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努力は裏切るが、夢中は裏切らない

2015年5月25日にロードバイクを購入してからの私の総走行距離は約49.400kmだ。週の平均で7時間半程度ロードバイクに乗っている。

自転車競技をやらない人にとっては年間約1万キロも自転車乗ると聞くとビックリされるが、実業団登録選手としては少ないと思う。周りの競技者に聞くと年間15.000km〜25.000kmは練習しているそう。(みんな仕事してる?)

私は根性なしなので、距離が伸びない理由がそこにもある。

苦しいとか辛いのがとても苦手なので、できるだけ楽に走りたい。

始めた頃は他人が沢山練習してるのを見ては気持ちを焦らせていたが、元五輪代表選手が「トレーニングは何を考えるかが重要であって、距離や時間を稼ぐ事は重要ではない」と教えてくれ、時間に制約がある自分にとってその考え方は都合よく、それからは練習もマインドもマイペースになった。

身体に負担をなるべくかけずに自転車を進ませる方法を色々と考えた。その中で得た気づきの一つで、わかりやすいのがこれ↓

よく言われる12時→3時の90度だけをアウタートップで踏んでみると自転車がググッと前に進む。次に3時→6時をアウタートップで踏んでみるが、全然進まない。ペダルの移動した角度は同じ90度なのに明らかに12時→3時の方が駆動力を感じることができる。

(物理や人体に詳しい方に説明して欲しい)


この様な事を考えながら仕事から帰り、子供たちが寝てから真っ暗な河川敷でレーザービームの様な大きなライトを点け、自分の身体が狙い通り動く様に集中しながら走る。

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すると力まず自転車が進む感触が起こる様になった。「感違いかな?」と思ったが、その感触の頻度が増えてきた。

良い感触はの時はリズムミカルで、まるで心地よい音楽に身体が揺らされている様な感覚になるが、路面の凸凹などでリズムが変わると元に戻ってしまう…

ひたすら負担なく駆動力を得られるポイントを探す→リズムのハマった瞬間の喜びを噛み締める。を繰り返すとどんどん頻度が高まってきた。

今まで生きてきてこんな風に自分の身体を動かせた事はなかったと思う。

過去いくつかのスポーツを自分なりには努力してみたが、頑張って辛い事をやってみても、かつてのヒーロー達には全く及ばなかった。

子供の頃に脚の速かった彼も、バスケ部でヒーローだった彼も、こんな風に身体を思い通りに動かす事を楽しんでいたんだろうか。三十路過ぎて初めて味わう運動の喜びである。

ややオタク気質のある自分としては違和感なかったが、今思うとこれは引きこもりに近い。いや。アウトドアなので外こもりと言うべきか?

何にせよとにかく夢中だった。

人からは「努力家だね」と言われたが、とにかく楽しい事をややワガママなくらいにやっているだけなので、それまで自分の思っていた努力と自分が今やっている事はかけ離れて感じていた。


夜の河川敷を1時間か2時間ほど走って帰り、翌朝仕事に出かけるが「次走る時はどういう風にしたら良いのか」と四六時中考え、また暗闇の河川敷でニヤニヤしながら走る日が続き、ある日からタイムと自分の感触の相関を意識する様になった。

良い感触の時はタイムも良い。

初めは50kmを何分で走れるかに挑戦していたが、いつの間にか100kmに伸びていた。

毎日走りたいが、仕事と家庭があるので時間を作る事ができない。

そもそも疲労が抜けずそーゆー時は良い感触もタイムも出ない。

ある程度回復し、フレッシュな身体で走るのが待ち遠しかった。

だんだんとどれくらい走るとどれくらい疲労するか何となく分かる様になったし、ある日100kmを目標としていた平均35km/h(2時間51分)で走れた。

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身体をコントロールする事に夢中だったおかげで自分センサーの感度が養われた結果だろう。




ロードバイクを買ってから総走行距離が25,000kmに達したころ、今までの人生には無かった優勝を数回経験し、実業団レース初参戦から3ヵ月でE3からE1に昇格。

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幼少期にやっていた水泳とサッカーでの努力は報われず、中学のバスケ部なんて途中から努力する事を投げ出した。

もし子供の頃に運動や勉強に対しての夢中を手に入れていたら人生が違っていたと思う。

なので親になった今、自分の子供達にはやらなくてはならない努力より、自発的にやりたくなるポジティブで楽しい夢中を探す手伝いをしてあげたいと思っている。

努力は間違った方向へ向かってしまう事もあるが、夢中になると良く考えるようになるので正しい方向へ向かっていける可能性が高いと私は思う。




ではまた来週。




















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