年収一千万を超える家庭でないと子供を東大に入れるのは難しいとか、嫌な時代だなあと思いつつ、実のところ父の時代から教育にはお金が必要だったようだ。
天王寺高校は公立だが、越境した子供に一人暮らしをさせるとか、遠方からの汽車賃を出せるといった経済力のある家庭の子どもたちばかりが集まっていたのだという。
その中で極めて貧しかったのが、父と森田さんという方であった。父は母子家庭だし、森田さんの親も苦労されていたらしい。
天王寺高校では毎回テストの結果が張り出され、会を重ねるに従って250人いる学年の生徒の定位置が決まってきて、父は常に下から50番目以降に顔を出していた。
父の同窓生には華麗な経歴を持っている方は多いが、実際父が深く付き合ってきたのはその下位50位以内に位置し、私立大学に進んだり、進学を諦めた方たちがほとんどだった気がしている。年間40数名京大に行くような環境にある中で、父の親しい方で東大、京大出身者の話をほとんど聞いたことがない。
そんな中で晩年まで親しくしていた天王寺高校上位成績者のお一人が厳しい環境の中努力を重ね東大に行った森田さんで、警察庁の時代は内閣情報調査室長官まで務められた。警察のマッケンローと言われた森田さんそのものは決して警察庁の本流を歩かれた方ではないが、国松長官襲撃事件や何らかで警察庁の人事が狂い、森田さんグループ的な方たちが急に本流に浮上し、歴代の警察庁長官などを務めている。
森田さんのご子息も非常に優秀な方で、外交官試験に合格し雅子皇后と同期で外務省に入省したが、若すぎる父親の病死から間をおかず、自ら命を絶たれたという記事が、当時週刊誌に掲載されていた記憶がある。





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