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葬送の仕事師たち


きれいに焼きます

⚪私は、ステージ4のガン患者となり、この1年で2回の手術を受けました。(大腸ガンと転移先の肝臓ガン摘出)。とはいえ私の場合他の患者さんと比べかなり楽。抗がん剤の副作用も脱毛以外目立った障害はなく、メンタルはいたってポジティブです。「生きている!生命力がフツフツと湧き起こってくる!」の衝動を強く感じます。生きている事のありがたさを感じてます。今出来ること、残された時を噛みしめています。しかし、時として、青年の頃のように、死ぬことがえらく先のように思えてくるのです。ここには生があり、死はないのです。まだまだ長生きしたい。多分100歳になっても。「もっと、もっと」と。しかしここに「正常バイアス」という錯覚が起きている事を忘れるわけにはいきません。グリム童話の「死神の使い」のように、「死ぬのはもっと先」と様々な死の兆候に接してきたにも関わらず、人生の有限性を無視して、永遠に生きられると錯覚するのです。ガンの宣告を受け、より一層生死に関わる記事、本、映画などに関心を持ち読み続けています。そんな時、知り合いの女性看護師から紹介され読んだのがこの本。ショックでした。年相応に長生きしてきたので、葬儀の参列体験は自分の親、親戚、仕事の取引先などありました。遺体の死顔に触れる経験もありました。しかしあくまで葬儀の表舞台、通夜、告別式、火葬、骨上げ、納骨を滞りなく進めれてきました。表を支える葬送の裏方仕事は知ることはなかった。15年前の本木雅弘が演じて脚光を浴びた「おくりびと」の映画以来でした。誰もが必ずお世話になるエッセンシャルワーカーの仕事ぶりを知ることが出来ました。
⚪生物としての自分が死を向かえると腐食が始まる。口、耳、肛門、目など人体の穴から体液の流出、下腹部から始まり胸部へ進行する変色、体の内外の微生物による細胞解体作業、そして死臭。チーズや生魚、あるいはたくあんの腐ったような強烈な臭い、らしい。その強烈な臭覚は思い起こすだけで、吐き気を催すかもしれない。遺体発見が遅れたり、寒暖の気候により葬送の仕事師たちはどの段階で葬儀のプロセスに加わるかによって、また直葬かにより対応も異なるという。またそれまでのどんな病気を患わっていたか、年齢、死に方により身体の変色、変形、臭気も様々。病気でなく、事故、自殺かによって異なる。そして家族の有無、家族の希望、経済状態により、葬儀の流れ、形が異なってくるようです。しかし、最後はどんな形であれ、7日以内に火葬と、法律で決められている(正確には土葬も可能)。最期は皆、焼かれ、斎場の煙突から虚空に吸い込まれ、消えていく。著者は小津安二郎監督の「小早川家の秋」の火葬場のシーンを思い起こす。年配の方には記憶されている方が多いのではないか。私も池袋の文芸坐という映画館で見、そのシーンは鮮烈に残っている。葬送を構成する一連の標準的プロセス:清拭、湯灌、納官、火葬から葬儀なく直葬という形まで色々だ。
⚪彼らの仕事に対する矜持(誇り)を改めて考えてみた。遺体の変形、損傷部位の復元、エンバーミング、湯灌、納棺、葬儀、火葬といった一連のプロセスに裏方の各プロ達は、自然のロゴス(摂理、必然)に対する、人間独自の倫理と美意識があることに気付いた。「生前と同じように、元気でいた頃のように、その人らしさが生きていたように。」ここには倫理と美意識が投影されていないだろうか。事故死、自殺を含めた遺体は、生物としてのロゴス(必然)に従い、「物」としての必然のプロセスを永遠の沈黙の中で受入れていく。死の3つの指標、①瞳孔の拡大②呼吸の停止③脈拍の停止を医者が診断した直後から始まる。生から死へのシフトの開始。圧倒的死の力に侵食され、無に帰する一連のプロセス〈細胞の死、腐食、解体、同時に死臭の発散と生物としての機能、形態の解体と消滅まで〉に従属するのみだ。葬送の仕事師たちは自然のロゴス(必然)に抗いながら、それぞれの知と技と、思いを尽くし、人間としての尊厳、矜持、気高さと美しさを追い求める人間の姿を見ないだろうか。そのための解剖学、微生物学であり、身だしなみから各宗派に基づく葬送のしきたりと作法を学ぶ事の意味があると、思う。

さて葬送の儀を、特に火葬の生々しい現場を目撃するに最後の問いが浮かび上がって来ることを禁じ得ない。肉体(身体/物質)に依存する意識、(無意識を含む)、精神、こころとするなら、肉体が無に帰した後、あの世はあるのだろうか、魂は存在し、永遠の旅路につくのだろうかという問いと願望。
⚪古来から求めて止まぬあの世への問いと願望。永遠と永世の問いの前に佇む自分がいる。ドストエフスキーの愛読者なら、有名なシーンを思い起こす方は多いのでないか?「カラマーゾフの兄弟」の主人公の一人アリューシャが師と仰ぐゾシマ長老が死に、死臭に気付く。アリューシャはゾシマ長老が死に、まして死臭を発散することにショック、聖者は死臭を発せずと信じて受け入れることが出来ないシーン。また彼から最も強い影響を受けた日本の作家、戦後文学者の椎名麟三がいた。その作品「赤い孤独者」で彼はイエスの死を描かくピエタの図に惹かれ、その死を凝視する主人公を描く。そしてその後の作品でイエスの復活を信じるに至る。神無き世界と信仰の世界を徹底的に考え抜く世界を提示する。「葬送の仕事師たち」という裏方のエッセンシャルワーカーズのルポルタージュ。この著作から連想が連想を呼び、文学•哲学•宗教の問いまで飛躍してしまった。しかしあなたはどう考えるか、臨むのかと。問いはそのままである。
*椎名麟三論/「回心の瞬間」
   小林孝吉著参照


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