ツイステからみるイデオロギー

※特定のキャラクター・寮をおとしめる意図はありません。

※PS未履修のキャラクターがいます。


 ツイステの倫理観って時々不思議に思いません?

 ハーツラビュルの厳格な精神だっていうけれど、さすがにリドルが母親から受けてる仕打ちって虐待じゃない? 

 サバナクローの不屈の精神だっていうけれど、レオナがオバブロしたのって謎すぎでは? そもそも世襲の王政が根強い獣人の国ってなに? 

 オクタヴィネルの出身地がガチの海でなおかつ人魚ってどういうこっちゃねん??? っていうか、アズールの契約書が全部パーになっちゃったのってバランス悪くない?

 とかね、なんか普通にわかんなくないですか。

 でもこれ、考えてみるとそれぞれの寮ごとで、規則も世界感も倫理感も全然ちがうからあたりまえのことなんですよね。

(まぁ元ネタからして違うので当然といえば当然なんですが、そこから逸脱しているキャラクターが一人いるのは後述します。)

 レオナの怠惰さとか、ラギーのずる賢さは絶対にハーツラビュルでは受け入れられないだろうし、逆もそう。そうやって、寮ごとで許される/許されないラインが異なっているんですよ。っていうその世界感とか倫理観ってなんなんだ? みたいなのを強引に分類分けできないかな~って思って書きました。

 つまりはパワープレイの文章なのでいろいろとそぎ落としてます。あと、元ネタにもほとんど触れてないです。念のための注意事項です。


ハーツラビュル

 では、ハーツラビュルから見ていきましょう。

 ハーツラビュルはわりと一般家庭の雰囲気がありますね。上下関係もフラットですけれど、先輩/後輩の区切りは明確で、一番現代の学校生活の雰囲気に近いと思います。

 彼らは必ず家族との確執が描かれているんですよね。特に2、3年生。

 リドルが最たるものですが、リドルの母親とトレイの関係もヤバイし、ケイトに関してはマジでなんかアレ(式典服……)。そんな感じで、特に特殊な設定のない家族観が描かれている中でのストーリーを見ると、あれは『家』という閉鎖空間の中で抑圧されていた自己が、自己の確立に至るまでの話だな、ということがよくわかると思います。2、3年生と相対する1年生組がそれほど家庭内に不和を抱えていないところをみてもそう。

 これを分類分けするなら、近代的自我に芽生えた個人が社会(家族)とぶつかり合うあたりになるのかな~ 王道ですね。

 問題はサバナクローと、オクタヴィネルと、スカラビアですね~


サバナクロー

 サバナクローは完全に動物社会を模した階級社会です。ライオンが世襲の王族で、ハイエナは貧困層。(狼は不明)たぶんそういう社会階層も生まれ持った『種族』で決まっちゃいそうな雰囲気すらある。そして第一王子は確定的に王様になって、第二王子は継承権すら与えられない世界。

 なんかもうここだけ切り取られても、「えっ」っていうくらいわりと身近ではない話だと思います。そりゃあ、世界には王政を敷いている国だってあるだろうし、王権争いで揉めたりもするのかもしれないけれど、いまいち想像つかない…。

 で、二章のストーリーを見ていくと、たしかにレオナは抑圧されているようです。けれど、それが例えば兄との確執か? といわれるとそういうわけではなさそう。王様になりたい。けれどもなれない。みたいなところで苦しんでいるようですが、おそらくそれは王族の制度的な問題ですね。

 けれどもそれは同時にサバナクロー全体の問題にもなるわけで、ジャック以外のサバナクロー寮生は、大会でライバル寮の選手を怪我することに加担していたようです。(リドルに1、2年生が反抗したりしていたハーツラビュルとはまた違う雰囲気ですね。まぁ被害が自分に向くか、他者に向くか、という差異も大きいと思いますが)

 でもまぁ当然なんですよ。サバナクローで描かれているのは、封建的な社会制度を模している中世なので。絶対王政、絶対君主。その制度をそもそも壊そう/逸脱しよう、とすることすら考えられない世界です。個人という概念すら産まれていない世界。

 で、そんな封建主義的なサバナクローをぶっこわすのが、近代的国家・家族観を持ち得たハーツラビュル+個人を確立しているジャック、なんですよね。

(余談ですが、ジャック、面白いキャラクターですよね。彼はものすごく「個人」というものを強調されているキャラクターの割に、なぜか上下関係(特にヴィルに対して)は厳しい、という不思議な立ち位置にいると思います。本編だと個人主義を掲げているのに、PSとかイベントシナリオだと上下関係がでてくるの、あれってPSやイベストでは彼もどこかしらに所属しなければいけなくなるからだと思いますね。だから形式的に『サバナクローの1年生』だったり『ヴィルの幼なじみ』みたいな記号を与えられているんじゃないのかな。本編だと所属しなくてもいいので……。)

 っていう図式までは考えられたはいいものを、正直二章の話全体があまりにもよくわからなすぎて困っています。二章、どういう話なのかいまいち分類分けできてないですね……わからねぇ……。二章がわからない……。そのうちなにかしら考えたら書きます。

 

オクタヴィネル

 で、次はオクタヴィネルですね。

 オクタヴィネルは海という閉鎖的空間だとしても、稚魚がめちゃくちゃ死んだりするし、わりとがっつりした虐めがあったりするし、何なんでしょうね。すくなくとも、サバナクローのように種族による世襲的な社会階級というのはなさそうです。ウツボもタコも同じ学校にいるし。まぁ、王様はいるっぽいですが。

 強いて言うなら、あそこの寮は全体的にアズールを社長にした会社経営の形に近いな、って思います。みんな労働しているし。労働力つねに求められているので。

 で、三章の話ですが、これはわかりやすく資本主義の崩壊を描いています。具体的に言うと、貨幣価値を支えているものは何で、経済を回すものはなにか? という話ですね。

 答えを言うと、それは信用です。

 だって、貨幣について考えると、お札とかただの紙にインクが乗っているだけじゃないですか。コインだってそう。ただの金属のかたまりに、図式が鋳造されてるだけ。あれらの貨幣自体になにかしらの価値があるわけではなくて、1万円札が1万円札として使えるのは、「これが1万円分の価値があるもの」として銀行とか国が保証しているからなんですよね。そしてその保証を、使う人たちが信じているから、あれは1万円の価値があるわけです。

 たとえば、めちゃくちゃな金持ちが1万円札を1兆円分もってきて、「これぜ~んぶ1円で売ります!」みたいなことをやったら、普通に1万円札の価値が暴落しますよね。そんなになった1万円札なんて、1円の価値になっちゃうんですよ。

 っていうのを、アズールは黄金の契約書でやられたんですね。

 本来だったらただの紙切れである契約書に、魔法を用いたトリックでさもものすごい価値のある素晴らしい黄金の契約書に見立てているところが面白いです。なおかつ、あれは、普通だったら交換不可能なものさえ交換可能にしてしまえる、というところも貨幣の持つ魔法と近いものがあると思います。(このあたりはそのうち別にまとめたいです)

 この視点から言うと、三章はよくできたシナリオですね。具体的に言うと、貨幣の信用は幻想であって、そんな幻想を共有できず、信用関係を築いていない者(サバナクローですね)からすればそれはもうただの紙切れと同然である、というのが露骨にわかってしまいますね。中世の人間に現代の綺麗な紙切れを見せたって、それが「金貨と同一の価値があるもの」だなんて絶対に共有できないじゃん? という。

 したがって、三章では資本家たるアズールが、信用を持ち得ないサバナクローによってその資本をボロボロにされるという話です。いや~怖いですね。


スカラビア

 では、スカラビアを見ます。

 スカラビアは主従二人の関係に絞りますけれど、あそこは完全にサバナクローとはちがったタイプの階級社会が作られています。種族も異ならない同じ人間なのに、普通にガッツリ主人と従者の階級がある社会。そしてそれを支えているのは、金です。しかも、もう、ものすっっっっごいお金です。

 でも、じゃあ、カリムが寮長として寮生からめちゃくちゃ信用されているのは金のためなのか? と言われればそうではないんですよ。カリムはカリム自身の人柄によって、寮生から慕われているんですね。それはきちんとエピソードでもって補完されています。

 いや~お金もあって性格もいい。なにもかもが優れています。努力では補えないところを完全にもっているのがカリムです。うらやましいですね。こうして考えるとめちゃくちゃ強いな…カリム…。

 で、ジャミルです。

 ジャミルがやろうとしたのは、そんなカリムに向けられる寮生からの信頼を、自分に向けさせようとしたんですね。カリムを暴君に仕立て上げ、圧政を強いることによって、圧政に対する反逆者の旗頭として自分を立てようとしたわけです。革命ですね。ですがそもそもの問題として、ハーツラビュルのような暴君がいたわけでもないので革命は失敗に終わります。端的にいうと、オクタヴィネルがそのジャミルが築き上げた架空の信頼関係を全世界に暴いてしまうんですよね。

 そして四章が面白いところは、形的には『資本家にたいして反抗する労働者』という図式になるんですが、結局のところ徒党を組めない労働者は資本家には勝ち得ない、というところが明かになるところです。うわ、えぐいな。でも実際そうなので。

 結局、ジャミルは『カリム対ジャミル+スカラビア寮生』っていう図式にしたかったのに、アズールたちのせいで『カリム+スカラビア寮生対ジャミル』という形になってしまうんですよね。おっそろしい。アズールたちが象徴しているのが資本主義だとしても、それにしたって、金持ちは金持ちを助けるのか…みたいな気持ちになっちゃいますね。(あれ、アズールたちの気が変わってジャミルを助けていたルートも有り得たんだろうか、どうなんでしょう?)

 でも根本としてジャミルの問題とは、そういう暴君としてのカリムの存在ではなくて、自分の家庭環境に抑圧されているために本来の自己を表面に出せない、っていうところなんですよ。これは問題としてはリドルに近いですね。自分はイチゴタルトが好きなのに、イチゴタルトが好きだと母親に対して主張できない問題と同じです。

 だから分類分けをするならば、あれは確立した自己をどのように社会に適合させていくか? という一章に近い話でもあるし、あるいは、労働者が資本家に対抗するならちゃんと息を合わせてストライキしましょう、みたいな三章に近い話にもなるんですよね。(三章、言い方を変えれば労働者〈一年生たち+グリム〉が徒党を組んで資本家に対抗する話なので…)

 で、児童労働の話です。有名な話ですが「子ども」の概念が産まれたのってわりと最近の話なんですよ。具体的にいうと、中世から近代への転換期に産まれた概念なんですよね。それまでは、子どもは子どもではなくて、小さいだけの労働者の一人だったわけです。おそらく、現代から考えると小さい子どもを働かせるのは異常なんですが、ジャミルはわりと当たり前のようにたぶん給料をもらいながらカリムのため、ひいではアジーム家のために働いている感じがありますね。

 だから、たぶん、スカラビアの世界感ってすくなくとも近代ではないんでしょうね。おそらく中世あたり。子どもの権利とかって保証されていない時代っぽいですね。

 で、ここが不思議なんですけれど、中世あたりの世界感だとしたら、ジャミルは自己の確立に悩まないはずなんですよ。そもそも自己というものに苦しめられないので。レオナに対するラギーのような関係性に満足したっておかしくないんですね。けれども、ジャミルは表に出せない自分の能力だったり感情だったりというものの狭間で苦しんでいる。

 これはなぜか? 

 考えたんですが、たぶん学校に来たからではないでしょうか。おそらくそれまでも、ジャミルはカリムに勝ちを譲ってきたと思うんですよ。けれども多分、それが家族によってたしなめられたりしていた分ではマシだったんでしょうし、彼も押さえきれていたんでしょう。けれども家族という縛りもない学校で、均一の「生徒」として試験が授業で図られる場所において常に彼は敗北しつづけなければいけなかったんですね。これは恐ろしい。中世的世界にいた彼にとってはかなり屈辱的だったはずです。そして学校という場は、能力のある人間を褒め称える空間です。NRCでも、試験の結果は順位として張り出されたりしていますからね。点数付きで。競走し、そしてその競走で勝つことを念頭に置かれているわけです。

 という場所において、彼はだんだんと中世的世界からぬけだし、自己の確立に至っていったのでは? というのを思いました。つまり、中世から近代への個人の転換期でもあったんでしょうね。


なぜこんなにも違うのか?

 これらのこと、まぁ元ネタの時代背景を考えればわりと当然かも知れません。

 不思議の国のアリスはイギリスの中産階級が舞台ですし、ライオンキングはもろサバンナっていうファンタジーですしね。リトル・マーメイドは分かりにくいですが、多分近代でしょうか? アラジンはもろ中世っていう雰囲気がありますね。

 って思っていたら、各ディズニーの時代背景をまとめた記事がありました。

https://disneysnewgroove.tumblr.com/post/96002007962/disney-movies-in-order-of-historical-setting

 いや~こうしてみると、ああ、それぞれのキャラクターとか寮の価値観ってそれぞれの元ネタに沿っているんだな~ってなると思うんですけれど、ツイステ内で一人だけ逸脱しているキャラクターがいるんですよ。

 ヴィル・シェーンハイト、次の五章の寮長です。

 ちょっとね、ヴィルの価値観だけはずれています。

 そもそもとして、女性的な言葉で話し、ネイルをし(※1)、世界的なトップモデルをしている男性、というキャラクター造形だけでもかなり新しいキャラクターだと思います。そしてそういうキャラクターをさも当たり前のような顔をして出しているところがめちゃくちゃ強いですね。もうジェンダーとかマイノリティという価値観すら飛び越えている。現代の価値観ですらなく、おそらくポストモダンの先にいっていそうなキャラクター造形ですね。

(※1)6/29追記 ヴィル、ネイルしてなかったです。失礼しました。

 ガライベの時にびっくりしたんですが、ヴィルは、カリムだろうとレオナだろうとジャミルだろうとラギーだろうと、どのキャラに対しても、自分が確立した『美しさ』っていう価値基準でしか判断しないんですよね。そのキャラがもっている背景とか立場とか能力とかを一切考慮しません。すがすがしい。(運動の得意/不得意が現われていた豆イベとは大違いです)それが賞賛されるものであるのか、あるいは否定されるものであるのかはわかりませんが。

 白雪姫ってどう考えても1500年代~1800年代の話だと思うんですけれど、確定的にそんな中世とか近世じみた世界観をくりだすキャラクターだとはとても思えないですね~~~

 どうなるんだろ……? 

 楽しみですね。


6/29 追記
ヴィルの件だけ個人的に気に入らなかったというか、ガラのレオナSSRでのヴィルのキャラ解釈について含められてなかったな~~~~って思って書き加えるんですけれど、ヴィル、普通に、相手の背景とかは完全に無視するんですけれど、レオナの素のままのポージングとかを評価するあたり、個々が持つ美点とかっていうのはちゃんとわかってるのでは…? ってなってきました。

え、ヴィル、何……???こわ……。わかんねーーーーーーー五章の配信が待たれます。


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