 【Gotanの音市場 #2】 ライブレポ2024 #2

長くなってしまったので結論を先に話す。
この記事は、「『さよならサマータイムマシン』という曲は、田淵が2015年のfun time 724の開催に対する葛藤を描いた曲ではないか」という見解を綴ったものである。
20周年の武道館公演のレポートも合わせてお楽しみにいただけると幸いです。


「ロックバンドは楽しい」

2024年、7月24日、20年のロックバンドが結実した九段下。
お祭り騒ぎのような3日間。
全てが夢のようで、でも現実的に「ロックバンドは楽しい」を体現し、幸せを噛みしめた3日間。

九段下はじまりの言葉は「敬具、結んでくれ 僕たちが正しくなくても」

ロックバンドは「正しいか、正しくないか」ではない。
自分たちが好きな音楽をやり続ける、ただそれだけ。
こういう盛り上がり方が正しい、とかこんな風に声を上げるのがいいとか、そういうのは興味がない。
全力で自分たちの方法で、音楽を楽しむ。
それを20年貫いて、ここ九段下でもそれを突き通した。

メジャーデビューをしてから、自分たちの音楽を貫き通すのはすごく難しいことだと思う。事務所やプロになるということはお金が発生するわけだし、ビジネスとして成り立たないと意味がなくなる。
だが私自身、「メジャーデビューしてから音楽の方向性が変わった」「一発売れた曲と似た曲しか書かなくなった」という言葉に対して疑念を抱いていた。
元々音楽なんて自分が表現したいものを表現して、自分が楽しめれば十分ではないか、と思う人である。芸術に制限を設けるなんて、短距離走で腕振って走ったら反則って言っているようなもんだと思ってる(極端かもしれないが)。
ただユニゾンは、これだけタイアップ等でお金が発生していても、ずっと自分たちの音楽を貫き通し、尚且つ求められているものを表現できる、こんなバンドが他にいるのか・・・と感じていた。

この形で20年やり続けるのは相当難しいことだと思う。
ただの一般人である私には計り知れないくらい大きな心のわだかまりを持って、それでも20年突き進んできたんだと思う。
ロックバンドを続ける意義について散々悩んだと思う。
過去のブログでも散々「ライブでの楽しみ方」「ポップスのスタイルに対する疑念」を取り上げて、世の中に対する音楽の楽しみ方に常に向き合っていた。
傍から見ればそんな風には見えないが、あのMCを聴いてどれくらい大きな葛藤を抱えていたのか少しでも見当がついた気がした。

「辛くなって、ばれないように後ろを向いたら君がいた」
「こう見えて励まされ続けながら活動できているバンド」
いつもは面と向かって多くは語らないバンドだからこそ、あの時の言葉の重みは特別なものに感じた。本当にこの「20周年での武道館」に全てを捧げ、自分たちの貫き通した音楽を信じている結果が存分に伝わってきた。

さて、振り返ればユニゾンはデビューして20年の月日が経っていて、私はユニゾンと出会い10年くらい、追いかけ続けて5年以上の月日が経っていた。
今年に入って特大発表が発信され、夏の暑さが垣間見えた20周年目前、ずっと聴いていた曲があった。
さよならサマータイムマシンである。

私は基本的にメロディーや曲が心地よく、言葉とテンポが良いという理由で好きになることが多い。この曲が好きになった理由もそれである。
だから普段は歌詞をじっくり読むことはしないし、何ならカラオケに行って初めて何を歌っているのかがわかることがほとんどだ。

しかしこの曲は歌詞が私を形成するバイブルのようなものとなっており、読みながら聴く場面が多くあった。
7月24日のROCK BAND is funの後、この曲を改めて聞いてみると、先述したような葛藤がはっきりと伏線となっているのではないか、と考えた箇所があった。

当時抱えていた「葛藤」とは

ユニゾンの武道館は今回を含め2回目(2024年の3Daysを1回と数える)である。1回目は2015年7月24日に行われた「fun time 724」である。
私はこの時ユニゾン名前を知ったくらいで、且つ中学生でライブに行くという習慣がなかった。そのため、当時メンバーがどのような心境でこのライブに望んでいたのかわからなかった。

そこで田淵のブログを読み返す。この武道館について言及しているのは2014年12月16日のブログである。

2015年7月24日、一つ大きな節目を迎えることになる。
口に出すのも憚られるくらい、僕にとっては大事すぎる場所である。
でかいからとか、沢山客が入るからとか、そういう意味ではない。聖地という言葉もどうも形骸化してるように思えてならない。
あそこはもっと違う何かを試される場所なのだ。
_
色々な考え方があると思う。
だからこの発言も許されて欲しいのだけど。
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やはりまだ、早い。
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まだ10年だ。そんな期間で作れたものがどれだけあるだろうか。君に与えられたものがどれだけあるだろうか。
そしてそれが君の中から無くならない保証がどこにあるだろうか。
届きたい景色に果たしてどれくらいの時間がかかるかはわからないが、なんにせよ僕にとってはやはりまだ早いのだ。

僕の中でタイムトラベルが起こっている感覚だ。
あそこで何を体現すべきか、さっぱりわかってない。
だから、今現在はなんのイメージもない。

小生田淵がよく喋る2014年12月 / https://unison-s-g.com/blog/?page=3&category=tabuchi

この時武道館でライブをするということに対しての葛藤を綴っていた。
武道館でライブを行うにはかなり敷居が高く、数年以上も前から会場を取るために様々な工程を踏まなければいけないそうだ。
様々な審査を経て、開催日については抽選で決まる。特定の開催日で行うにはもう何年も前から準備を進めていなければいけないそうだ。(参考:https://dailyportalz.jp/kiji/how-to-do-live-performance-at-Nippon-Budokan

大抵のアーティストは、有名曲やある程度の知名度を得たタイミングで、武道館公演を行うことがほとんどである。ある意味「音楽の聖地」「売れたという成功体験」として選ばれる場所である。
しかし田淵はそんな武道館を「口に出すのも憚られるくらい、僕にとっては大事すぎる場所」「聖地という言葉もどうも形骸化してるように思えてならない」と表現している。

田淵は「pillowsの20周年ライブを見て『20周年になったら武道館でライブをする』と決めた」と話している。武道館についてはpillowsの20周年記念公演を見て「あれ以外の使い方をしちゃいけない会場だろう」と表現していた。それほど田淵にとって武道館は大切な場所だった。そのため、10周年の記念の時に武道館公演を行うことを渋っていた。
そこから来ているのか、この9年前の武道館について、ブログで語っているのは上記の1回だけで、今回のように「君に見に来てほしい」とは言っていない。20周年ほどみんな来てくれ、というよりかはとりあえず何気ないお祝いをします、というテンション感である。ブログ内でも「遠足」と表現している。

ここで、2012年発売のシングル「流星のスコール」に収録されているカップリング曲、「さよならサマータイムマシン」の出だしを見てみる。

境界線一歩前で自問自答をサイコロで占う
最高なカーニバルは、未然 事前さえ無いあまりに 僕は気づけない

さよならサマータイムマシン

今回の20周年ライブは約5年前から準備を始めていた。結成日など特定の日に開催するには少し時間をかけて行わなければいけない。
2015年の武道館公演の3年前、この曲が発表されたのには何か意味があるのではないかと考えた。

まず出だしの「境界線一歩前で自問自答をサイコロで占う」
この部分に、2014年の10周年という境界線を前に、2015年の武道館公演について葛藤が表現されているのではないか?と考察した。
当時オリオンをなぞるがヒットし、世に名前が知れ渡ってきたタイミングで、10周年という節目を迎えようとしていた。一般的なアーティスト(?)だとこのタイミングで武道館公演を行いたいという欲望や、事務所側からの提案があるのは予想がつく。

しかし田淵は「武道館は20周年になってから」という強い信念がある(お酒は二十歳になってから、みたいになってしまった)。
もしかしたら、このタイミングで武道館の話が入ってきたのだろう。周りはこのタイミングでの武道館公演に前向きだが、自分はそうでない。このタイミングで行えば自分自身のやりたいこと、美学が崩れることになる・・・。だが周りの期待に応えるとなると、ここでの開催を踏み切るしかないのか。
この葛藤を「自問自答をサイコロで占う」と表現していると感じた。もうサイコロでの占いのように、この考えが結果どう転ぶのか、運任せにする方が良いのではないか、と。
そして次の「最高なカーニバル」を「武道館公演」という世間では一種の成功体験に置き換えると、ブログでも話していた武道館公演に対する心境とリンクする。「あそこで何を体現すべきか、さっぱりわかってない。だから、今現在はなんのイメージもない。」というように10周年で武道館に立つという未然さ、事前準備やイメージがないため、最高なカーニバルがどんなものか気づけない。と解釈できた。

「サマータイムマシン」とは

田淵は武道館公演に対し「タイムトラベルが起こっている」という表現をしている。まだまだ武道館で公演できるほどの器やそんな美学は持ってないし、20周年になってこそ行うものだと思っていた。しかし10周年の節目に行うことが決まりそうで、10年ほどのタイムトラベルが起こった。

もういいかい 世界の仕組みがほら壊れ始める
待つだけじゃ損だよなあ
溢れた願いから飛んでいくようだ 時間の向こうへ

1サビ

20周年という節目で武道館を行う。
「もういいかい」と問いかけているのは20周年の時に待つ君(自分)だと解釈すると、10周年で武道館を行うのは見当違いで自分の思い描いている「世界の仕組みが壊れ始める」と捉えることが出来るのではないだろうか。
でも、もう目の前に武道館の話が来ている。ここから10年待つのは「損」であると呟く。20周年で武道館公演をするという溢れた願いから10周年のへ飛んで行くようで、もどかしさを感じられた。

ぶっちゃけこの時代、バンドを辞めたかった時期なのではと感じた。もがいてもがいて、それでも10年先にいる「君」にたどり着くまでは歩みを辞めない。あの時に見たpillowsの武道館ライブのように、自分も旅に出る。

歪んだ蜃気楼
余りにも無情なエンディングロール
君がこの世界から切り離されて
最後の旅に出る
さよならこの記憶だけはもう 消さないように
未来にかくれんぼ
もういいかい まだだよと
言われても止められないから 君にたどり着くまで
明日へ行く夏の魔法は、もう無い 鼓動の向こうへ

ラスサビ

20周年の武道館まで突き進みたい。未来に溶け込んだ君に「まだだ」と言われてもそこにたどり着くまで止まらない。でも、10周年での記憶も消さないように心にとめておきたい。ここにも並々ならぬ20周年への思いが綴られていると感じた。

このように、「タイムマシン」と題しているだけあって時間を飛び越えるような表現が散見される。特に自分が刺さったのは次の箇所である。

遠すぎた心 届かなくて霧隠れ
近すぎてアンバランス 立ち行かなくなってリプレイ

さよならサマータイムマシン 2番

この部分は私が一番好きな個所である。人間関係における自分なりの美学となっている。しかしここにも、武道館公演に対する葛藤が生まれているのではないか。
遠すぎた心=20周年まで武道館は行わないという自分の考え➡届かなくて霧隠れ
近すぎてアンバランス=10周年で武道館公演を行うことはアンバランスである➡立ち行かなくなってリプレイ

近すぎる武道館公演に対し「アンバランス」と表現して公演に対する気持ちを表している。このままでは自分が20周年の時に思い描いている理想像とは違ってくる。現実と理想のバランスが崩れてしまう。タイムトラベルを起こしてどうにかならないのか。そんな立ち行かない現実に立たされても、君のところまで進まなければいけない。

そんな周りの期待と、自分が思い描いているロックバンド像の乖離から、この表現が生まれたと思っている。

この「サマータイムマシン」という名前と同じ映画が2005年に上映されている。田淵が実際にこれを見て題材にしたのかは分からないが、題名とそのままリンクしているところから、何かしら触れていたのではと考え、あらすじだけ見てみた。

四国の地方大学を舞台に、SF研究会の学生たちが夏休み中に突如出現したタイムマシンを使って「昨日」(2005年8月19日)と「今日」(8月20日)を行き来する物語。エアコンのリモコン故障をきっかけに始まったタイムトラベルは、未来(2030年)からやってきた部員・田村の登場でさらに複雑化する。過去への干渉による宇宙消滅の危機を回避しようと奔走する中で、カッパ伝説の起源や恋愛関係にも思わぬ影響を与えていく。学生たちの行動が過去の出来事を引き起こし、それがまた彼らの行動の原因となるという閉じたループが形成され、最終的にすべての出来事が円環のように繋がり、パラドックスが解消される。

Wikipediaからの引用▶Claude 3.5 Sonnetを利用し再構成

タイムトラベルを行うことにより過去を変え、思わぬ事態を引き起こしたが、最終的に全てが円環のように繋がり、パラドックスが解消される。
今までやってきたことというのは、過去の自分がやった事が引き金となって形成している。それをどうにか変えようとすると、思わぬ影響を及ぼす。
田淵は昔に思い描いたことを成し遂げるために日々取り組んできた。しかしそれが10年早く違う形になって成し遂げられようとしている。10後の自分が過去を変えにやってきたかのように、夏のタイムマシンに乗ってやってきたかのように。
全ては今に繋がってくるのだから、そんなタイムマシンに乗って過去を変えて行きたくない。自分は、自分がやりたいことをしたいのだ。「さよならサマータイムマシン」という題名にはこんな思いがあったのだろうか。

春が来てぼくら

20周年の武道館に話を戻す。
田淵のMCのあと、「春が来てぼくら」が演奏された。
ポップスとしての最高傑作として世にドロップしたが、世界は変わらなかった。そんな変わらない世界がつまんなかった。
それでも、振り向けば君がいた。着いてきてとは思わなかったけど着いて来てる君がいた。
「間違ってないはずの未来へ向かう」
「ちゃんとこの足が選んだ答えだから 見守ってて」
このMC▶春が来てぼくらこそが、田淵の最大限の感謝を表していると受け取った。

10周年の時は「君がかっこいいと思うバンドはかっこいいから安心して」と言った。ただそれが最大限のUNISON SQUARE GARDENなのだろうか。「言いたいことがあったがまだ言うのはやめておく」と言って終わった10周年とは違い、20周年では「我々には才能があった」と言い放った。
どんなに間違っていようと、どんなタイムトラベル起ころうと、UNISON SQUARE GARDENは「才能があった」。自信を持って言い放った。

「あの夏を置き去りにした思いはどこへ続く?」と葛藤した12年前。あれから、時系列的に20周年の武道館について動き始めたとされる2018年に「間違ってないはずの未来へ向かう」と歌う。1回目の武道館の葛藤から、胸張って20周年へ向かうことが出来る準備は出来ていた。

「才能があった」「振り向けば君がいた」と伝えたあとの「春が来てぼくら」。そこにはこれまで培ってきたことが「正しかった」ことの証明と、ここまで着いてきてくれた「君」に「悲しい想いはさせない方へ」導くからこれからも見守っててという宣言があった。この時、このバンドはほんとにずっと続いていく、そのための推す才能が自分にあると強く感じた。

「夏の魔法」がなくなったあの日から9年、未来へ進む季節である「春が来て」ぼくらは進んでいく。

さよならサマータイムマシン

ここまでを振り返ると、「さよならサマータイムマシン」がB-side公演を皮切りに一切歌わなくなった理由が分かる。武道館で歌うか?と思ったがこれまでの歴史を振り返るとこの曲は20周年に相応しくない。それでも、この曲はユニゾンを描く上で大事な「絵の具」であり、「色」を形成していると言える。20周年の九段下で見せた彼らは、こんな葛藤を持ち合わせ、辛さ、もどかしさを兼ね備えた上で、それでも着いてきてくれた「君」の為に、自分たちの音楽を貫き通した証明だ。

「才能があった」MC、オンドラムスの「薪」に見立てたファンへの思い、励まされながらもついてきてくれた「君」の気持ちを代弁したギターボーカル。表立って伝える機会は少ないが、誰よりも私たちのことを考えている。10年前の公演に対する葛藤から、自信をもって君に届けられる、武道館で自分の好きな音楽を体現できた。そんな歴史的瞬間を目の当たりにした。

もう、君を追いかけるためのタイムマシンはいらない。
もう、過去に戻って事実を曲げる必要は無い。何故ならこの武道館3日間で、私の世界は虹色に染まり変わったのだから。

本当に、20周年おめでとうございます!

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