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タイタニックの置き土産

こんにちは。ブログの書き方がなかなか成長しないおのしゅんすけです。


さて。今日はタイタニックの置き土産という内容でやっていきます。よろしくお願いします。


世紀の海難事故

タイタニックは映画があまりにも有名なので皆さんご存知かと思いますが、タイタニック号という当時最新・最大の豪華客船が遭難した世紀の海難事故がありました。

映画ではどのような説明がされたかはわかりませんが(僕は見てないので)この事故はいろんな要因が絡み合った結果としての事故でした。

しかし、総じてその原因の根源は法整備が追いついていなかったことです。

船の世界の法律はタイタニックの事故の以前以後に分かれると言っても過言ではないかと思います。そこを細かく整理します。

SOSの存在

最初の無線通信が成功したのは1896年のことでその2年後には105km離れた海上の船舶と通信に成功しています。

これをきっかけに一気に実用化され、陸上よりもむしろ船舶のための通信手段として進化していきました。それに伴い無線装置を搭載した船舶が急激に増え続けました。

その一方で無線に関しての国際規約が存在しなかっため、混乱も生まれました。あらゆる周波数が使い放題だったので、無線士同士の雑談に使われていたことも珍しくなかったそうです。

そんな中、タイタニック号が海難事故を起こす処女航海に出たのが1912年のこと。当然、当時最新気鋭の豪華客船ですから最新の無線装置が搭載されていました。

実はタイタニック号の事故の数時間前、付近を航行していた小型客船から大浮氷原を発見したことが知らされていたそうです。

しかしタイタニック号の通信士は乗客の電報処理に追われ、この通報を無視してしまったそうです。これが海難事故の一因とされています。

そのためこうした混乱を是正するために1912年、ロンドンで開催された第2回無線通信会議ですべての船舶で相互に通信することが義務付けられました

実はこの会議でSOSが国際遭難信号として正式に採用されました。タイタニック号が遭難したのが4月のことで、この会議が行われたのは7月のことです。

タイタニック号の無線士はSOSが採用されることを知っていました。そのため、世界で一番最初にSOSを発信したのはタイタニック号なんですね。

しかし、当時、一般的に使われていた遭難信号はCQDでした。なので、タイタニックの無線士は最初にCQD、そのあとSOSを発信したそうです。

実はこのCQDもSOSも意味はなくて、打電しやすく聞き取りやすいモールス符号の組み合わせなんですね。そのため、周囲の船舶がタイタニック号からの遭難信号の聴取に遅れたことも事故の一因として指摘されています。

それもあってこの2年後にロンドンで採択されたSOLAS条約では、遭難信号の傍受と受信後の救助活動なども義務付けられました

このSOLAS条約ですが日本語で海上における人命の安全のための国際条約といい、このタイタニック号の事故をきっかけに作られた条約で現在でも安全運航のためのバイブルです。

無線以外にもこの条約に関係のあるタイタニック号の事故の一因を紹介します。続いてどうぞ。


救命ボート

タイタニックの事故では最大搭載人数の3500名のタイタニック号に約3分の1の人数分しか救命艇が設置されていなかった。これもまた事故の一因です。

そのため、先程のSOLAS条約に船舶には全員が乗船できるだけの救命艇を備え、航海中救命訓練を実施することと記されています。

客船のビッグイベントのひとつにライフボート・ドリルがあります。

平たくいえば避難訓練です。

乗船時に自分の乗る救命艇と集合場所が説明され、出港後24時間以内にライフボート・ドリルが行われます。

緊急放送があれば、すぐに自分のキャビン(客室)に戻り備え付けのライフジャケットを着用し、集合場所行かなければなりません。

この訓練のおかげで1999年のサンビスタの火災事故でも乗客全員が沈没までに救命艇に乗り移って無事だったという前例があります。ですからこの訓練は大事なものなのです。


タイタニック号が活躍したのはほんの一瞬ですが、残した遺産というものはとても大きいんですね。今度映画見てみます。それでは。

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