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ポエジイ・パンク・ナイト

 芹沢かずさはまだ海を見たことがなかった。いや、今、この列車に乗っているものの中に海を見たことのあるものは一人もいないはずだ。運転手と車掌を除いては。
 トンネルを抜けた。右側の窓の外、凪いだ海が夏の光を浴びていた。その青はかずさの目を抜け、ため息と共に口から漏れていった。
 その後ろの席では、三津なるせが、本当の海というのはこんなものなのか、自分の考えていた海はこんなものではなかった、と、失望を喉奥で震わせながら座席に後頭部をもたれさせていた。

「すばらしい感動量ですね、情報を絞り込んできた甲斐がありました」
 数値を確認したチーフが満足げにうなずく。この日のために、本物の海はおろか、写真すら目にさせないようにして海に対する憧れを育ててきたのだ。実際それは大変なことであったし、費用もかかったのだが、今回得られた感動はそれを補って余りあるものだった。3Nラインを半年稼働させるのに十分な力量になる。大成功だ。
「特に注目すべき生徒はいるかい?」
「8番と9番と23番ですね。9番は表現力も優れています。詩専への推薦を考えていいかと」
「確かに。生産性の高い詩人になれるかもな」
「あとは17番でしょうね。見てくださいよ」
 示されたデータに、所長が目を見張る。
「これはまた、すごい失望値だな」
「ええ。これだけの失望の才能があれば、ドリームマシンへの適正も期待できます」
 生徒たちの未来についてあれこれ話し合いながら、心技官たちは、「生まれて初めて海を見る」という感動でこれだけになるのなら、「生まれて初めて空を見る」場合にはどのくらいの力量が得られるものだろうか、と当然の概算をはじめていた。

 なおも海沿いを走る車両の中、生徒たちの幾人かは言葉を失い、幾人かは言葉を交わしあい、幾人かは言葉を内に秘めていた。
 海はただ輝いていた。
 そして列車は線路に飛び込んできた男を轢き潰して急停止した。

【続く】

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