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「がんばろう 日本!国民協議会」第13回埼玉読者会(R3.2月)

これは、「がんばろう 日本!国民協議会(http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/)の機関紙、「日本再生」の読者が毎月行っている読者会のうち、埼玉の会の報告です。
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「今回のテーマ」
① 国民は統治の対象者、客体ではない、統治の主体である、とはどのような意味か
② 人権民主主義におけるその思想と政策観とは何か
③ 政治的中立とはどのような立場なのか

【SUMMARY】
統治の主体、人権民主主義。今回は沢山新しい言葉がテーマの中に提示されました。政治の話をしてはいけないのではなく、皆がそれぞれの主張や哲学を持っていることを受け入れたうえで話し合いをすることが政治的中立の根本的な考え方であり、私たち一人一人が社会をつくる担い手であるが、その過程においては「人権」を意識することが欠かせないことなど、今まで話しあってきたことと自分たちの体験をもとになんとかイメージを膨らませて考えました。

公と私、営利と非営利。まちづくりの担い手は無報酬が当然?

私たちの住む「地域」は、様々な人々の活動に支えられています。行政、議会、民間企業、市民団体、個人。地域課題に対し、それぞれが違う立場から関わることで取り組みに厚みが生まれ、自分にはない視点、手法を知ることもできます。ですが例えば行政の職員ならば給料、議員は報酬があったうえでの活動になりますし、同じく非営利と銘打った活動をしていても、市民活動団体や個人は無報酬でも、民間企業のCSRであれば、当然給料が発生します。では、報酬がある人はまちづくりに関わっていないのでしょうか。税金から報酬を得ているのだから地域のために働くのは当然で、企業は「儲ける」ために非営利のふりをしているだけだから「公」ではなく、無報酬のボランティアが「偉い」のでしょうか。そうではない、それぞれが地域で生きる「当事者」であり、主体的に関わっていくのだけれど、しかしそこには報酬の有無が存在する。そのことは意識するべきだが、その結果安くやってくれる、無報酬でやってくれるところにばかり負担がいくことはおかしい。報酬をもらっていても公であると自覚したうえで「自分たちが地域を運営する」ことをすすめていくことが大切という意見に皆うなずいていました。

今なぜ「人権民主主義」なのか

私たちは誰も「人権民主主義」という言葉を使ったことがありません。そもそも「人権のない民主主義」は成り立たないからです。しかし、1968年革命(フランス全土に広がった社会変革を求める大衆運動)以降個人主義が肥大化した結果新自由主義が蔓延し、社会問題や人権問題が社会化(人々が心から他者に働きかけ、影響を与え合う)しなくなってしまったという現代は、成立しえないはずの「人権のない民主主義」が日常化しています。民主主義は少数意見を聞くためにあるのであって、大多数の意見を通すためのものではありません。この状態を再度社会化、つまり社会の課題を様々な意見を持ち寄って話し合い、解決していくということと、個人、人権の尊重を両立させることがこの「人権民主主義」という言葉なのではないかという推測に今回はとどまりました。今後、さらに討議をすすめ、なぜ今あえて「人権」ということばを掲げる民主主義が求められるのかについて考えていきます。

政治的中立で「あるべき」社会は、本当に中立か?

今回意見が集中したのは「政治的中立とは」ということでした。政治的中立という言葉もまた、受け取る側の意識がどこにあるかで変わってきます。今回は「日本は政治的な対立が激しくなっているから、あえて政治的中立を保とうと言って場を収めようとする、本来生きていれば皆意見、思想があるのだから、政治的に中立という状態にはなりえない」という意見、「政治的中立という言葉から連想するのは教育である。教育を行う上での政治教育として求められる「中立」が、いつのまにか政治の話をしてはいけない、触れてはいけない「中立」にすり替わっている」という意見、反対に「日本の教え方はこうあるべきだという「あるべき論」が強く、反対に中立的ではないのでは?」という意見も出されました。また、18歳で選挙権を得ているにもかかわらず、高校生は学校外(インターネットを含む)での政治活動に関して本人又は他の生徒の学業や生活への支障等を理由に禁止・制限を可能とするなど、認められる自由は極めて限定的になっています。投票には行きなさい、でも活動をしてはいけませんという教育では社会に主体的に関わる国民を育成することはできません。高校生がこういう状況であることを知らなかった、私たちは、自分たち自身が学びを深め、考えることと並行して、自分の住む地域、社会に主体的に関わろうとする人間を育成するためにはどのような教育が必要かを考えていく必要があるとの感想となりました。
一方的な主義主張に偏るのではなく、皆が意見を出し合って社会を動かそうとすること。政治的に中立であるとはそうしたもので、その話題を避けることで自分が非難されないようにすることではないのです。民主主義は議論するから時間がかかります。しかし、その話し合いの中で人間の認識は変化し、当事者意識、主権者意識が醸成されていきます。そうした主権者たちが「統治の主体」となるための「場」、コモンズを沢山つくることがやはり重要であるということが今回の結論です。

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