がっぺ少年中学3年生 +T市くんとの出会い

がっぺでい

がっぺ少年史第4弾

前回は中学2年生の春までだったので
今日は中学2年生から3年生になったとこからです。

右左を見失った僕は練習に気持ちが入らず何をしたら良いかわからない状態になってました。
そんな感じで4月を迎えてシーズンインしました。
ちょうどそのとき
ガリガリくんを支給してくださった顧問の先生が移動になりました。

(あと付けになるのですが移動先はなんとあのAUFの某I宮少年がいる中わ学校に移動でした。笑)

記録は伸びないまま月日が過ぎていくだけでした。
どうにかして改善したくても改善しようがわからなく、当時は相談するということを知らないがっぺ少年は何もしない日々を過ごしていました。

しかし、そんなとき
あの棒高跳の後輩であるI少年が部活に顔を出すようになり、1人だった気持ちが話し相手が見つかり気楽になりました。
ちょうどこの頃から、T市Sたろうとも話すようになったのです。
2人とも純粋のバカなのに加え、自分もバカなので3人とも意気投合していました。
そして
少しずつ前を向いていたとき
跳躍練習をしていたら
「パキーン」という衝撃が腰に起きたのです。
(そのとき病院にいかなかったので理由はわかりません)
安静にしたら走れるようになったのですが、跳ぶとすぐに痛みがでるので、その繰り返しをしていました。
なので、I少年にメニューを与えるとI少年は喜んでメニューをこなしていました。

1年生も入ってきました。
その世代入ってきたときから強かった…
Y少年、K少年
あとみなさんご存知のO津屋少年
(このときは敬語という言葉を知っていた…)

Y少年はすぐに棒高跳に巻き込みました。
これで棒高跳ブロック3人になったのです。

K少年は気づいたら走高跳をしていました。
(のちに全国に出る少年)
この2人が強烈だったのは今でも覚えています。

O津屋少年は、ハードルしてた。以上

そんな感じで
部活はワイワイになってきたのですが
(バスでのワイワイ伝統もこの頃までは継承していました)

僕は腰を治しにいかないからそのまま
中総体に入り、あっけなく終わりました。
I少年は記録がどんどん伸びて記録も越されました。

でも、I少年とY少年と毎日跳んでた日々は楽しかったので後悔なく終わることができました。

新人戦ではI少年もY少年も活躍してくれたので僕は満足です!

こんな感じで
がっぺ少年は中学校3年間を過ごしていました。

今にも繋がっているのは
朝練を1人でして記録を出した2年生の頃の力が今の力になっていると思います。
そのときの達成感が楽しくて陸上を続けているんだと振り返って今、思いました。

部活の雰囲気にも恵まれた中学校陸上生活でした!

そんな感じで
がっぺっぺ〜


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