論理性と論理的思考力の違い
何事も論理的に捉えたいと考える人もいます。
ただ、その突き詰めの先に何があるのか、と思ってしまうこともあります。
僕自身、これまでの人生でどちらかといえば、論理的なタイプだと思いますが、何度もこのテーマで悩んできました。
「論理的には自分が正しいはずなのに、なぜ思ったとおりにならないのだろう」
そんな悩みに何度もぶつかってきました。
僕なりに感じている、論理性と論理力の違いについて、参考にしていただければと思います。
論理性とは
本当この通りだと思うんですが、僕がずっと誤解していたのは、
論理性がある=正しい
とは限らないという点です。
確かに、本人の主張する論理のきれいさはあるとしても、
その論理で導き出す答えが正解かどうかは別の話です。
また、仮に正解であったとしても、それが重要かどうかは、これまた別の話です。
これに気がつくまでに、どれだけ失敗し、何度も絶望したか数え切れません笑
論理的思考力とは
複雑な物事を体系的に理解する=シンプルにする。
その上で、大きな解決策を打てる。
これが論理的思考力の定義で、長らく僕自身がほしかったものです。
もちろん、今でも十分に得られてはいませんが、これまでのただの論理的な人間から、論理的思考力のある人間に少しずつ近づいている実感があります。
ズームアウトする(俯瞰から見る)
論理的思考力は、俯瞰視と非常に近い関係があるように思います。
ある一つの自分の論理にとらわれてしまっていると、そこの正しさにこだわるがあまり、全体を見失っている場合があります。
自分の論理や考えなどは一回置いておいて、全体の論理を捉える力が欠かせません。
もしこれを不妊治療で言うのであれば、不妊治療という病態の全体像を正確に掴むところから始める必要があるということです。
自分を疑う力
俯瞰から見ていると言っても人間のすることです。
最もリスクとして考えられるのは、「自分自身」です。
自分自身の興味や主義主張に影響をうけて、相当バイアスのかかった状況で俯瞰している可能性があります。
自分自身の目線が一番怪しいよなと思って眺める
否定してくれる心強い味方を得る
間違い≠自己否定
このあたりが必要なことかななんて思うのですが、およそ人が考える論理は、自分のひらめきが正しかったということを証明するために展開される自己都合なものだと思います。
なので、自分をただ納得させるためであれば、それでいいのですが、
問題を解決したいような局面では、全くの的外れとなってしまったりすることもあります。
それでも失敗から学べることもあるので、間違えることも有りだと思います。
しかし、不妊治療の場合は、とても難しい面として、母体の年齢によって、実現できる可能性が大きく変わってしまう可能性があるということです。
そして、自分の論理の納得度なんかよりも、赤ちゃんを得られるかどうかが一番大事なことです。
患者さんに良い情報提供を行い、一番の目的を叶えつつ、論理的納得性も サポートしていきたいものですね。
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