歓待 Chapter2

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 午後六時半。日が落ち、部屋がどっと暗くなったので台所の蛍光灯を点灯させる。なにかをやらかした記憶はない。一方で、なにもしていない人間にここまで労力を費やすだろうか? とも思う。
 でも「ありえない」という結論は俺の味方にはなりえない。
 水で口を何度もゆすいだあと、コップいっぱいの牛乳を飲む。洗浄目的だったけど、久々に運動をしたこともあって体が補給を喜んでいるような感覚がある。三宅係長にもらった缶コーヒーは、水で血を洗い流したあと冷蔵庫に入れておいた。すべての部屋の戸締りを確認し、カーテンを閉めると、ふたりの持ち物を漁った。若い方の男は月村という名前の二十五歳。尻ポケットからS&Wと刻印された折りたたみナイフが出てくる。三宅係長からはジッポライター。ふたりを浴槽まで運び、床の汚れをいらないTシャツで簡単に拭き取る。その最中に先生からの電話が入って、俺は福祉課の人間が来たこと、発作用の薬としてよくわからない薬物を飲まされそうになったことを伝えた。
「福祉課の職員はどうしていますか?」
 嘘をつこうかな、と考える。だがどう時間を稼ごうと俺はここから離れることができない。いまだってこんなふうに手を動かし続けることで精神の均衡を保とうとしているのだ。
「東條さん、なにがあったんですか」
 俺は可能な限り最も早く、薬を届けてもらえる方法を考えている。

 口内の水を薬ごとシンクに吐き出した俺は、まず三宅係長の喉を指の骨で潰した。足元のキッチンラグに足を滑らせた三宅係長は尻餅をつくので、俺はその真上にケトルを放る。まだ熱湯と呼べる温度の液体を全身に浴びた三宅係長は悲鳴を上げ、湯気が天井あたりまでいっきに立ち上った。振り返ればベルトから抜いた特殊警棒をひと振りで伸長させた男が向かってくるが、振り下ろされた腕を肘で受け脇に挟みこむと、至近距離に男の顔がある。メガネは立ち上る蒸気で右側だけが曇っていた。頭突きで鼻を潰すと、メガネがずり落ちるのがわかり、反射的にそれをキャッチする。選択に次ぐ選択だ。メガネを力強く握りしめるとフレームがへし折れ、その断面を男の目に突き立てた。叫び声とともに開かれたその口に手のひらを突っ込むと、下の歯に指をかけて握り、シンクの角に叩きつけた。一度、二度、三度。三宅係長が立ち上がる。俺は男の口から手を引き抜くと、折りたたんだ肘で三宅係長の頬骨を砕き、足首を踏み潰す。約八十キロの体がフローリングを鳴らした。続いて苦痛と焦燥に歪む顔が俺を見上げるだろう。頭の中には相変わらず膨大な量の情報が飛び交っている。どれを選んだって三宅係長は死ぬ。真上から首の骨を踏み抜き、足首を力いっぱいひねった。
俺の呼吸する音だけが残った。

 これがどれほどの事態なのかを考え、受け入れ、戦き、態勢を整えるべきだろうか?
 そういう手もあるだろうと俺は思うが、必要とまでは思わない。

 不意に駐車場から音が聞こえる。
 すぐさまカーテンの隙間から覗くと、白のバンが二台停車するところで、スライドドアが開き、中から男たちが降りてくる。十名以上いる。襟ボアのついた作業用ブルゾンを着て各々道具を持っている。道具というのは、金槌や手斧やナイフのことだ。
 到着があまりにも早いのでおそらく近場で待機していたのだろうが、だとするとやはり初めから事は大袈裟だ。俺の頭は混乱を増すばかりだ。まあなにもしていなくとも毎日混乱しているも同然なので、多少の混乱にも耐性が付いている気はする。気のせいかもしれない。いまはそんなことどうでもいい。
「すみませんちょっと離れます」
 そう、俺の頭はどうでもいいことにばかりに縛られている。シンプルな目標を設定し、その達成だけに集中すればいい。つながったままの携帯をリビングのミニテーブルに置くと服を着替える。玄関のドアをはじめとして鍵はかかっている。まだそれほど焦ることはないはずだ。クローゼットにある服のうち、最も厚手で生地の固いハンティング用につくられたジャケットを羽織って黒のワークパンツを穿き、ニット帽とネックウォーマーを身に付け、置いてあった「脳」をクローゼットの中に仕舞うと急いで玄関まで向かう。階段を上がってくる無数の足音が轟いている。靴箱から鉄板入りのワークブーツを取り出して片足ずつ履いているあいだにドアがガチャガチャドンドンガンガンガンとやかましいので俺もブーツを履ききった方の足で内側から蹴り返す。ドン! バンバンバン! とやっているうちにさっきからベランダの手すりがガリガリ音を立てているような気がして、まさかと思う俺は直後、ガラスの割れる音に全身を粟立たせた。それはベランダの窓ではなく、トイレについた小さな小窓からした音らしかった。ドアの向こうのやつらが我先にと暴れているのだ。縦面格子の隙間から硬いもので誰かが殴ったのかもしれない。あるいは格子が外されたか。あの小窓から大の大人が入り込めるものだろうか? などと考えながら玄関→台所→リビングと移動してカーテンを引く。ベランダの手すりに、脚を全開にした脚立が二つもかけられていて、駐車場から続々と人が登ってくる。数が多い。即ち、できるだけ殺傷力の高い武器を使わないと体力がもたない。そもそも俺は療養中だ。悠長な真似はできない。
 解錠した引窓を開けた。まず目の前の脚立をのぼってくる茶色い坊主頭の若い男の顔面を逆手に持ったナイフで浅く素早く突き刺すこと三回。悲鳴を上げて顔を押さえるが片手はしっかり脚立を握ったままだったので並んだ指を真一文字に切りつけると落ちていき、下で待機中の仲間が慌てて受け止める。さらに脚立を押し返してざまあみろと思う俺だったが、もう片方の脚立からは坊主頭のオッサンがベランダに一番乗りしていて、手斧がわずかに腕をかすめるがお返しに正面から喉を突き刺し、血が顔に飛んでこないよう斜め下に引いた。その見開かれた目は一瞬だけ自らの死への哀悼を望んでいるようにも見えたが、俺は俺の頭の暢気さに辟易する。即座に手斧を奪いとると右のナイフと持つ手を交換して二つ目の脚立も(別の男が登り始めようとしていたところで)押し返す。ガソリンがあれば一気に火でもつけてやりたかったが、いまできる最善を尽くすしかない。その積み重ねこそが俺の命を永らえさせる最大の策となるはずだ。
 室内に戻って窓の鍵もしっかりかけ直した俺は、玄関の様子を見に行く。トイレの他に浴室の小窓もガラスが割られているが、格子はまだ外せていないようだ。とそこで鍵の解除される音が響き、チェーンロックが勢いよく張り詰める。隙間から無数の顔や手足が見えるので俺はすぐさまドアノブを引いて閉めようとするが、男のひとりが腕を差し込んで隙間を作り、「切れ! 切れ!」と叫んでいる。別の男がボルトカッターを隙間から差し込んでチェーンを切断しようとしていたので、俺は差し込まれた腕を追い返すように手斧で滅多打ちにした。一打目で甲の骨が露出し、三打目で複数の指が同時にひしゃげる。そいつが悲鳴を上げて暴れているせいもあってボルトカッターも狙いが上手く定まらない様子だったから、俺はなんとかドアを閉め切ってもう一度鍵をかけなおす。
 よし。
 とはいえ一度は開けられたのだ。ちょっとの時間稼ぎにしかならない。
 ベランダのガラスを破って男がリビングに上がってくる。もちろん土足だ。俺も土足のはずなのに気になってしまう。寝室の方でもガラスの割れる音がする。俺は靴箱の上から消火器を取るとピンを抜いて噴射しながら前進、そのままリビングではなく寝室に入って同じように窓から入ってくる最中だった男の顔面を消火器の底で殴り、続けてベランダに出ると手すりをまたごうとしていたもうひとりにも一撃。そいつは無言で落ちていく。ふと気づいたが月明かりの綺麗な夜だった。鼻が潰れた男の元に戻った俺は頚動脈にナイフの刃を当てて勢いよく引く。ブシュー、ブシュ、ブシュとリズムをもって血が噴き出す。それは白い壁を染める。俺のつくったくぼみにもわずかに溜まっている。白い消火剤にまみれた男が台所側から寝室に入ってくる。その背後にはさらに複数名の気配がある。玄関のドアが破られたようだ。手斧を投げつけると男の胸に直撃して粉が飛び散るが突き刺さった様子はないので飛びかかってブルゾンの襟を掴み、その胸元をナイフで三度刺す。その間にも寝室のドアに男どもが押し寄せるので俺は死体の襟元を掴んだまま力の消えいく男を盾に手斧や特殊警棒の攻撃を防いだ。死体が揺れるたびに俺のつくった刺傷から血が跳ねて顔にかかる。脇に放ってフローリングを移動した俺は落ちていた手斧を拾い上げ、向かってくる腕という腕を次々と薙いだ。顔に飛んでくる血を呼吸とともに噴き出しながら顎を砕き、首を裂き、目を潰す。血で脚が滑り、二人がかりで一気に覆い被さられる。俺はすぐさまナイフでひとりの脇腹を刺して捻り、近くの爪先を手斧でたたき潰した。いまの時点で何人を殺しているのかを考えるのはもうやめる。俺の頭はバグりやすいので酷使には向かない。
 それんなことよりも奪い取った金鎚が軽くて振り回しやすいことが俺は嬉しい。刃がめり込む心配もないのがよかった。部屋を移動しながら次々襲ってくる連中の頭を叩き割っていけば、顔に生々しい切り傷のある男がでかいナイフを手に立っていた。もしや最初の男か? 向かってくるので腕をとって背後に放り投げると、窓を突き破ってベランダの柵に頭をぶつけ、そのまま動かなくなる。どうせ死んだふりだ。俺は倒れるその男の頭に金槌を振り下ろし、頭蓋がぶよぶよになったところでやめる。
 次は?
 振り返るも、俺の呼吸音しか聞こえなかった。各部屋をまわり、横たわる男たちの頭も確認のために一発ずつ殴っていく。ぜんぶで十二名もいる。ここにきて俺はちょっと怖くなる。一ダースのドカタ軍団。俺を殺すために?
ニット帽とジャケットを脱いでリビングの姿見で全身を確認する。切り傷や痣が山ほどある。ふと足元に無事なままの携帯を見つけたので、拾い上げるとまだ通話がつながったままだった。
「もしもし先生」
「東條さん?」
「よかった。先生、薬の件なんですけど、なんとかなりませんか。この場所を出なきゃまずいんですよ。そのためには薬がないと」
「落ち着いてください、まず、いまはなにしてるんですか? だいじょうぶですか?」
「だいじょうぶではないです」
 十二人も来たのだ。
「もう危険はないのでしょうか?」
「そうは思えません。ちなみに彼らは土木課でしょうか」
「土木課? すみません東條さん。詳しいことはなにもわかりませんが聞いてください。薬の件ですが、最短で届けるには私がそちらに直接向かう必要がありそうです」
「それは危険ですね」
「でもそれが最短です」
「みんなさっきから到着が早いんですよ。たぶん周りで待機してるんだと思います。次もどうせもうすぐでしょうし。最短とはいえ、そちらからだと数時間はかかりますよね?」
「そうなりますね」
「わかりました」
「申し訳ありません。それとあの東條さん、その音はなんですか?」
 俺はフローリングにうつぶせになった男の頭を何度もカナヅチで殴っているところだった。じっとしているのが嫌だった。
「あ、すみません」
「電話、つないだままがいいですか?」
「できればそうしてもらえるとありがたいです」
「そうしておきましょう」
 嬉しくて息が震えた。




Chapter3に続く


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