ゼラチン


 生理がきて外も雨だから、せっかくの休日がさっさと終わってほしいだけの日曜日。
 この先期待することなんてなにひとつないかのように、私は機微のない心をもてあましている。こんな日にふっと生きることやめに走ったりしかねないかもなあなんてことを思うのは、元来、この私に宿る自殺願望の露呈なのかしら。どうなのかしら。
 お腹いたい。
 イライラしてんのかな私。これはイライラか?
 やる気のないときのおまえはただの役立たずだ。そこんとこわきまえなさい。わきまえつつ、せいぜい無感動な、限られた機能を果たすだけのモノに甘んじてろ。
 ゴッドファーザー、もといゴッドマザーは私。おまえはゼラチン。役立たず。返事は要らない。ご機嫌取りもいい。そういうのにうんざりしているからこそ、私はあんたに喋るのだ。
 な。
 ゴッドマザーなんて響きはちょっと大仰かもだけど、私はいろいろ名前をつける。ケンちゃんがケンちゃんたる所以は、アルコールに身を任せた私の、ほんのいっときの厚かましさからである。「近所にいる子っぽい名前だからやめてよ」と笑う彼をみて、なんとなくよっしゃと思った。
 こいつは落とせる。
 で、本当に落ちた。
 一緒に暮らしてみてわかったことだが、名づけたことで芽生える感情ってのは確かにある。何割増しかで、愛おしく思える。たとえばその人、私の場合でいうケンちゃんが第一印象となんだか違うってときも、まあ、いいかってなる。私は別に意外性とか好きじゃないはずだから、これはやっぱり、私がゴッドマザーであるがゆえなのかもしれない。
 そもそもケンちゃん性格がよくないとはいわなくとも、心はだらしなくて、嫌なこととかすぐ顔にでるし、それに対して私が呆れようもんなら、それに傷ついてより一層深刻化するからけっこう面倒くさい。私は面倒なのも嫌いで、なんだよてめーまた塞ぎこんでんじゃねえよとか、人に当たるとかしょーもないことしてんじゃねーとかつい口走っちゃって、自ら正面衝突を臨んだりすることもあり、このあいだなんてついには取っ組み合いにまで発展して頭突きを見舞った。ケンちゃんは信じ難いといった表情でおでこを押さえたあと、「やりすぎ」と笑った。力なく。ああもういま思い出してもそうなのだけど、そのとき私の胸は痛いくらいにしぼんだのだった。私はこれまでもずっとそんな感じだった。けっこう、自分の感情をまっとうできない。肝心なところで、というかスタートの時点で、この感情についていけないなってどこか思いつつも、抗えなかったりする。
 私たちは今日も同じ部屋で、ベッドの上で隣り合ってすごせている。不思議なもんだ。今日なんかはもういろいろ不快なことが重なってどこにも出かけられないけど、まあいいかって、ちょっとは思う。
「夕飯どうしようか」
 私は彼の目を見ずに聞く。返事がくるまえに、「なんでもいいはナシね」と付け足して。
「あー」と彼。「どうしようかなあ」
「どうしようかね」
「本当になんでもいいんだけどなあ」
「わかった」
「あ、いつもなにつくってもおいしいよって意味だよ」
「だからわかったって。じゃあ冷蔵庫に残っているやつでなんかつくるよ」
「うん。お願い」
 といわれたところですぐには動かず。私はうつぶせになって、湿っぽいシーツに顔をうずめている。
 ねえゼラチン。
 私はこれからも、ある程度大丈夫なんだろう。根拠は全然ないもんだから、時たますごく不安になるけど、そういうネガティブも、なんだかんだで意外と脆い。
 私は彼に呼び名をつけたときから、きっとずっと彼のことを好きになるって予感がしていた。で、それ相応の見返りがあって当然だとも。傲慢だなあ。自分でも思うさ。でも私はそれを疑わずに、そのままいまに至っている。
 ゴッドマザーには「後見人」といった意味合いの方が強いみたい。親に次ぐ責任を持った者。
 じゃあゼラチンよ。私はおまえの後見人でもあるとするのなら、おまえの面倒もずっと見なくちゃならないの? 
 うーん。
 いいよいいよ。あんたはケンちゃんほど面倒くさくないしね。あはは。
 ベッドから起き上がり、窓を開けた。雨は大粒で、でも静かだった。貼りつくような冷気が、その湿った香りが、私の頬を通りすぎ、後ろへと流れていく。
 おもわず息をはいた。頼りない私の空気は、一瞬で流れに飲まれ、消えてしまう。なんだか泣いてしまいそうなのは、鈴の音を聞く犬と同じで、べつにきっと意味はない。
 これまでがそうだったように、私はいまも相変わらず根拠とかが大好き。欲してる。でもそれってなんかダサいっても思っている。信じるとか。ばかかよ。
 綺麗な言葉のその価値を、私は保ち続けていたい。
 そういうこったゼラチンちゃん。そんじゃあまたあとでね。私、夕飯つくらなきゃだから。
 ベッドから抜けだす際に、私はケンちゃんの日に焼けていないだらんと伸びた青白い足をペチンと叩く。「なんだよー」なんて眠たい声で、彼はぐいっとパンツを上げる。
 窓の外から流れ込んでくる風に、ほんのりシャンプーの香りがまじってて、だれか、どこかにでかけるんだろうか? なんて考える。
 まだぜんぜん遅くないしね。



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