第3話 【書評】ポーの一族 (2023.10.5記)

【乗り遅れたバスを見送るオッサンの述懐】

1.書名・著者名等
萩尾望都(著)
『ポーの一族』
(小学館文庫版・全3冊) 第一巻:1998年8月10日初版第1刷発行

2.兎平亀作の意見です

ある必要があって、初めて本作を手に取った。
名作は名作なのだが、気恥ずかしさが先に立って、ページをめくる手が重かった。

私は1963年生まれ・男性。
竹宮恵子、大島弓子、山岸凉子の全盛期は「同時代人」として知っている。
1980年代前半には「昭和24年組」のマンガは男女を問わず、読む「べき」物だった。
こういう硬質で青白くて透明で、精神性の高いマンガが求められていたのである。
「1960年代の騒乱が退潮した後の、精神的成熟の一つの形だったのではないか」と、今では思っている。

その後、少女マンガのトレンドを「保守本流」へと先祖返りさせたのは、紡木たくの『ホットロード』(1986-1987)である。

そんな中、萩尾望都についてだけは、なぜか私は完全に乗り遅れた。
「もう取返しが付かないんだ」と、初めて手に取った『ポーの一族』の前でボーゼンとした。
自分のエゴと真正面から向き合い、ここまでセンシティブな状態に自分を追い込める能力を、私はとっくの昔に喪失してしまった。今さら追体験できるものでもないと思い知らされた。

時を隔てて『ポーの一族』と向き合って気が付いた事は、レッド・ツェッペリンおよびクイーンのメンバーに激似のキャラが実に多いと言う事だった。

これは何も萩尾望都に特有の事ではない。当時の少女マンガはツェッペリンとクイーンの「そっくりさん」で埋め尽くされていた。
青池保子の名作『エロイカより愛をこめて』には「ジェイムズくん」、「ボーナム」、「ジョン・ポール」と「ツェッペリンそのまんま」のキャラが出て来るほどだ。それが違和感なく受け入れられた時代だったのだ。

「ツェッペリン&クイーン」の前にも後にも、少女マンガの巨大アイコンと成ったロッカーズを、私は知らない。

プレスリー、ビートルズは「早すぎ」た。
ビーチボーイズ、モンキーズは「美形」で売ってる人たちじゃなかった。
ザ・フーは日本では認知度が低かった。
ボブ・ディランはインテリ臭が強すぎた。
マーク・ボランは早死にした。
ブライアン・フェリーはオッサン臭く見えた。
馬みたいな顔したブ男揃いのローリングストーンズなど論外である。
そうこうしている内にパンクロックの荒波が押し寄せて来て、美形ロッカーたちをシーンから追い払った。

映画『戦場のメリークリスマス』(1983)、アルバム『レッツ・ダンス』(1983)の頃のデヴィッド・ボウイが、ロックシーンを超えたカルチャーシーン全般で、もてはやされた事はあったが、もはや「少女たちのアイコン」とは言い難い状況だった。

『ジョジョの奇妙な冒険』のPart1(1986-1987)には「スピードワゴン」、「ツェペリ」、Part2(1987-1989)には「サンタナ」、「ワムウ」、「カーズ」、「リサリサ」、「スージーQ」と名付けられたキャラが登場するが、あれらは音楽ファンを「ニヤリ」とさせるための遊びであって、「少女アイコン」としての役割は、初めから期待されていない。

なんだか話がそれた。『ポーの一族』には最高の評価を捧げたい。
私の個人的事情がどうあれ、これは、この名作が当然受けるべき評価である。

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