23.10.10版画の話

今期の石版の授業を経ると、かれこれ4版種コンプリートを果たす。編入生の分際で入学したものの、内心版画をやる気はあまりなく、ブックアートやイラストレーションをやる気満々だった。しかし何故か版画に導かれてしまうのが、私の人生なのだ。版画の神様に怒られるだろうけど、私は版画を望んでないのに版画をやることにいつもなってしまう、というのは高校時代からそうだった。

まぁぶっちゃけブックアートやイラストレーションなどは自宅でやればいいことで、全く異国の畑からやってきた編入の私は版画の技法を、いち早く習得すべき人間なのだ。

来年には4版種から一つ選んで工房に所属するのだが、ついこの間まで木版以外なら正直どれでも良かった。
夏前にシルクスクリーンを初めて体験した時は、描画、製版、刷り、片付け、落版の作業を色数ごとに繰り返さなきゃ行けない手間の多さに1週目は早くも挫折しかけてた。それに初めから完成をイメージしたら後はそのゴールに向かうように作業をするだけなのもあまり腑に落ちなかった。加算方法でしか絵が作れない。
版画向いてないかもーっと思っていたが、やればやるほどに絵が浮き上がるのは良いという感覚で、徐々に好きになっていった。
嫌な部分はあるものの、その障壁と不自由さをどう乗り越えるかを授業期間を終えた後もプランニングして、脳内でラフを考えたりした。またやりたいと思っていた。

それで夏明けに始まった銅版の制作。失礼だが、銅版画はかなり眼中になかった。なんといってもあのどんよりした空気が自分の表現したいこととはかけ離れていた。加えて多色の表現を好んできた私にとって色彩の制約が強く、モノクロと静寂が漂う作品の多い銅版画には関わる気持ちが沸かなかった。とりあえずやっとくかーという気持ちで取り組んでみたものの、腐食したり修正したりいろんな薬剤を使用するが原理は至ってシンプルで非常に良いではないか。まさに版との対峙。すごく良い。

それから描き方がとても多様で、実験ができるのも良い、刷りもすぐにできるから簡単で良い。寒冷紗でインクを擦りとる瞬間はとても気持ちが良い。

そんなある時、非常勤講師であり銅版画家の先生の個展を見に行った。私はまだ話したことも先生の実技を受講したこともなかったが、ちょうど銅版画ということもあり銀座の会場にやってきた。
うん、ど迫力。すごい銅版画って感じ。銅版画独特の奇妙さと爆発的なエネルギーがそこにあった。しばらくじーっと目に焼き付けてから会場を出て、電車に乗り、今度はデイビッドホックニー展に行った。こちらも版画作品が多く、非常に見応えあるものだったが、帰りの電車で思い出したのはホックニーではなく、先生の銅版画だった。

先生のあの線を食べたいと思った。
おかしいかもしれないが、私は響く絵に出会うと食べたいと思ってしまう。なんか。変だろうけど、食べたい=所有欲なのかもしれない。
食べたいという表現がピッタリな気がする。

それで、また銅版の制作に戻り、リフトグランドという方法を大学の先生に教えてもらうと、全てが変わってしまった。
これは複雑なんだけども、自分と思い込んだ作品ばかりつくっていたな…と気づいてしまった。リフトグランドで作られた自分の絵が、不器用で不揃いで、汚くて、素敵だった。
私は美大に入る経緯が邪道すぎたこともあり、前からプライドもクソもなかったが、美大に入ってから自分はこうだよね、みたいなのを勝手に構築して、受験期の孤独鍛錬から生まれたアウトサイダー的な要素と無鉄砲さが消えていたことに気づいた。あの荒々しらがほしい。


本当に教授とはすごくて講評も全く同じことを言われたのだ。良い講評であった。本当に見抜きますよね。今の私はどちらかというとまずは見る目を習得すべきやと思うが。

戦った痕跡が残る銅版の方がシルクより良い。

まぁそんなこんなで、後悔と希望を見出したところで銅版は終わり、石版が始まった。
現在進行形で。
同級生ら何人かに石版が合いそうと言われていたが、実際やってみたところ、もう辛い。
理由を挙げればキリがないし石版の悪口になりそうだが、ごめんな。

まず石版ってのは第一に原理が意味わからん。とりあえず言われるがままにアラビアゴムだとか水だとか、なんか粉とかふりかけたりして、急いでなんかするんだ。もうわけわからん。だから先生につきっきりで見てもらわなきゃ制作が出来ないってのも苦しい。それからこれも一度描画したところは二度と直すことが出来ない、完成を再現するための作業を行う感じ。

あとはシルクスクリーンも同じだが、落版という作業。せっかく作ったものを落としてしまい、同じ版を次のイメージで使い回す。悲しい。

そう考えると、4版種のなかで銅・木版派とシルク・リト派に分かれると友人が言っていたことも分かる気がする。

物質として残るものが好きなのかもしれない。そもそも私はもしかしたら「銅版画」が好きというより、「銅版」が好きなんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?