見出し画像

客船の歴史の話 #2


船の大衆化のきっかけ、それは綱引きだった!?


太古より利便性の高い移動手段として使用されてきた船は一体いつ頃から現在のように「滞在することを楽しむ」ようになったかご存じですか?

船が「ただの移動手段」の枠を脱したのは19世紀末、イギリスにおける産業革命により蒸気船が生まれてからです。

イギリスのジェームズ・ワットによって実用化された蒸気機関はアメリカにわたり、フルトンによって船の動力として活用されました。そして1807年、世界初の蒸気船とされる『クラーモント』号が誕生しました。(ちなみに、世界初の蒸気機関車が生まれるのはこの4年後、1814年のこと。)

この頃はまだ『外輪船(パドルシップ)』という船で水車のようなものを回すことで推力を生む船でした。

ちなみにペリーが日本に来航した際の黒船もこの外輪船だったそうです。

やがて現在のようなスクリュープロペラが開発されました。ここで当然のように浮上する疑問。


「パドルとプロペラどっちがいいの?」


これを確認するために1845年、イギリス海軍が破天荒な実験をしました。それは「同じ馬力の外輪船VSプロペラ船で綱引きをする」というもの。結果は現在の船の生き残りを見ればわかりますが、プロペラ船の勝利でした。

これ以降蒸気プロペラ船の時代が到来し、それと同時に船旅の大衆化が始まりました。



船旅の発展を支えた2つの階級


プロペラ船が発達したことによって帆船よりも速く、快適に移動できるようになりました。これに目をつけたのが冬が長く、陽光に恵まれない北・中欧の上流階級の人々でした。

上流階級の人々はバカンス目的だけでなく、健康増進のための陽光や潮風、海水を求めて地中海沿岸や大西洋上に浮かぶカナリア諸島などへの船旅を始めたのでした。

北欧から地中海沿岸などに南下する航路は後に航空機ルートとなり、チャーター便などによる大バカンス時代を迎えることとなります。現在、地中海沿岸に世界的なリゾート地が多くあるのはこうした背景によるものだそうです。


一方、プロペラ船を生み出すきっかけとなった18世紀半ばからの産業革命によって生み出されたのは大量の失業者たちです。彼らは大西洋の彼方にあるアメリカ大陸に希望を抱き、1840年代末にカリフォルニア州で起こったゴールドラッシュが彼らの移住熱を掻き立てました。

船旅の発展を支えたもうひとつの階級とはこの移民たちです。

19世紀半ばに本格的な大西洋横断定期航路が開設され、多くの移民が船でアメリカ大陸に渡りました。当時の船は今の客船に比べればそれは酷いものだったそうですが、それでもかつてのいつ着くか分からない風任せの帆船の船旅に比べればはるかに快適なものでした。

その後、南米に向けてヨーロッパはもちろん、後には日本をはじめとするアジア諸国からの移住者が多くなりました。その結果、かつては「貨物輸送」がメインだった船としての機能が人を運ぶ「客船」としての機能がより濃くなりました。

やがて、大西洋定期航路では豪華さを売りとした客船が増えていったのです。


このようにして大きく異なる2つの階級の人々によって船旅は発展していったのでした。


次回は「客船の黄金時代と階級制度」を書きたいと思います。

それでは。


《扉落描》
ここはとある国の海上監獄・ドッペルゲンガー。場所は誰も知らず、ここで過ごす看守たちでさえ知らない。地上30階、地下16階の計46フロアからなるこの巨大な監獄にはそこらの小国を凌ぐ程の数の人間が収容されている。もはや一国としての扱いを受けるほどの自治力を持つこの監獄では昼夜様々な事件が起こっている……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?