半年ほど前、妻と神保町を歩いていたら、あるアウトドアショップのウィンドウに「祝 田中陽希 日本300名山踏破」的内容の貼り紙があった。日本全国300の山を交通機関を使わず踏破するという数年を要したNHKの番組企画が完遂したことを告げていた。
ところで、この「日本の300の名山」は誰が、どんな基準で選んだのだろうか。軽く調べたが、答えを探し当てることが出来なかった。その基礎となる100名山は、深田久弥の個人的意見が独り歩きをし、いつの間にか普遍的価値を持つようになったとわたしは認識している。
日本人に限らないのではあろうが、"三大◯◯"や"◯◯トップ10"のように、出処不明な、あくまで一つの見方や考え方に過ぎないにも関わらず何かしらの権威や専門家によるお墨付きの概貌かと錯覚を与えてくれる、こういった括りが大好きである。
かく言うわたしも、特に手土産などのお店選びでは、会話の口切り役を担ってもらいたいがゆえ重宝をしているものだが、しかし、その恣意的選定に振り回されてばかりいると、そこから漏れた身近な名店がいつの間にか市場から弾き出されてしまうこともあり得るのだなと痛感した出来事があった。
「東京三大どらやき」なる括りが存在する。この"三大"は亀十、うさぎや、草月で、味ばかりでなく、オリジナル性も加わったいずれも素晴らしいどらやきで、この3つを選んだセンスには感服をしている。
しかし、甘いものに目がないわたしが一口食べて、この3つ以上の美味しさを感じたのは谷中にある「かみくら」というお店のどらやきだった。
たまたま谷根千辺りを歩いていて、かつ小腹が空いたタイミングで、夫婦で一つずつ、年に1, 2回、小銭を渡す程度の、客とも呼べない存在であったが、わたしのなかでは生涯の店として一生大事にしていくと決めていた。
今年の夏前の土曜日。朝食を軽くして、浅草から歩けば、ちょうど甘いものを口にしたくなる頃だろうから、「かみくら」さんでどらやきを買って、なんて会話をして夫婦で家を出発したら、谷中の店の前には閉店を知らせる通知が貼られていた。
どらやきを購入するたびに、おかみさんが口にする「うちのあんこは自家製で」ということばに、「ええ、わたしはこのお店の味が大好きで」という毎回のやり取りにうんざりすることもあったが、今では取り返すことの出来ない、懐かしい記憶となってしまった。

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