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僕が相談士のしごとをしてきた理由

僕は主に、若くして癌に罹患され、抗がん剤治療など、妊娠する力をなくしてしまうような方に向けて、医学的な知識を提供する「相談員」という仕事をしている。

この仕事をする中で得難い喜びを感じることもあるし、心が引き裂かれるような苦痛に遭遇することもある。

ただ、この仕事を僕がしていることが紛れもなく運命であったと感じざるを得ない出来事を体験したので、書いてみたい。

相談士のしごと


相談士の仕事は主に、患者さんへの情報提供と医療機関との連携である。
日本人は性教育の普及が、先進国の中でも最低レベルに遅れている。
そのため、ある日突然がんであることを告知され、その受け止めだけでも困難な状況の中で、副作用で将来妊娠できなくなるかもしれない、なんてことを言われようものなら、混乱することは火を見るより明らかだ。

そのため、そのような患者さんがいれば、Zoomなどを使って、今患者さんが置かれた状況を一緒に整理し、情報提供や知識整理を行っていくのである。

カウンセリングとは異なり、どちらかというと「話す」ことに重点を置いているので、会話が上手にできることは必須だ。

それに加えて、

・そもそも妊娠する力はなんだろう、
・妊孕性温存ってなんだろう、

というような産婦人科、生殖医療の領域の知識が必要となる。

また、僕自身は生殖医療相談士という資格を所有しており、この資格を取る中では、多少の心理学的な理解が必要となるため、心理面での知識も基礎的なものは理解している。

また、がん治療医の方々との連携が常に求められることから、
がん治療に関する理解も欠かせない。

医師と医師の間に立って、コミュニケーションを取れなければならないし、
長期的なリレーションの構築というのも必要だ。

こうして整理していくと、この仕事を行う上では、

・話す力
・産婦人科、生殖医療の基礎知識
・がん治療に関する基礎知識
・対人交渉能力

が必要ということになる。
自分で言うのもアレだが、僕は現時点ではこの能力を一定備えているようになったと思う。

では何が僕だけにしかないレア体験なんだろうか。
それを紹介したい。

僕が医療機関に就職するまでのこと


小学校6年生の時、保護者や先生たちに感謝を伝える会のようなもので、
司会をしたことがある。

その時初めて、自分が人の前で話すことが得意な方で、好きな方なんだなということをしった。母にも「なかなか様になっていたわよ」なんて褒められた記憶がある。この話す力だけは、自分でもギフテッドだなと思う。

そのため、就職を考えた時、この話す力が最も活かされるものを選択していくことになり、ゴリゴリの「営業」を選んだ。

持ち前の明るいキャラクターもあり、「対人交渉能力」が社会人になってから特に磨かれていく。

一部上場企業、ベンチャー企業では、この話す力のおかげで、一定の成績を残すことはできたものの、これだ!というものには巡り会えず、転職活動をしていた折、突然、スペインにいる姉から連絡が届く。

「まぁくん、不妊治療に興味ない?海外で働いてみない?」

その当時、転職活動をしていた企業では、正直有名な企業もたくさんあり、好条件も提示してくれた。

ただ、無性にこの職場、領域、BOSSすべてのものが魅力的だったことを鮮明に覚えている。

妻にも相談し、いつもは反対しがちな妻でさえ、「そこに行こう」と背中を教えてくれた。

そのため、僕の転職活動はスピード決着となる。ただ、待っていたのは思いも寄らない結果だった。

晴天の霹靂と逆境でのもがき


僕は海外事業部の責任者という立場で採用された。
海外展開を見据え、その拠点解説、行政との交渉を務め、
僕自身も家族共々海外での生活をすることを前提にしていた。

しかし、諸事情が重なり、この事業は日の目を見る間もなく3ヶ月で終了となる。まさに晴天の霹靂だ。

自分に何ができるだろう。
今更、内定をくれていた会社の方々に連絡なんてできない。

医療者でもなんでもない僕なので、医療機関内でのポジションなんてない。
また、僕によくしてくれていた院長が突然の退任。日曜劇場ばりの展開が怒涛のように押し寄せる。

部署なんてあってないようなもの。
頼りになる仲間はいたけれど、模範とすべき上司もいない。

さて、どうしたものか

という中で始めたのが
マーケティング事業」へのコミットメントだった。

当時、広告に大きなコストをかけていたことは知っていたので、
オウンドメディアを使って認知を広げていこうと考えた。

今は無残な形になってしまったが、妊活ノートというメディアがそれだ。
自分自身で、Wordpressの搭載の仕方を学び、毎日英語の論文を読み、先駆者の方々のブログなどから好まれるテーマを学び、毎日2記事を上げていくということを1年間続けたころ、広告費ゼロにして20万PVを稼ぐほどのメディアになった。

このメディア活動により、クリニックの名前を広まったし、交通広告のコストを大幅に削ることができた。僕自身の居場所も少なからず得られた。
何より「産婦人科的な知識と不妊治療の基礎知識」を学べたことは大きい。

この活動の中で、不妊治療の中でもさらに特殊な領域として、妊孕性温存というものがあることを知り、僕にとっての恩人である黒田朋子さんという方に会う。

黒田さんとの出会いで妊孕性温存の道へ


不妊治療の知識を話せる人は世の中にたくさんいるけれど、
妊孕性温存を必要とする人たちに話してくれる人はいない。
何を躊躇しているんですか。
あなたのことを待っている人がいるんですよ。

黒田さんは僕にそう言い放った。
僕が伝える情報で、その人の人生が変わるかもしれない。

その予感というか、確信にちかいものは、僕を突き動かすように動機となり、妊孕性温存への関わりを求めるようになった。

黒田さんとの思い出は以下にも書いているので参考にしてほしい。

僕にとって、更にありがたかった点は、僕のBOSS(京野廣一先生)は、日本での妊孕性温存の第一人者であり、こうしたことへの理解が誰よりも深い人だったということだ。

2018年3月から、妊孕性温存を検討している方々へ遠隔診療システムを用いた情報提供を行う、という活動を始める。

2018年から第3期がん対策推進基本計画に、妊孕性温存への対応が盛り込まれたことも偶然と思えないほどのタイミングだった。

そうした時の流れの見方もあり、依頼が減ることはなく、これまで230人以上の方々に直接情報提供をさせていただいた。
非医療畑の人間でありながら、論文を書き、Acceptされたこともとても誇らしく思っている。

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