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【実録】渋谷のITベンチャーに飛び込んで3年サバイブした経験談

0.はじめに

ふと気づくと、今日で入社して丸3年が経ったので、とにかく激しかったベンチャーでの3年間を振り返りながら、ベンチャーで働くことに興味ある人はイメージを掴んでもらって、ベンチャー界隈の方はあるあるを楽しんでいただければと思います。

1.自己紹介

株式会社Branding Engineer(https://b-engineer.co.jp/)でメディア事業部の部長をしております。慶応を中退し、フリーランスを1年し、その後入社して今に至ります。

2.起業しろおじさんからのダメ出しから一変した生活

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大学をサイトの受託作成をしながら、まだ当時ではニッチな仮想通貨やVRのでの事業立ち上げをしようとVC回りを初めた際に話した木下さん(https://twitter.com/kinoshitay)より

「事業としてできるか不安、みたいな今のマインドでやってもうまくいかないから出資先で修行してこい」と言われたのがきっかけでその場で代表の高原をその場でメッセを繋いでくれて、その次の日には入社を決めていました。

当時からすぐ起業しろと言うことで有名だったので、修行してこいと言われたのは当時驚きましたが、何より自分の人生において大きなきっかけとなった一言でした。

3.熱狂以外何もなく自分でどうにかしないといけないと学んだ最初の一週間

入社した当時のBranding Engineerは社員が15~20名程度で本社のオフィスはスカスカ。オフィスの真ん中にはパターゴルフがあり、「the スタートアップ」の空気感に満ち溢れたオフィスでした。

当時のマネージャーとインターン生の2人で、立ち上げてから2ヶ月ほどのMayonez(https://mayonez.jp/)の3人目のメンバーとしてジョインし、入社初日にどこに何が書いてあるかもわからない膨大な量のドキュメントとスプレッドシートのリンクだけが送られてきて、「あとは見て覚えて仕事巻き取ってね!」と僕の初めての上司にあたる当時のマネージャーに言われ、

とにかく何もわからない中で手探りで自分が何を分かっていないのかすら分からず、聞いてまとめていくしかありませんでした。今振り返ってみると、非効率で生産性の低い仕事をただ気合だけで乗り越えようとしていたけれども、その中でも何かを作り上げながらカオスに前進をしていることが楽しくてしょうがなかったことは覚えています。

そして初めての上司は自分がした些細な仕事も全部見ていてくれて応援してくれる、黄色電球のような上司だったなと思います。

・ベンチャーは自分で仕事を探さなくてはいけない
・小さなベンチャーは熱狂以外何も整っていないことも多く、環境も仕事も自分で作り上げていくもの

4.数字と向き合いオンオフが一切ないフルダイブモードに突入

ベンチャーに入って一番最初に苦労したのがロジカルシンキングと数字の扱いでした。下の画像が作られるぐらいには(僕が作りましたが)とにかく厳しく一切の妥協を許さない代表の河端から数字とロジックの弱さで詰められ続けました。いつ何時でもメンヘラ彼女のようにかかってくる電話と、DV彼氏のような「どうなってるんだよこの数字」の第一声の圧力で何度代表のfacebookをブロックしようと思ったか数え切れません。

ただ、どんなに詰められようとも、目の前にある「自分がまだできていない」という事実から逃げても、何も解決できない、その一心で仕事に向き合い、この激しくカオスなBranding Engineerにフルダイブしていきました。

ここでフルダイブしたからこそ学べたこと、感じることができた想いこそが今の自分の軸になっているので、何もできなかった当時に逃げずに向き合う選択をとってよかったな、としみじみと感じます。

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5.裁量権と共にのしかかる責任の重さに気づいた新規事業立ち上げ

1年ほどメディアの立ち上げや運営、グロースをした後、代表の河端の一言から急に新規事業の責任者になりました。今思えば狂気に満ち溢れたスピード感で事業が立ち上がり、立ち上げ数ヶ月で単月黒字化、メンバーは20名弱まで増えていきました。

そこで自分がPLへの責任を持った状態での事業を運営すること、組織を作ること、予算を使うことの面白さと同時に責任の重さに気づいていく日々でした。

自分の意思決定一つで事業の数字の伸びが変わり、運営の効率が変わり、大変になるメンバーもいる。事業のグロースのためには絶対にやらなければいけないけど、メンバーに負荷をかけてしまう、そんな正解がない問題が毎日が続きました。

大学生と面談する際に「成長したいので裁量権が欲しいです」と言う人が多いですが、裁量権とセットの責任の重さとどれだけ対峙できるか、そこでどう動くかこそがベンチャーにおける一番の成長の鍵なのではないかと僕は思います。

順調にグロースしていたサービス自体も諸事情でクローズすることになりました。色んな感情や想いが溢れだしましたが、

一緒にサービスの未来を作ろうと考えてくれて、Analyticsや売上のグラフを見て一喜一憂してくれたり、小畑がそこまで意見曲げないならしょうがないからやるよと死ぬほど工数のかかる変更をしてくれたり、納得できない時は納得するまで首を縦に振らず全力でぶつかってきてくれた、そんなメンバーへの申し訳なさ、今まで一緒にいてくれた感謝。

これがその時感じた一番大きな感情かと思います。事業をクローズすること、その時抱えていたメンバーの気持ちが痛いほどわかったからこそ今は、二度と同じことにしたくない、その気持ちを常に忘れないように仕事に向き合うようにしています。

・裁量権以上に責任は重い
・責任の重さとどれだけ対峙できるか、そこでどう動くかこそがベンチャーにおける一番の成長の鍵
・メンバーを抱えている事業のクローズは死ぬほど辛い

6.会社規模が大きくなるにつれ分かってくる、今までは会社ではなかったこと

本日リリースしたWantedlyのタイトルを見て改めて規模が大きくなったなと感じました笑。最初は立ち上がって話せば全社員にお願いすることができたし、他部署でもどんなことが起こっていて誰が何をしているのかは分かっていたけど、今では知らない人も多く、寂しく思うことも多いです。

今振り返ってみると入社当時のBranding Engineerは全く会社ではなく、よく言えば大学のサークル、悪く言えば動物園でしかありませんでした。社外の人から「BEサファリパーク」と揶揄されたことすらありました。

そんな組織が、いつの間にかメンバーが130名を越え渋谷に3拠点、宮崎に1拠点、そして2月には渋谷に4拠点目がオープンします。

この3年間全く会社ではなかったところから今の規模までの組織拡大のフェーズで様々な出会いと別れがありました。当時15名ほどいた先輩方はほとんど辞め、気づけば代表役員陣を除き社歴は3番目になってしまいました。

今まで辞めた人の中で何人も「この人が抜けたらやばい」と言われる人がいましたが、毎回そんなことはなく、いなければいないで会社はまわり続けるものだし、なんなら後任がそれ以上に結果を出す、なんてこともザラでした。そして、辞めてからうまくいっている人はだいたい、会社が大きくなる時に自分で環境を作った人で、会社になることを求めた人ではなかったなと、そう思います。

・ベンチャーを卒業してから活躍する人は、環境を自分で作った人
・「この人が抜けたらやばい」ってベンチャーなりがちだけど、案外なんともなかった

8.4年目を迎えて今思うこと

色々振り返りながら書いていると暗い文調になってしまいましたが、今までの26年の人生の中でどの機関よりも濃密で、激しく、そしてカオスで、ブルーなことも多く、ただ、ものすごく幸せな時間だったなと思います。

こう思えるのもひとえにBranding Enginnerを勧めてくれた木下さんや、入社をさせてくれて、今まで非常に厳しくプレッシャーをかけ続けてくれた代表陣、OBOGのメンバー、そして今一緒に働いてくれている事業部内外のメンバーそして、クライアントの方々のおかげでしかなく、

この場を借りてお礼の気持ちを伝えられればと思います。

9.一緒に働きませんか?

今は僕は、Branging Engineerでメディア事業部の部長をしております。東京と宮崎のオフィスで合計30名ほどのメンバーで、合計2000万PVを越えるWebメディアの運用。その知見を活かした大手クライアント様のコンテンツマーケティングの支援でもかなりの結果を出せています。

・コンテンツディレクター

・SEOディレクター

・Webメディアの運営担当者

・メディアのPVを活かして事業を作れる/作れる人

などなど仲間を募集しています!









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