ナイル野球用品〜知られざる『ドカベン』殿馬のモデル〜

『ドカベン』というか、水島新司作品のスポンサーであったナイル野球用品。製造メーカーである殿村運動具店の二代目は父の高校、大学の同級生であり、父が50歳代までとても近しい間柄であった。
今とは時代背景が異なり、持てるものが持たざるものを助けることは自然に行われていたようで、殿村さんとどこかへ行って自分で財布を開けるようになったのは社会人になって20年近く経ってからだったと後ろめたさもなく話す父の図太さに感心していた。大学に入るために一緒の列車で上京して、帰省の際には自分の家ではなく殿村家に戻り、家業の手伝いで殿村さんが家を空ける中で、勝手に冷蔵庫からビールを取りだす息子の友人を許すお母様も懐が深かった。また、まったくお金がないにも関わらず、長男を身籠った母親と結婚式を行うにあたり、お金の工面に奔走し、果ては友人代表としてのスピーチまでかって出てくれたのも殿村さんだったという。大阪のスポーツメーカーということもあり、南海の選手、それと同じ南海ファンの水島新司氏とは特に仲が良く、我が家で殿村さんの話を聞くときよく話題に出ていたことを思い出す。
隅田川沿いの墨田区本所に殿村運道具店(変遷があり、最後はトロップスという社名だった)の倉庫があり、父が70を過ぎた頃、一緒に散歩をしていたとき倉庫の前を通った。閉じているシャッターには管財人の差し押さえの紙が貼られており、それを見た時の父の驚きと寂しそうな顔が今でも忘れられない。殿村さんとは長年疎遠となっており、会社が破産していたことも知らなかったようだ。
高校時代、殿村さんとは野球部でも一緒で、その1学年上にはデサントの石本さんがいた。同じスポーツメーカーの御曹司として、殿村さんと石本さんの距離は卒業後も相当近かったはずである(後ほど調べるとトロップス社はデサントに1億以上の負債を残して倒産していた)。父が50を過ぎたある時、高校、大学の同級生の(日本屈指のタニマチと言われた)泉井さんから石本さんを紹介して欲しいと頼まれた。大学のサッカー部の後輩、川淵三郎さんと親しく、泉井さんは低迷期から日本サッカー界のタニマチもしており、サッカーには縁のないデサントというスポーツメーカーとのビジネス機会を探ったものと思われる。泉井さんも当然、殿村さんと石本さんの関係を知っていたが、既に殿村さんの会社の経営状態が芳しくないことが周知されていたため、気を遣って父にセッティングを依頼したのだと思う。父は父で殿村さんを外してその機会を設定するわけにもいかないので、殿村さんに声を掛け同席を頼んだ。その席で、殿村さんの胸の中に何があったのかは分からないが(父はプライドを傷つけてしまったのではないか、と言う)、相当荒れたらしく、それ以来、殿村さんと会う機会がめっきり減ったのだという。
幼い頃から殿村さんの話を耳にしてきたのだが、結局一度もお目にかかれなかった。常に父を支えてくれた殿村さんは御坊っちゃんで、スマートで、背が高いという外見のイメージを僕は勝手に築き上げていた。
数年前、はじめて殿村さんの姿を写真で見せてもらった時、まさしくそこにはドカベンのトノマがいて、はじめてこれまでの断片的なストーリーが一つの形になった覚えがある。

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