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親ガチャなんだとして

最近、なんでも〇〇ガチャ、という言葉が出てきますよね。

親ガチャ、配属ガチャ、隣人ガチャなどなど。

こうした「運命」を前提として、仕方がない、みたいな風潮が僕はとても苦手です。

仮に親ガチャだとして、自分が優れた領域からスタートできなかったとしても、努力は嘘をつかないと思っているし、実現できる場所は絶対にどこかにあると信じています。

今やインターネットでいろいろなものへの障壁が低下しています。
誰にでも、どこにでもアクセスができる状態で、交流関係も本人の意識次第ではどこまでも広がる可能性があります。

また、親ガチャだとしても自分の世代、次の世代でそうならなければいいと思う。

交通事故はどこかで起きているし、不幸は誰の頭の上にも降ってくる可能性があります。

でも、自分以外の誰かの何かを理由にしていたら、絶対に克服できない。

そして、最も意味分かんないのは友達ガチャ。

友達はできるもんじゃなくて、つくるもんです。
ガチャとか言って、諦めてはいけない。
好きな人と友達になれない自分、というだけであって、
いつだってやり直せると思うんです。

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