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狂わない生き物

ずいぶん昔に観た、BBCだかナショジオだかのプテラノドンCG再現ムービーみたいなやつをたまに思い出す。
(プテラノドンじゃなかったかもしれないが、翼竜的なやつなのでとりあえずプテラノドンということにしておく。)

そのムービでは老いた雄のプテラノドンを主人公に据え、彼らがどのようにして空を飛んでいたのか、何を食べ、誰に食べられていたか、彼らの生活史が当時の"最新の研究では"に基づいて描かれる。
プテラノドンはアホウドリのようにどこかの島に集団で渡って繁殖していたかもしれないという想定のもと、物語終盤、主人公の所属する群れが海の彼方の島を目指して旅立つ様子が描かれると共に、主人公はこれまで交尾に成功したことがなく、年齢的にもこれが最後の機会になるであろうことが、ナレーションで示唆される。
老いた主人公は速く高く飛ぶことができず、それでも必死に、海中から飛び出す捕食者を躱し、群れに縋り、やがて島に辿り着くが、しかし(やはり)今回も交配相手が見つからぬまま、周囲を埋め尽くすカップルの隙間で、ひっそりと息を引き取る。

なんでそんなおはなしするの!かわいそうでしょ!童貞ぼくが!というのが鑑賞当時の率直な感想ではあるが、以来折に触れ思い出す程度に、印象深い物語ではあった。

いつ頃からか、独身で40歳を過ぎると気が狂う、という説を見かけるようになった。仮に人間ならそうなるとして、他の動物ではどうなのだろう。あの老いたプテラノドンは、狂ってたのだろうか。
若者の集団婚前旅行に混ざりたがる高齢童貞は確かに狂っているようには見えるが、それは人間の尺度でのことだ。若く魅力あるプテラノドンたちの眼には、彼は狂った個体と映ったのだろうか。

その点、鮭はいい。
群れは基本的に全員妙齢の童貞と処女だけで構成されてる。
そこでも雄があぶれることはもちろんあるが、横槍BUKKAKEイベントも有るため、わずかながらも生殖機会がある。
なにより交尾したら全員死亡。あぶれ雄ももれなく死亡。
これなら狂う余地はないだろう。

なお、鮭の横槍BUKKAKEイベントは女装にて行われる。
交尾の前には雄同士の熾烈な争いがあるのだが、そこで負けた雄は雌の体色に変化するという。
雄は他の雄を排除する、つまり雄を狙って攻撃してくるわけだから、雌を装うことで他の雄からの攻撃を回避できる。なお雌は雌で、弱い雄の接近を警戒しているのだが、負け雄は体色が雌化することで雌の警戒をすり抜けて接近できる、というわけだ。

老いたプテラノドンの行動も、鮭の女装BUKKAKEも、遺伝子を残すためのいじましいまでの努力の表れである。
しかしプテラノドンは滅び、鮭は現在も生き永らえているという事実は、「女装&辻射精」の有効性を示す証左にほかならない。
そして現在、これと同様の行動を人類は身につけつつある。

人類の女装界隈を観察すれば、そこには性自認によるものだけではなく、男性的な性欲に基づいた女装者も存在する。これを加味すれば、女装の背景には交配機会獲得への抗いがたい本能的欲求に基づくものがあることは否定できない。
また、性自認は客観的に証明する手段がないままに、社会問題として弱者救済の文脈で語られる。
男が女湯に侵入する行為は性欲に基づいたものであり、大抵の場合逮捕である。しかし、性自認を利用しやすい風潮は、すでに醸成されている。
鮭の女装行動は、なんとかして遺伝子を残そうとする、生物としての努力と工夫である。
女性から求められない男性を取り巻く状況が、彼らを女装による繁殖機会の獲得へと駆り立てたとしても不思議ではない。
近年話題のちんちん付き自認女性は、人類がこの形質を先鋭化させる途上にあることを示すものだ。

本能に従う度合いが大きくなれば、理性の度合いは低下する。それは傍目に、狂気と映ることもある。
狂ったようにしか見えない、繁殖機会への飽くなき挑戦者。
すべての生物がそうであり、人類もまた、そうなのだ。

恋人たちの褥に狂った中年男性が乱入するのが当たり前の社会、そういう生物。
そこに到達したとき、人類はあらたな種としての一歩を踏み出すのだ。