日本一マズかったラーメン屋

まず『日本一マズいラーメン屋』で検索してみてほしい。
確実に「彦龍」という名がトップに出てくるはずだ。
閉店からもう十年以上経っているにも関わらず。

これはそのかつて存在した『彦龍』に行った時の話だ。
だから日本一マズいラーメン屋ではなく、日本一マズかったラーメン屋の話。

大学生の頃、たまたま千駄木付近に行って、たまたまメシ時だった時に、『そうだ、このあたりに彦龍があるはず!』と、思って訪れたのだ。

彦龍は当時、『日本一マズいラーメン屋』の名を欲しいままにしていた。
この世の中に『日本一マズい』とまで言われるものが存在し、かつその気になれば体験できる。
食べてみたいと思うのは人として自然なことだろう。

千駄木と言えば谷中、根津と並んで谷根千と呼ばれる東京下町人気スポット。
その一角に、『彦龍』はあった。
外観だけで言えば、新しくもないしそこまで古くもないありふれた中華料理屋のようだった。

だが店に入った瞬間、違和感に気づいた。

すでに昼時をだいぶ過ぎていたからか、それともいつものことなのか。
店内には親父ただ1人。
いや、日本一マズいラーメン屋なのだ。
客がいないことに驚いたわけではない。

「なんなんだ…ふざけやがって…」

彦龍の店主・原憲彦(以下、親父)は、唯一の客=ボクに目もくれず、一心不乱にブツブツと呟いていたのだ。

さすがに「いらっしゃい」ぐらい言ってもらえると思ったので不意をつかれた。
改めて日本一に挑むことの険しさを思い知らされた。

「ったくよう、畜生が…」

親父はカウンターの中で、マジでこっちに気づいてないんじゃないかレベルでブツブツ呟いていたが、

「クソッ、ブッ殺してやろうか…!」

こーわっ。
日本一マズいラーメンを食べる覚悟は出来ていたが、殺される覚悟はできていなかった。
考えれば日本一マズいラーメンを作る人間がマトモなはずない。
日本一マズいラーメンは、日本一(性格が)マズい店主から生まれると考える方が自然だった。

下手に刺激しないよう黙って椅子に座っていると、

「…まったくよ、バカな客がいたんだよ!」

やっと親父は正気を取り戻した+ボクという客を認識したらしく、怒りを含んだ声で話しかけてきた。
何のことかわからず愛想笑いしていると、親父は店の壁を指さした。

「そこの壁によ、カレンダーあるだろ」

ビートたけしとツーショットで映った写真が貼ってあった。

『日本一マズいラーメン屋』として彦龍の名が知れ渡ったのは、主にテレビ番組がきっかけで、ダウンタウンやビートたけしといった錚々たるスターの冠番組で『日本一マズいラーメン屋』と称されたことによる。
ボクが知ったのもそれきっかけだ。

恐らくその出演時の記念写真…を印刷したものに日付を入れて、

「カレンダー100円!」

と、売っている様子だった。
つまりは『彦龍グッズ』だ。
絶対ビートたけしに許可とってないと思う。

商魂たくましいといえばそうだが、紙は明らかにA4の普通紙だったし、当時としても安物のインクジェットプリンターで印刷したのだろう、インクがにじんで写真がぼやけてしまっている。
100円どころか10円でも欲しくなかった。

そういう文句を、客から言われたのかと思ったが。

「さっき来た初めての客がよ、どうせ合成写真だろって言いやがってよ!」

それはそれで客もどうかしてる。

もし彦龍を知らなかったとしても、逆に『会ったこともないビートたけしと自分のツーショット写真を合成してカレンダーにして売ってる親父』って、ヤバすぎないか。
そっちの方がこわいし、絶対に指摘したくない。

「それはひどいですね! ボクもテレビで親父さん見たことありますから! 本物だってボクはわかってますよ!」

本心から親父を弁護すると、

「そうだよなぁ! アイツがバカなんだよな!」

やっと親父は機嫌を直したらしく、

「兄ちゃんは、じゃあテレビでウチを知ったのかい? どうしてウチに来たんだい?」

ニコニコしながら聞いてきたが、これはこれでピンチだった。

「はい、日本一マズいラーメンを食べにきました!」

正直にそう言おうものなら、

「クソッ、ブッ殺してやろうか…!」

が再発しかねない。
まだ死にたくはなかった。
ラーメン屋で生死が問われるとは思っていなかった。
軽い気持ちでやってきた自分の浅はかさを呪った。

「い、いや…その…」

冷や汗をかきながら返答に困っていると、

「…いいんだよ、日本一マズいラーメン屋だって聞いてきたんだろ?」

予想外にも、親父は優しく促してくれた。
しかも驚くべきことに、

「でもよ、あんなのテレビ用だから! テレビ用にわざとマズく作ってるだけだから!」

と、言い出したのだ。

「あんなのラーメン屋やってる人だったらみんなわかってるって! プロなら絶対やらないことやってんだから!」

そう言って親父はカラカラ笑っているのだ。
殺されなかったことに安堵する一方で、

『ぜ、全部ヤラセだったのか』

という失望感もあった。

確かにガチで全力で作ったラーメンを『日本一マズい』と言われたら、どんな人間でも「よし、ラーメン屋やめよう!」と、なるだろう。

もしくは、

「クソッ、ブッ殺してやろうか…!」

と、テレビ局で暴れてお蔵入りになるかの二択だろう。
ヤラセというか演出があると、疑ってかかるべきだったのだ。

しかし、だとすると日本一マズいラーメンが食えないことになる。
来た意味がない。

落胆した様子のボクをよそに、すっかり上機嫌となった親父は、

「おっ、よっと!」

ボクが注文したホームページラーメン(当時存在したホームページラーメン。ホームページを見たと言う客用のラーメン。シティヘブンを見ましたと言って割引してもらえるシステムに似た奴)を手慣れた様子で作り上げた。

確かに日本一マズい腕ではなさそうだった。
これはいよいよ期待外れに終わりそうだった。

そして完成したのは山盛りの豚肉が乗った、一見すると豪華なラーメン。

もはやこの店が日本一マズいわけではないことを悟り、のろのろとハシに手を伸ばしたボクがそのまま一口食べた瞬間、親父は満足そうに、

「どうだ? 本物はうめぇだろお~?」

いや、普通にマズいんですが…。

確かに日本一というほどマズくはない。
口にした瞬間、吐き出すほどのものではない。

ただ普通にマズい。

まずスープに味がほとんどない。
醤油ラーメンか味噌ラーメンかもわからない。
判断材料となる味がないのだ。

そこへ雑に焼かれた豚肉の焦げた味が混ざり、スープ全体に焦げ肉の味が広がっている。
全体的に『日頃まったく料理しないお父さんが、お母さん不在時に適当に作って子供にふるまい嫌がられる』奴の味だった。

自分の父がチャーハンを作った際、「隠し味」と、ビールをドバドバかけていたのを思い出した。もちろんマズかった。

このラーメンも同じで、そのままならただの味の薄いラーメンで済んだのに、豚肉をどっさり乗せたせいで余計にマズくなっている。

素人にありがちな『足し算しかしない』味付けというか、プロなら絶対やらないことやってるじゃん…。

「どうだ? ん?」

しかし親父は自分の腕に絶対の自信を持っているようで、褒め待ちの状態だった。
ここで否定的なことを言おうものなら今度こそ間違いなく、

「クソッ、ブッ殺してやろうか…!」

が飛んでくるだろう。
まだ死にたくはなかった。

けれどまだ若いボクが100パーのウソをつくのは難しく、

「いや、そうですね!」

苦し紛れに何かひねり出そうとして、

「この肉がたまらないですね!」

と、言った。
たまらないはたまらないが別の意味だった。
ウソは言っていなかった。

肉の分、余計なボリューム感のある一杯をなんとか食べ終わると、依然として上機嫌な親父は、

「たけしさんのカレンダーも買ってくか!?」

と、完全に調子に乗った感じで聞いて来た。
これまた若かったボクは断るすべもなく、100円を払ってしまった。
当然、一度も使うことはなかった。

親父はそれからインターネット上で少し流行り、店を閉じ、数年前に亡くなられた。
『日本一マズいラーメン屋』の名を持ち続けたまま。

ボクは、本当は『日本一マズいラーメン屋』ではなかったことを知っているが、けれどもし『マズい』が『ヤバい』の意味だとしたら確実に合っているので、それはそれでいいんじゃないかと思っている。

親父のことを思い出すたび、あのラーメンの味を思い出すと言えばウソになる。
なんせ味がなかったのだから。(豚肉の焦げた味は覚えてるよ)


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