推しがB級2組に落ちた翌日の話


素晴らしい戦いでした。

時計がてっぺんを回っても両者にチャンスがある大熱戦で、「まだある! まだまだいける!」とファンは目を血走らせ時間を忘れて応援し続けていました。盤に身を乗り出し、鋭く四方へ視線を走らせる推しの雰囲気からも、全く諦めていない様子が伝わりました。しかしとうとう矢折れ刀尽き、2022年3月10日午前0時20分、私の推し、木村一基九段のB級2組への降級が決まりました。


翌朝の目覚めはまあ最悪でした。しかし食うためには仕事に行かねばなりません。オレは今、全国の木村ファンと同じ気持ちだと思いながら、泥が詰まったような頭を抱えて職場に辿り着きました。途端に声がかかりました。

「がんばれさん、今日はA先生の陪席お願いします。」

(  Д )    ゚ ゚

私は病院で事務の仕事をしています。日によってはドクターの横に控えて診察のサポートをすることもあります。どんな指示が飛んでくるか分からず気の張る仕事で、今日だけは正直やりたくありませんでした。

A先生のとこに挨拶に行ったら、また今日に限ってえらく機嫌が悪いのです。A先生は病院全体のことも見なければならない立場で、またぞろ何か問題を抱える羽目になったのでしょう。機嫌の悪さなら今日は私も自信があります。診察室に入ってきた患者さんに低い声でおはようございまーすと挨拶をした瞬間、昨夜の光景が頭に浮かびました。

終局後、木村先生は記録係の帰宅手段をすぐに確かめていました。対局場で感想戦をやっても大丈夫と分かると、いつもの柔らかな調子で検討を始め、心を乱すような様子は一切見せませんでした。記録係に遅くまでお疲れさまと声を掛けてから、「離席中に指したときは『指されました』と教えてあげるんだよ」と、指摘するべきところをしっかり指摘して、もう一度労を労いました。それから、「(千田七段)上がったの?」と記者の方に尋ね、昇級ならずの結果を聞いて「ごめんね」と千田七段に侘びました。「いえ。覚悟の上でしたから。」答えた千田七段も立派でした。

しんどい時にこそ人間の本質があらわれます。

翻って、今朝の私のしんどさなど木村先生に比べれば何だと言うのでしょう。ふんぬ、と顔を上げました。明るい表情を作って、尿の勢いがどうもねえとこぼす患者さんに困りましたねえと頷き、先生の言葉に全部笑顔で返してみました。やけのやんぱちと言えばまあそうなんですが、根が単純なので、努めて朗らかに振る舞っているうちに何だか楽しい気分になっていました。次第にご機嫌が直ってきたA先生も言いました。

「まーあれだな、ウクライナのことを思えば、僕らの悩みなんか小さいもんだ。しょんべんの出が悪いだの、病院の経営だの、大したこたぁない!」

そのとおりだ!!!!!

患者さんと三人でわっはっは!と笑いました。

頭の中の泥がぽーんと飛んでいったような気がしました。少し涙が出ました。

あのとき私は救われたのだと思います。

終局後の木村先生の振る舞いを思い出さなければ、暗い表情のまま仕事を続けていたことでしょう。降級を憂える気持ちを奥底に抱えていなければ、A先生の軽口が私にあれほど響くこともありませんでした。推しのがんばる姿はこんな風に形を変えて、生活の端々に光のように射し込みます。


「応援する」とはどういうことなのだろう、と時々考えます。画面越しにどんなに応援しても念じても、推しには見えないし聞こえもしません。何か少しでも具体的な力になれたらと願ってプレゼントやファンレターを送ることもありますが、一生懸命念じているこの気持ちそのものは、推しの力に直接変換されたりしないよなあと虚しく思ったりもします。

けれども全く関わりなく暮らす日々の中で、推しを応援する気持ちが少しだけ自分の背中を押したり、世界を美しいものに変えたり、人に良い影響を及ぼしたりすることがあります。ファンがそうやって少し前向きに自分の周りを動かしたら、それがトータルで大きな波になって、推しをうまいこと乗っけたりしないかなあと夢見たりします。推しのがんばる姿を光のように懐にあっためて、自分の周りのことを何やかんやがんばる、これも立派な応援だと思うのです。


木村先生をたくさんの人が応援しています。

これはすごいことだと思います。

がんばる姿をいつも見せてくださることに感謝して、私も応援し続けようと思います。



おわり

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