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踊らされた後味の悪い一日

昨日は、サッカー日本代表がチュニジアに2対0で勝利して、初めてワールドカップ決勝リーグ進出を決めた歴史的な日だった。しかも同日午後8時からの韓国対ポルトガルの試合でも韓国が1対0で勝ち、日韓両国が揃って決勝トーナメントに進出するという前代未聞の出来事が起こっていた。勝利に酔いしれるとともに、実はもっと大事なことが実現しつつある。それは日本と韓国が、サッカーを通じてこれほど同じ目的で人々が結ばれていることだ。

少なくとも秀吉の朝鮮出兵、太平洋戦争中の朝鮮併合以来、日本は朝鮮国に対する侵略を繰り返してきたことで、近くて遠い隣国になってしまったことは確かだ。悲しいことに、私たちが生まれたときにはすでにそのような状況が存在しており、この21世紀なってもそのわだかまりは消えていない、といっても過言ではないだろう。

だから知る機会すら失われ、特に日本人は学校でもその経緯や事実関係について詳細に教えることもなく過ごしている。しかし国家機関などという巨大な存在での関係を通り越して、確実にそのつながりは両国民を結びつけている。

これで日韓どちらかが決勝リーグにすすめなかったとすれば、それは逆に大きなわだかまりになっただろう。しかし、単なる思いの大きさ、ホームである強みではなく、確実にプレーが“世界レベル”に近づいてきた証拠だ。それだけ感慨深いものがある。

当然、両国のサポーターの応援もヒートアップして、韓国ではなんと30万人もの市民が市庁舎広場に集まったり、日本でも至るところで代表のユニフォームを来た人たちが興奮して騒いだり、本当にお祭りのようだ。普段は野球にしか興味のないおじさん、そしてスポーツそのものを見ないおばさんたちまでが日本代表の活躍に一喜一憂するなどの盛り上がりを見せている。

まさにこのような国家総動員の応援体制などは、オリンピックの時でさえ聞いたことがない。なんと先日のロシア戦の視聴率は歴代2位で、あの東洋の魔女たちが活躍したバレーボールの試合以来である。当時とメディアやエンターテインメントの数を比べれば、この集中度は恐怖さえ感じてしまう。

私がもっと怖いのは、普段はおとなしいおやじ達が、この時ばかりと若者に交じってユニフォームを着て、フェースペインティングで彩り、“日本チャチャチャ”を連発している姿だ。なにか弾けてしまったのだろうか。私も確かに興奮したが、年甲斐もなく顔に日の丸を塗り付けている人を見ると、このエネルギーはなんなんだ!と叫びたくなる。確かにいいニュースもない日本ではあるが、そんなに浮かれまくってちょっとおかしい。山形県庁ではチュニジア戦をテレビで観てはならない、とのお達しが出て、それを批判する人たちがいるらしい。

何かおかしくないか?

まず、テレビを観る観ないなど、大人である職員に言うこと自体ばかげているし、一緒になって観ようと奨励する人たちも狂ってる。その判断、そのエネルギーをどうするか、はすべて個人の問題であって、どこかが拒否したり、勧めたりするものではないはずだ。逆に観たくない人にとっては苦痛だし、どうしても観ることができない人たちだっている。

何とも、後味の悪い一日になってしまった。外国のまねをして警官と衝突したり、川に飛び込んだり、何かエネルギーを向ける方向が違うような気がしてならない。とにかく躍らされるのをやめよう。そのようなことを日本代表も望んでいないし、少なくともその“祭り”は、今月末には終わってしまうものなのだから。

*****

最近の世界的なスポーツの祭典といえば
パリオリンピックだろう。

22年前との違いは
あらゆる競技で
日本が国際的なトップレベルになったこと。
国家を背負いながら
あくまでも個人が主役で
結果を出すためも苦労を厭わないこと。
そのプロセスが根性や気合いではなく
科学的で合理的なこと。

挙げればキリがないが
とにかく見ていて悲壮感がない。
必要なものはすべて手に入れて
やり尽くす。

一言で言えば
汗臭くない。
辛気臭くない。
感動臭くない。

三言だったけど。

伝えるメディアもテレビだけではないため
さまざまな角度から
リアルタイムで視聴することができた。
変な一体感はなかった。
もちろん就業中にテレビを観るななんていう
お達しは出ようもない。

現地で
レポートしているテレビのスタッフたちは
可笑しいほど演技がわざとらしく
そういうことを望んでいる人たちも
いることがわかった。

そう今は
踊らされる人たちはとても少なくなったのだ。
それが嬉しかったりして。

#あの頃のジブン |29

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