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「らしさ」って何だろう

私は性別も性自認も同じ。
だが、幼稚園の頃から「女の子らしさ」が分からなかった。
フリルのスカートやプリンセスなどが嫌いなわけではないが、憧れでもない。
「女の子らしくしなさい」という言葉が分からず、心に引っかかっていた。
どちらかというと、自分の行動を矯正されている感覚が嫌いだったのだろう。


仮面ライダーが好きだった。と言っても番組視聴を許されていなかったので、「仮面ライダーの本」を買ってもらい、それを千切れそうになるまで繰り返し読み込んでいただけだが。

それでも、戦う姿やそのフォルムにワクワクが止まらなかった。
同級生と一緒に仮面ライダーごっこをすることもあった。

頻繁にではなかったが、祖母から「女の子らしくしなさい」と言われた。
強烈に印象に残っている。言われて湧いたこの感情は、間違いなく反抗心だ。

「楽しんで何が悪い」

悪いことをしてその反応では、呆れて言葉も出ないが、「男の子と遊んでいるのは女の子らしくないからやめなさい」なんて言われて、そう思っていけないことはないだろう。

残念ながら、当時の私は(いや現在に至ってもだが)本人に自分の気持ちを伝えられなかった。おとなしく従うしかできなかった。


現在に至るまで、らしくしなさいという言葉に悩んだ記憶が鮮明にあるわけではない。心の隅に刺さった小さな棘のように時々痛んで、ふと考えるような感覚だった。

胸まで伸ばした髪をばっさりと切ったのは、ちょっとした反抗心だったのかもしれない。

髪を切ってしまうと、ズボンを愛用している私はぱっと見て性別が判別しにくくなった。
夜の街を歩けば「ちょっと、お兄さん」と声を掛けられることが増えた。

結局、性別判断は見た目なのだ。

だが「女らしさ」「男らしさ」は、見た目ではない。

男なら泣くもんじゃない。
女なら優しく笑顔を絶やさない。

ここであげるのも馬鹿馬鹿しいので細かく書かないが、ようは「どのような行動がよりその性別らしいか」ということだけだ。

そんな二元性で片づけられるなら、血液型占いは間違いないし、最近流行りのMBTI診断がすべてになる。

もしかしたら根底にあるのはただの反抗心なのかもしれない。
それでも。
ただの分類を押し付けられて生きるほど人生は長くないし、楽しくないのだから、そんなことに構っていられないのだ。

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