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「また働きたい」と思われる人になる

少しずつ社会のあり方が変わってきているように感じます。

変わってきたというよりは、無理したり、ごまかしたりして隠してきた不都合な事実が目の前に出てきてしまったんじゃないかなって感じがします。

僕自身は、大企業からベンチャーを転々として、今の場所にたどり着いたので、社会というものとは少し距離を置いた位置にいますが、これからの人生もまだまだ長く、隠居するつもりもありません。

多くのことが変わってきたと思いますが、
その中でも労働環境の変化が大きいのではないかと思います。

特にコロナ禍でリモートワークなどが可能になって、自分のセーフゾーンで働けるようになった時、多くの方が気づいたはずです。

「あれ、あの人仕事してないんじゃね?」

ということに。
今までは、会社というどちらかというと上司のホームグラウンドに出社し、権威という衣を来て君臨していたので、疑う余地もなかったものが、簡単に破壊されました。
もちろん、それでも粘り強く復活されている方も多いとは思います。

僕らは上司を敬うように教育されてきました。

特に、大学を卒業して一般企業に就職する際には、大学での勉強はほとんど活用できませんので、その企業内の特殊な文化やルール、評価制度などに「適応」することが求められます。

そうすると、自然と「負け」ます。
その企業内の特殊なノウハウは、時間とともに身につくものなので、教えてもらう必要があるからです。上司には勝てない。

それに加えて、低成長な社会であれば、椅子には限りがあり、先輩方が椅子に座っているわけです。出世をしようにもできる余白がない。
だからいつか先輩がどいてくれる日を待つほかないわけです。

待ちきれない優秀な人はヘッドハンティングなどで抜けていく、辛抱強く我慢をして待っていた人がその椅子に座る。

こんな構図だったように思います。

実際、僕がいたベンチャーではヘッドハンティングをしていましたが、
まさに狙っているのは、「待ちきれない優秀な人」でした。

ただ、この待ちきれない優秀な人がその先でも活躍したかどうかは未知数です。
なぜなら、この方々が優秀だった能力の一部に、上記の企業特有のスキルやその中でこそ活きる経験が含まれているので、思ったよりもダメだったなんてこともあるでしょう。

もともと終身雇用の危うさみたいなものはどことなく感じていた人が多いと思いますが、日々業務に忙殺される中で思考停止になっていて、考えずにきたことが、大きな外的要因によって明るみに出てしまった。

先のことなんて保証されていないし、上にいる人は理不尽だし、
自分はこのままでは報われないんじゃないか。

周りを見渡して、ベンチャーや外資などで働いている優秀な人が羨ましく見えると同時に、なぜ優秀なのかを考えてみると、なにかの技能を持っていることに気がつくはずです。

マネジメントスキルにせよ、特殊なスキルにせよ、なにかにせよカネになるだけのスキルをもっている。

そして、自分を振り返ってみた時に、あれ?自分にはどんなスキルがあったんだっけ?(ないんじゃね?)、ってなります。

それで必死にリスキリングというような話になってきて、使い物にならなくなった人たちの再生産が始まってきているわけですよね。

それでスキルをつけていったとして、いくらかの延命ができるとは思いますが、このままでは詰んでしまうと思うんです。

その時代と自分の能力や経験に合わせた自分の価値の出し方を常に模索し、
それでいて、人間的に優れていることが重要だと思う。

歳を重ねることにも意味はあります。
このアナログな人間性の習熟という部分を忘れて、ただ能力にだけフォーカスした仕事なんてやりたくありません。

ジョブ型の雇用も流行してきていますが、僕は仕事をしているメンバーと分かれても、「あ、またあの人と仕事したいな」って思ってもらえるかどうかを一つの尺度にして、仕事人として生きていきたいと思います。

能力も実績も人柄も揃わないと選ばれない。
だからこそ、自分が人を選ぶ側になりたい(起業する人)と思う人が増えてほしいです。

僕も50過ぎたら起業したいくらいに思ってます笑


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