第17話 【書評】サロメ図像学(2023.10.6記)

【 「通行人A」は如何にして「ファム・ファタール」に鍛えられたか】

1.書名・著者名等

井村 君江 (著)
『サロメ図像学』
出版社 ‏ : ‎ あんず堂
発売日 ‏ : ‎ 2003/12/1
単行本 ‏ : ‎ 361ページ

2.兎平亀作の意見です

新約聖書では「通行人A」みたいな、役名すらなかった端役のサロメちゃんが、どうして巨大アイコンへと成長したのか?
(いや、成長ではなく、肥大化と言うべきか。)

考えてみると、良く分からない。
いや、考えているだけでは分からない問題なのである。
図像学なり文献学なり聖書学なりと言った、探究・探索の手段は与えられているのだから、実際に行動に移せば良い。
本書は、その探索行の記録みたいなものである。

著者によると、サロメちゃんの「悪女化」は、四世紀の終わり頃から始まったと言う。
洗礼者・聖ヨハネ尊崇の念が強まったからだ。
どうも相手が悪かった。
聖ヨハネは、ただの預言者ではない。イエス・キリストに洗礼を授けた「大物」だ。
サロメちゃんは「恨み重なる吉良上野介」みたいな立ち位置になってしまったのである。(本書、p43)

現存する最古のサロメ像は六世紀の物だと言う。福音書の挿絵である。(本書、p106)

最初のうちは「処刑現場に棒立ちしてるだけ」だったサロメ像が、十一世紀頃から「踊り」だす。それも、かなり不自然な動作で。(本書、p110-112)
「いやあ、はしたない娘ですねえ」と言う設定が追加で盛られたらしい。
十四世紀までは、曲芸師みたいに「逆立ち踊りするサロメ」がウケた。

十五世紀・ルネサンス期に入ると、風俗画みたいな「見るに堪える踊り」を披露するようになる。(本書、p126)
ルネサンス期は、宗教芸術から「芸術」が自立して行く過程でもあった。
つまりサロメちゃんは「画題」の一つ、「テーマ」の一つと言う扱いを受けるようになったのである。

これ以降、サロメちゃんの迷走が始まる。
「美女と生首」なる怪奇趣味の流行とか(本書、p136)、ユーディットとの混同とか(本書、p138)である。
画題の一つに過ぎないんだから、もう、やったモン勝ちである。

本書の記述は、クラナッハ(本書、p144)、デューラー(本書、p149)、カラヴァッジョ(本書、p159)を経て、オスカー・ワイルドにスキップする(本書、p168)。
ワイルド以降は、もうグシャグシャである。
詳細は本書に直接、当たって頂きたい。

堅実な調査は、必ず真実に至る。
たとえ真実そのものには至れなかったとしても、真実の外郭は必ず把握できる。
それを再確認させてくれた一書であった。

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