夜逃げの見学

 マンガで夜逃げの話を見て。
 「そういえば自分も夜逃げを見学したことがあるな」と思い出した。
 小学生の頃の話で、母親に連れられて夜逃げを見学したことがある。
 自分が逃げたわけでもないし、手伝ったわけでもないので、あれは見学というしかない。
 夜逃げの社会科見学だった。

 当時(昭和後期の東京)、ウチを含めた4家族ほどがグループを作って、家族ぐるみの付き合いをしていた。
 付き合いが始まったきっかけはよく知らない。幼稚園が始まる前からの付き合いだったので、学校がらみということもないはず。
 ただどの家族の子供も、必ず1人はボクと同い年だったので、恐らくその縁で産科なりご近所なりで出会って仲良くなったのだろう。

 あと思いつくのは「境遇が似ている」点だろうか。
 どの家族も、何かしら問題のある家だった。
 大学を出て名のある会社に勤めて…みたいな「真っ当」な父親は誰一人いなかった。
 全員が高卒ないし中卒で、1人は簡単な漢字の読み書きも怪しかった。カラオケではモニターに映った歌詞のひらがな・カタカナだけ歌っていた。彼にかかれば美空ひばりの「川の流れのように」も「ののように」だった。ゆるいアニメのタイトルかよ。

 母親の側も、まあそういう男とくっつくのだから似たりよったりの境遇で、こういう人たちは磁石のように集まるんだろうな。

 ウチはまだマトモな方で、せいぜいボクが小さい頃ぜんぜん父親が働いていなかったり、それを見かねた母親が「こいつと結婚するのはしばらく考えよう」と、思って籍を入れなかったせいで、ボクが数年間、婚外子になっていたことぐらいだろうか。(この点、自分では特に気にしてないんだけど、改めて文面で見ると「うわっ」となるな…)
 なので、母親はそのグループの中で比較的デカい顔をしていた気がする。
 「その条件でよくデカい顔を出来たな」と、思うけど、井の中の蛙が井の中でドヤ顔をするのは当然のことかもしれない。

 そんな底辺まではいかないけれど、常に社会を見上げる側だった我が親のグループなのだけど。
 とある時代の流れに、もろに影響を受けるのだった。

 ご存じ!
 日本みんながイカれていた時期!
 バブルの到来!

 当時、高卒ないし中卒のメイン職種と言えば、肉体労働。
 バブル景気で建設ラッシュで建設業が潤いまくり。

 小さな建設会社を立ち上げたけど、「仕事が無い…」と、ヒィヒィ言ってた家なんかは、このバブルで急成長。田園調布に一軒家を建てたり、軽井沢に別荘持ったり、子供を幼稚園から私立に入れたりと、完全にバブル成金化。教科書に出てくるお札燃やす人ぐらいのテンション。どうだ明るくなっただろう。

 ちなみにウチの父親の場合、同じ建設業ながら1社員の立場だったので、「給料がそこそこ増えた」程度、風呂なしアパートから風呂ありマンションに引っ越すぐらいの微々たる変化。(そう、風呂がなかったんですよボクの幼少期。だから銭湯になじみが…この話はいいか)
 
 そして郵便局員だった人も、子供をさっきの建設会社の人と同じ私立に入れたり、土地を転がしてみたり…。

「ん、郵便局員は建設業と関係ないじゃん?」

 と、思われた方、頭良いですね。
 頭良すぎてウチの親のグループに入れなかったと思います。
 
 先に「日本みんながイカれていた時期」と書いたとおり、周囲がどんどん成功者になっていくのを見て、職業的にあまり好景気が関係ないはずの人まで、「オレも負けてらんねぇ!」と、土地転がしに手を染めてしまったのだ。それだけ金が借りやすかったのだろう。

 ただバブルについてみんな誤解があると思う。

 「あの頃は景気がすごく良かった」
 「就職試験で学生が接待された」
 「夏ボーナスが月給2年分」

 みたいなフィーバー部分ばかり吹聴されるせいで、まるで当時は1億人全員が勝ち組だったような錯覚を覚えるけれど、普通に負ける人は負けていた。
 この郵便局員の人もそうだった。
 負けてまた借金して負けてまた借金してで、数年してバブルが終わる頃には、もうどうにもならなくなっていた。そうして夜逃げしてしまった。

 その当日は、ボクが小2か小3の頃だったと思う。
 ある晩、外に出かけていた母親が慌てた様子で帰ってきた瞬間、

「〇〇くんのところ、今日、夜逃げするんだって!」

 と、ボクの手をつかみ、

「手伝いに行くよ!」

 なんでだよ。
 百歩譲って友達の夜逃げを手伝いに行くのは、法的はともかく人道的には理解できる話だけど、子供のボクまで連れて行くのはどうかしてる。1人で行け。何度考えても「夜逃げの場面を小学校低学年の子供に見せよう」という発想がどうかしてる。
 まあウチの親がどうかしているのはむしろ当然か…。

 母親は、そう遠くない道のりの途中、「家族ぐるみ」の不義理を嘆いていた。

「あそこにも声かけたのに来ない。薄情な連中だよ。△△のところは学校で声をかけても無視してきたらしい」

 その頃はピュアピュアな少年だったので、

「確かにひどい! あれだけ仲良くしていたのに!」

 と、母親の言葉に同調して、

「ウチはそんなダサい家じゃなくてよかった!」

 そう息まいていたけれど、まあ大人目線で見れば、土地転がしに失敗したのは自業自得なわけで、変なことに巻き込まれないよう疎遠になるのも当然だろう。

 とはいえ自分も子供ゆえの気楽さ、「実際は何も関係ないからなあ」という気持ちで付いていった程度だったのだけど。

 見慣れたマンションの一室に入った瞬間、絶句した。

 それまでテレビや漫画で見たことはあったけれど、タンスやらテレビやら本当に「全ての家具に差し押さえの赤札が貼ってある」光景を見たのは初めてだった。

 その赤札だらけの空間の中、奥さんが正座してうつむいていた。
 子供たち兄弟は、照れくさそうに部屋の端に立っていた。

 あの光景だけは、30年近くたった今でも鮮明に思い出せる。
 少し暗くした照明含めて…。

 当事者である旦那の方は、すでにどこかへ身を隠したらしく、部屋にはいなかった。
 後で聞くと、家族に累が及ばないよう、すでに離婚していたそうだ。

 母親同士が少し話している間、自分は所在なさげにウロウロしていた。兄弟に声をかけるのも何だかためらわれた。

 家族ぐるみの付き合いとはいえ、子供たちにも当然、「オレはこいつと仲良くないんだけど…親同士の付き合いがあるからなあ」という子供たち同士の相性がある。
 それで言うとこの兄弟とはあまり仲が良くなかった。
 兄弟の照れくさい顔も、そのせいかと思われ、話しかけるのは失礼な気がしたのだ。

 テレビの近くにファミコンがあった。
 そのファミコン本体にまで赤札が貼られているのを見て、引いた。
 すでに新型であるスーパーファミコンが発売されて1年以上は経っていた頃だ。中古のファミコンなんて、数千円の価値もないはずだ。
 そこまで差し押さえるのかと思って、ただ引いた。

「よく見な…」

 気付けば母親が後ろに来ていた。
 母親は怒りをにじませた声で、

「借金取りの奴らは、子供のものにまで手を出すんだ…」

 と、教育をするように言った。

 その瞬間、子供心に「これを見せたかったのか」と思ったが、何で見せたかったんだろう…と思った。

「ウチも夜逃げをするとこうなるんだ」

 ということだろうか。
 でも、そんなのボクには防ぎようがないし…。

 母親への反感から、だんだん借金取り側に同情してきた。
 ファミコンの価値なんて借金取りもわかっているだろう。そんな数千円レベルのものを取り上げるということは、借金取りの方も、「もはや全然回収できないのはわかっているけど少しでも何とかしたい」という境地なのではないか。
 そもそも借金を返さない方が悪いのではないか。
 遅まきながら、「真実」に気づき始めたのだ。
 それは「気の毒」とは別の話だ。

 だからこの母親の社会科見学は、母親にとっては逆効果だったというほかない。

 その後のことはあまり記憶にない。
 結局、家具が全て差し押さえられている以上、持ち出せるものはごくわずかだった。(ウチの母親もさすがに赤札をはがすことまでしなかった)
 単にちょっと見物ついでに励ました程度で、別に来なかった人を責められるほどの功績を上げたわけではない。

 むしろ、あの日やって来たことをどこかで目撃されていたのか、しばらくの間、「行方を知らないか」と、借金取りがウチにやってきたりで、他の家族同様に「余計なもめごとにクビ突っ込まない」方が良かったぐらいだ。

 ただウチの母親は「知らないねぇwww」と、むしろ借金取りを馬鹿にして楽しんでいるようだった。
 そうした並外れた思慮のなさが後年、彼女を不幸に追いやるのだけどその話はまた別。

 他の家族についても、もはや何の付き合いもない。
 バブル成金組含めて、例外なく「末路」的な最後を迎えていることを知るばかりだ。

 ちなみに〇〇君とは、成長してから一度だけ再会した。
 地方にある母方の実家に身を寄せていたのが、奨学金をもらって大学に入り、上京してきたということで連絡をもらったのだ。
 一度だけというのは、子供時代同様、やはりあまり仲良くなれなかったからだ。


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