決めつけるから頑固になっていく。

でもそうしないと、自分がなくなってしまうようで。

年寄り、イコール ガンコ、意固地、旧い
という方式は相当年季が入って頑強だ。
それが権力や金力をもつと、怖いものなし。
周囲にいるものは、従うか、逃げるかを選ぶようになる。
面倒それも面倒になると、無視するようになる。
聞いているふり、納得したふりもせず、無視だから、
これは冷ややかだ。

でも年寄りの言い分は、それでもいくつかある。
経験上、そうである。
即、結論を出すのではなく、もっと不確定な想定できない可能性を考慮すべきだが、それを説明するには記憶や考察力に自信がない。
で説明をはしょって結論をいう。
科学技術の発達で、想像もできない可能性がいくつも出てきているがそれがちんぷんかんぷんで、わからないので、いままでの結論を言い張る。

どれもこれも、新しい情報やそれらによる新たな可能性が欠落することが理由だから、言い換えれば不勉強による間違った結論をごり押しする、ということになる。
学び続けず、年を取って生きていくのは、それ自体が害だ。
という新刊ビジネス書の広告の惹句があったが、まさにその通りだ。

しかし、国歌・君が代ではないが、千代に八千代にさざれ巌となりて、のように社会の重石になっているような考え方がある。
例えば、幸せというもの。
幸せ度ナンバーワンの国、ブータン。
そういわれても素直にうなづけない人は多いはずだ。そういうものは数字、データで表せるものではなく、そこで生まれ済んでいる人にしかわからないのだ。それがその国の基準だ。
『サピエンス全史』でも『スマホ脳』でも触れられていたが、人が誕生してから、何万年もの間の生活習慣がある。動物としての環境適応、その変化から生まれ知恵、生活習慣、体質の変化などなど、それが現在の急激な変化とミスマッチを起こしているという事実だ。
さらに思うに、それらは地球全体で同一でなく、各地域によって少しずつ生れた差異が、現在では大きなものになっていることは想像がつく。

ガンコな老人は、権力側につくと害にもなったが、支配される側では、口封じに姥捨て山に捨てられる運命も持っていた。
しかし、その知恵が、その村の災害から住民を救ったという逸話があるほどには、役立ってきたことも間違いないだろう。

あなたの近くの巌。
時々、たたいたり磨いたり光を当てて、
しみじみ眺めるのは、思わぬ発見につながるかもしれない。

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