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客船の歴史の話 #3

客船を著しく進化させた『ブルーリボン競争』

こんにちは。前回挨拶を忘れていましたおのしゅんすけです。すいませんでした。

さて。前回、客船の発展を支えた2つの階級の話をして、そのうちひとつは「移民」だと書きました。

やがて、そのアメリカへの移民の増加が二十世紀前半の客船黄金時代をもたらしました。

北米大陸とヨーロッパをつなぐ北大西洋航路には多くの豪華客船が就航し、やがてはそのスピードを競うようになったそうです。

その競争を「ブルーリボン競争」と呼び、これに勝つことは無上の栄光であり、国家の威信につながると考えられていました。そのため、ヨーロッパ諸国ではより速く、より豪華で快適な客船の建造ラッシュが起こり、その記録は更新され続けました。


そして、「ブルーリボン競争」が激化の一途を辿っている頃、全世界大ヒットの映画で有名な『タイタニック』号が1912年、イギリスのホワイトスターラインによって建造され、北大西洋航路に就航します。しかし、『タイタニック』号はブルーリボン獲得には興味を示さず、快適さ、豪華さを重視した設計をされた客船でした。


しかしその結末はご存じのように、処女航海の途中、氷山に接触し沈没するという客船史に残る最悪の海難事故となります。


客船の豪華さを発展させた等級制度

当時は『タイタニック』を初めとしてほとんどの豪華客船には厳格な等級制度がありました。キャビン、レストランはもちろん、パブリックスペースまでもが等級制度が敷かれ、そのサービスにも天と地ほどの差があったといいます。

(写真は現在の客船の最高級キャビンです。)

裕福な上流階級の人間や成功を収めた金持ちが快適空間を独占し、移民などの貧困層は船倉に近い限られたスペースに詰め込まれていました。

そのため、多くの客船がこの富裕層を取り込むため豪華さを競い合うようになった。

中には4000人以上収容しながらも、そのほとんどが貧困層の三等船客だった客船も存在しました。

しかし、アメリカが移民制限を行ってからは以前のように大量に移住が出来なくなったため、劣悪な三等船室は姿を消しました。

その結果、現在のようにキャビンだけは料金で区分し、パブリックスペースは自由に行き来できるというスタイルに移行していきました。


黄金時代の幕引き

第二次世界大戦が終わった北大西洋では続々と客船の運航が再開していきました。

しかし、これを阻むのは急速に発達したジェット旅客機でした。なんせ、客船で1日かかるところを1時間で移動するのですから現在まで続くスピード社会において勝ち目はありません。

そうこうしてるうちに、1960年代末。ジャンボジェット機の登場により空路の大量輸送が可能になりました。。その結果、大衆旅客の海外旅行の主役の座は客船から航空機に移っていきました。



ライナーからクルーズの時代へ

1967年大西洋航路の華と称えられた「クイーンメリー」が引退し、代わりに日本でも知名度のある『クイーン・エリザベスⅡ』が建造されました。

しかしこの『クイーン・エリザベスⅡ』はライナー(定期船)としてでは無く、クルーズ(不定期船)として走ることを念頭に造られました。


この『クイーン・エリザベスⅡ』によってライナーの時代は幕を引き、客船はクルーズの時代へと突入しました。



このように上流階級や移民によって発展した定期客船航路は消滅しましたが、客船が消えた訳ではありません。

交通機関のスピード化が進み、リニアモーターカーが完成すると東京-大阪間が1時間で移動出来てしまうようになるこの時代に、かえってゆっくりと、広々とした空間を楽しむことができる客船は近年見直されてきています。

世界では今も豪華客船は流行しており、現在世界最大の豪華客船は街です。「ちょっとした街」とか、比喩でもなんでもなく、街です。しかもいくつかあります。

https://youtu.be/_SSt860c0JQ

↑紹介動画です。カリブ海を走ってる船です。


こんなに大きな船が日本で見れる日が来るかもしれません。それでは。


《扉落描》
世界中の研究対象とされているこの監獄では囚人たちをできるだけ日常に近い環境で過ごすようにされてる。最近になって囚人たちの間で独自の紙幣が流通するようになり、世界で話題になった……

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