聲の形とわたし

金曜ロードショーで地上波初だった
聲の形
ですが
私は京都アニメーションの作品ということで、劇場で観た思い出のある作品です


きっかけは大人になって、出会った耳が不自由な同年代の女性とシナリオを学ぶ講座で出会ったこと

講座でいつも補助の手話の人が先生の話を彼女に伝えていました
5分おきくらいに2人が交代して、先生のお話を彼女に伝えるというやりとりをしていました
それまで、私はNHKのニュースで手話の人を見るくらいで、身近で手話を使う人がいなかったので、初めて手話と聾者と出会いました

シナリオ講座なので、文字だけで、伝えたいことを伝える企画書、プロット、小説とは違うシナリオのルールなどを教えていただきました
そして、彼女の作品はLGBTや身体障害について書かれた彼女にしか書けない特別なお話でした
声じゃなくて、言葉、文字で戦ってきた彼女のシナリオのパワーは凄かったです

ただし、シナリオ講座中、私もなかなか彼女に声をかけれずに、初めて話をしたのはシナリオ講座の打ち上げの日でした
タブレットで書いてやりとりをしたこと
がきっかけで今でも会ったら全身全霊で手を出して振るし、彼女にわかるように口を大袈裟に動かして話します
※タブレットがない場面で、唇を読んで会話ができるように努力します
私ができる手話は名前とありがとうくらいなので、コミュニケーションをとるためにマスクを外して、ゆっくり大袈裟にお話をします

そんな彼女がFacebookで
聲の形のバリアフリー上映
の話をしていて、私もバリアフリー上映デビューをしました


あらすじは聞いていたものの
物語冒頭のいじめは見ていて気持ちのいいものではありません
水をかけ、落書きをして、補聴器を投げ捨てて遊びます
そして、彼女は手話で首を絞める素振りをして、死にたいと妹に話します
それはそれは胸糞悪い、涙が出てくるようないじめです


けど、ここでこのアニメを観るのに折れないで欲しいと伝えたいです
Twitterを見ていたら、

いじめが酷くて、観るのやめた

みたいなことが書かれていました
物語の本質は酷いいじめを見ることじゃないです
この物語はこの酷いいじめと過去の自分と向き合って、自分に向き合う主人公たちのお話です


昨日のnoteにあるように私は
川井みき
みたいかもしれませんと書いたが
いじめと向き合わないことは
佐原みよこ
みたいかもしれません


彼女は優しくて、臆病で、西宮硝子にとってまた逢いたい数少ない友達でした
そして、西宮硝子にとって不登校にしてしまった、不幸にしてしまったと思っている人の一人でもありました
しかし、佐原みよこは不幸とは思っていません
手話を独学で覚えて、高校では後輩に慕われるような、駅の中でたまたま見かけた西宮硝子を見つけて走ってくるような、優しい女の子です


戦争のお話でも、いじめのお話でも、目を背けてはいけない
と思ってます
誰が悪かったのか、どうして負けたのか、そういうことじゃなくて、そんなことが起きたことを知らないといけません

祖父母が沖縄で地上戦を生き抜いたから
私は生まれることができたと思っているし
いじめ、差別、偏見を知るから
私たちはきちんと向き合えると思ってます


耳の障害について、補聴器について、いじめについて、知らないことを教えてくれる作品です
そして、いじめから立ち直り、生きることを諦めない作品でもあります

どうか目を逸らさないで観て頂きたい素晴らしい作品です



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