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名前に秘められた使命

どこを目指すか

久しぶりにキャリアカウンセリングを受けた。
組織で働くか、フリーランスでやるのか迷ったからだ。
「あなたが、組織において目指したいものは何ですか」
… エ?は?私がどうありたいか、じゃなくて、組織で目指したいこと???
いやもう、カウンセラーさんに申し訳ないほど何も浮かんでこない。
脳内に吹き抜ける、砂嵐。ザー…
”人と話すことが好きだから、個人で開業するより人の中にいる方がいい”
そういう理由じゃダメみたいだ。
荒野を目指します、と言いかけて、あわてて口をつぐんだけれど。
誰もいない心の荒野で、もう一度ゆっくり考えたほうがいいな、と思った。

なにを目指すか

「迷ったときは、自分の名前がヒントになる」
誰から聞いたか忘れたが、親からもらった名前には、自分の使命が隠されて
いるという。
”園子”って名前、子どもの頃は好きじゃなかった。
子どものイメージできる”園”は幼稚園や公園だ。画数が多くて書きにくいし、音の響きも地味。
園の子って、どういう子なんだろう。

園=庭

幼稚園も公園も、人が集う場所だ。いろいろな人が、自由に、楽しく過ごすところ。でも、さりげなく誰かの手が入っていて、手入れされた木々や草花に癒される場所。
私は大自然より、里山や庭がすき。安心する。
そうか。私はそういう場所にいたいし、そういう場所を作りたいのか。
きっと、そうだ。

荒れ野に小さな庭園をつくる

ベンチャー企業でバックオフィス業務をしていたことを思い出す。
ベンチャーは無いものだらけ。人もいないしルールもユルい。
つくりながら改良することの繰り返し。
手を入れ続けないと、その場所は良くならない。

そうか、私は組織の中で庭師みたいなことをしていたのか。
小さなシャベルを持って、硬い土を掘っては植えていたんだ。
そういうのは、嫌いじゃない。

雇い主が、いい人なら、その人のために庭を作るのも悪くない。
いい雇い主が見つからなければ、自分で庭を作ろう。
荒れ野に可能性を感じて、小さな庭をつくる。
そういうことが、私の使命なのかもしれない。

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