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「あした死ぬ」と思って暮らす
中学生のときだったと思うが、人志松本の「◯◯な話」という番組があって、オードリーの若林がこんなことを話していた。
「最近ぼく、スタッフさんとか先輩とかに、『お前今大事な時期だからな』って言われるんですけど、一回こっきりの人生を行きてるんですよ。だから、生まれてからきょうまで、大事じゃなかった時期はないんですよ。俺の大事な時期を勝手に決めてくれるな!俺がのたれ死ぬようなことがあっても、ものすごい大事な時期なんですよ。高2の冬も、二十歳の秋も、大事な時期。来年の夏もそうですよ」
(YouTubeに残っていた放送内容から字起こし)
衝撃だった。番組自体は笑い話のノリで進んでいたけれど、「今を生きろ」という強烈なメッセージを感じた。
人生の楽しさは常に更新されている気がする。更新というより、段階ごとに違った楽しさがある、という方が適切かもしれない。
仕事で嫌なことがあったとき、「好きなことだけしてればよかった大学時代に戻りたい」と思うことがないわけでもないが、戻ったとしても、自分が実際に過ごした4年間よりも楽しい日々にできる自信がない。
それに、仮に戻ったとして、そこには今仕事で感じているやりがいや新しくできた人間関係の中の楽しさはない。
気づいてしまった。いつの時代も、「今」が一番楽しいのだ。
この仕事をしていると、人の死
を知る機会が多い。
通勤中の車で、交通事故で亡くなる人、
家族で海水浴に訪れた海で亡くなる人、
殺人事件に巻き込まれて亡くなる人・・・
遺体を直接見るわけではないが、会社のファックスから出てくる警察や海保の死亡事故発表文を見るたびに、その紙1枚1枚が命だったのだという事実が重くのしかかる。
そして、いつも思う。
亡くなった人たちはみんな、「自分が今日死ぬ」とは決して知らなかったのだということを。
ほとんどの人は前の日の晩、いつもと変わらない食事をし、いつもと変わらないベッドに入っただろう。そして朝、いつもと同じように着替え、いつもと変わらない道を歩いていただろう。
今から5分後、我が家に隕石が落ちてきて自分が死ぬ可能性だってある。
極端に思えるかもしれないが、地震や大雨といった災害を考えれば、決してあり得ない話ではないと思える。
「クビになる日」を考えたり、「死ぬ日」を考えたりするのは不安だし恐怖だが、いつか起こる絶望を考えるから、きょうここ今が一層輝けるものになるのだと思う。
今晩、枕元で死を宣告されても、楽しい人生だったと思えるように、きょうもきょうとて一日を全力で行きたい。
ツイッターでは「100日後に死ぬワニ」が話題になっている。
みんな「今」が永遠に続かないとはわかっている。でも、一日でも長く続いて欲しいと願っているから、何もしない日がある。欲望の赴くままに、いつやってもいいことに、どうでもいいタイミングで没頭できる。それで、いいと思う。
あした死ぬかもしれないから、寝る前にラーメン食べよ。
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