ある雨の日の午後
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「あー、降りそうだね」
窓の外に半身を乗り出しながらフィオナが言う。
「これは早く切り上げた方が良さそうねぇ」
「だね。今日はもうあがろっ。ね、ユエちん?」
振り返るフィオナの額から汗が跳ねた。
「私は……もう少し残る」
乱れた息を吐きながら私は答える。
「雨も降りそうだし、今日は帰りましょう?」
ミルフィーユがタオルを差し出して、いつもの通りの笑みを浮かべた。
「傘、持ってるから平気。二人は先に戻ってていいよ」
額に貼り付いた前髪をかきあげる。
はじめたばかりの新しい曲の振りはまだ全然形になっていない。歌の方もまだまだ磨く必要がある。
立ち止まっている暇なんて、無いんだ。
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曇天。まさにそんなヤマト言葉に相応しい灰色の空。
ったく、大きくなったって良い事なんかありゃしないわ…。こういう日はただでさえ重くなった身体も、憂鬱な気分も軽い頭痛も何もかもが煩わしく感じる。
そういう時に限って真っ直ぐ寮に戻れないように仕向けてくるのだ神様ってのは。
クロエの所で色々と面倒な仕事を手伝わされているうちに、空は今にも泣き出しそうな顔を見せている。
濡れたら文句言ってやるわ……。
駆け足で廊下を通り抜けようとしたその時。ふと耳に飛び込んでしまった声に私はつい足を止めてしまった。
この歌……聞いた事ある……。
少しだけ開いた教室の扉。その向こう側にいた黒髪の後姿を私はつい見つめてしまっていた。
あの頃当たり前の様に聞いていた歌……。
だけど、それは失われてしまった。
魔力を歌に乗せる高等魔法。それが出来た唯一の魔女は大切な物を守るために自らの喉を捨ててまで力を振るい続けた。
近くにいたはずなのに何もできなかった私。
神童と持て囃された所で、大切なものすら守れなかった無力感に耐えられず、私も一度この地を離れた。
ケステル祭の日にエリザの真実を知ったあの子達。
その中でも特にエリザに憧れていたエースの歌からは、心の内が伝わってくるようだった。
「……随分と古臭い歌うたってんじゃないの」
急に声をかけたせいか、普段はクールなエースが驚きと戸惑いの表情を見せた。
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「アンジェリカ……いや、あ、あんじぇ……様……」
「あー、それやめろ! アンジェリカでいい!」
顔をしかめながら、あ……アンジェリカは言った。
エリザ様と共に私の祖国リュウトを救ってくれた伝説のユニット……RAYのメンバー。
恥ずかしながら成長した姿にあの頃の面影は感じられず、その素性を知ったのは最近の事だ。
「え、えーと……何か御用でしょうか……」
わざわざ向こうから声をかけて来たとはいえ、正直、気まずい。
もともと人との会話が得意なわけではないけれど……。
「はぁ……」
何故か大きなため息を零し、肩を落とすアンジェリカ。
後ろ髪を弄りながら視線を泳がせて、何か言いたそうにしているように見える。
「す、すいません……勝手にRAYの歌をうたってしまって……」
「因縁つけに来たんじゃないわよ!?」
つい下げてしまった頭を起こしていくと、困り顔のアンジェリカはまた大きくため息を落とした。
「……あんた、エリザの声の事で責任感じてんでしょ」
胸が高鳴る。
息が止まり指先が震えた。
歌に魔法を乗せる高等魔法。その力があってこそ、リュウトは魔獣の群れから壊滅をのがれる事が出来た。
だがその代償は……。
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「確かにリュウトを救うのにエリザは無茶やったわよ。たけど、それは別にあんたのせいじゃない」
そう、この子のせいじゃない。
すべては私に力が無かったせいだ。
そのせいで、今度はこの子の歌が罪と後悔で濁ってしまう。
面倒くさい。頭ではそう思いつつ、だからといってどうしても無視できなかった。
「私の治療魔法がもっと凄かったら、エリザの喉も直してやれた。それが出来なかっただけよ」
「そんな事はありません、あんじぇ様!」
顔を上げ強い口調で言うユエ。
「あの時の私に力があれば……RAYに頼らずに魔獣から民を守れていれば……」
ユエの拳に力が籠り、震えは更に大きくなる。
「エリザ様のように……強かったら……」
……ったく、おんなじだよ。
チクリと刺さる胸の棘。
私はだいぶ慣れちまったけどね……。
「甘ったれんな。エリザだったら、そんな事言わねえっつーの」
あいつはやろうと思ったら何も考えずに全部やっちまうんだ。
リュウトのためでも、妹のためでも……。
だったら……。
「やることは一つ、ただやるだけなんじゃねーの?」
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ただ……やるだけ……。
頭が冴えてくる。
そうだ……。悩んでる暇なんてどこにあった?
過去を悔やんでる暇なんて、どこにあった?
未熟なら尚の事、ただ前だけを見て進むしかない……。
「ありがとうございます、あんじぇ様」
「だからそれやめろっつーの!!」
大きく声を上げて、アンジェリカは早足で部屋を出て行った。
いつの間にか小さく笑っていた自分に気づく。
窓の外から雨の音が聞こえていたけれど、私の中では少しだけ迷いが晴れた、そんな気がした。
帰り道。
傘に当たる雨音に紛れて歌声が広場から聞こえて来る。
オルケストラ?
この雨の中で……?
遠くに見える5つの灯り。
観客が雨に濡れないように緑色の草木がまるで大きな傘の様に覆いかぶさっていた。
これは、きっとあの子の……。
さっきとは違う、胸の痛み。
あの子はまだ歌っている。大切なものを取り戻す未来のために……。
「あっ、ユエちん!」
聞きなれた声が緑の屋根の下から聞こえて来て、あっという間に近づいてくる。
「降り出しちゃったから雨宿りしてたんだー。ユエちんも一緒に聞こう!」
有無を言わさず私の手を引くフィオナ。
「こらフィオ! 身体濡らしちゃだめっていつも言ってるでしょー」
ミルフィーユがフィオナの手を掴み、更に私は引っ張られる。
反対の手に持っていた傘が宙を舞い地面にゆっくりと落ちていく。
……これじゃ、雨宿りするしかないね……。
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「ったく、降ってきてるし……」
昇降口から空を眺めて、私は思い出す。
ブリストルに向かう馬車を見送りながら、どうしようもない無力感に苛まれていたあの頃。
私が学園を去る日も、こんな風に雨が降っていたっけ……。
やがてカミラは声を治す研究に、ユズリハは声を治す方法を探しに、それぞれ学園を離れたと聞いた。
クロエに呼び戻されるまで何をしていたっけな……。
さっきあの子に言った事、それはきっと私が貰いたかった言葉。
ちょっとだけ自分も楽になって、ズルいなって思う。
だからだろうか、今日は雨の記憶がいつもより鮮やかに、グレイだ。
濡れるのが嫌で止まる足。
雨がやまないものか、淡い期待を込めて見上げた空の色が急に変わった。
「ほら行くぞ、アンジェリカ」
ピンク色の傘を差しだす、私の相方。
「あんたが迎えに来るなんて珍しい。雨でも降るんじゃないの?」
「もう降ってるだろう」
呆れた調子で歩きだすルキから傘を取り上げて追い越す。
「何をするアンジェリカ!」
「ちっこいあんたが持ってたら私が入れないでしょ」
「小さい言うな! 返せっ!」
いつの間にか雨の音は聞こえなくなっていた。
全くもって、今日も騒がしい。
「ってか、これ、この傘私が前に貸したやつじゃん!」
「そうだったか? どうりで派手なわけだ」
「あんたは地味な方が似合うしね」
「地味って言うなー!」
-fin-
というわけで、ラピライ文芸部活動、二次創作SSの第1弾です。
TVアニメ「ラピスリライツ」の後のお話。
ですので詳しいキャラ説明を知りたい方はアニメ版をご覧くださいませ。
2020年12月23日に発売された
ラピスリライツ・スターズ2ndアルバム「SKY FULL of MAGIC」
に収録された二曲の歌がモチーフになっていますので、ぜひこちらも入手してBGMとして聞きながら楽しんでいただけると幸いです。