第7話 【書評】W.M.ヴォーリズ:失意も恵み(2023.8.8記)

【これほど、すごい人に出会ったのは、小学校で野口英世伝を読んで以来である。】

1.書名・著者名等

山形政昭・吉田与志也 (著)
『ウィリアム・メレル・ヴォーリズ:失意も恵み』(ミネルヴァ日本評伝選224)
出版社 ‏:ミネルヴァ書房
発売日 ‏ : ‎ 2021/9/21
単行本 ‏ : ‎ 336ページ

2.兎平亀作の意見です

私が持っていない物を全部持っていた人だなあ。こいつぁ、とても敵わないや。

ヴォーリズは複数の顔を持つ人である。まず英語教師。教職を辞してからは建築家。やがてメンソレータムの極東代理店主にもなる。なおかつ社会慈善事業家であり、もちろん宗教家でもある。(余談ながら、建築家と宣教師の兼業は、決して珍しいケースではなかったらしい。)
話を戻すと、ヴォーリズの活動のいずれもが、日本では水が浸透するように受け入れられた。
ただし、その相手は、比較的生活に余裕のある層が多かったように思われる。

「当時の日本の中産階級には、西洋文化全般に対する強い憧れがあった。欲求があった。今のようにマスコミが発達していた訳ではない。アメリカからの珍客がもたらしてくれる物は、なんでもスポンジのように吸収したのだ。その『なんでも』には、キリスト教も含まれていた。」

これが私の見立てなんだが、いかがだろう?

エビデンスに成るかどうか分からないが、宣教のための広報誌『湖畔の声』1916年6月号に、ヴォーリズは「アメリカ流のライフ・スタイルを実体験したければ、ボクのおうちにおいでよ」と言った趣旨の一文を掲載している。Be my guestだけで十分な宣教になったのだ。
[出典]ヴォーリズ『神の国の種を蒔こう(副題)キリスト教メッセージ集』2014年、80-83ページ

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ヴォーリズは、たまたまご縁の出来た近江八幡の地にこだわり、「近江を神の国にするんだ」と息まいていた。(これに関しては批判もある。)
私にはヴォーリズが、彼のsocietyを作り上げようと奮闘努力していたように思われる。
軽井沢に夏用の仕事場を持っていたのは(避暑以外にも)そうする必要があったからだ。
相談に乗ってくれるキリスト教関係者も、建築業のビジネス・パートナーも、見込み客も、そして日本の上流階級も、夏の間は軽井沢に全員集合し、なおかつヒマを持て余していたので、顔つなぎには絶好のポジションだったのだ。

そもそもヴォーリズの妻は日本の子爵令嬢である。結婚式は明治学院のチャペルである。東京白金台である。入場曲はローエングリン序曲である。披露宴は、新婦の親族である実業家の麻布区材木町(現在の六本木ヒルズ地所内)の別邸で催行である。まるで萩尾望都のマンガみたいな世界観なのだ。(本書、93-102ページ)
大いに僻むね。ここまで見せつけなくたって良いだろう。

societyは、日本では暫定的に「社会」と訳されているが、実は日本には、これに該当する物が(未だに)存在しない。

「一定のルール、規範、もしくは価値観を共有しているが、必ずしも堅苦しいものではなく、社交的で、(程度の差はあれ)原則として部外者に開放されていて、なおかつ公共的な意義を有する集会または集団。ただし、その場限りのもの、気紛れなもの、享楽的な意義しか持たないものではなく、一定の公的(または半公的)な目的を持った人々が持続的に結集するための絆または共同性みたいなもの。単なる地縁血縁を超えたもの。時に利害が一致する事もあるが、利益・利権によって結びついた関係性ではない。」

societyを究極まで煮詰めると、フリーメーソンみたいに成っちゃうんだろうか。
そんなの、今のニッポンにありますぅ?
私の実家は浄土真宗で、檀信徒同士のつながりには(やっぱり、ちょっと)特別な物があるっちゃあ、あるんだが、あれを指して「societyでございます」とは言えないしなあ。
政党は?
あれはパーティー!(資金集めの集会もパーティーと言う。)

societyあってのChristianityなのかも知れませんなあ。
これは案外、「聖書には書いてないキリスト教のキモ」かも知れませぬぞ。

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ヴォーリズは自らの建築事務所の従業員に残業を禁じていた。飲酒喫煙も禁じていた。自由時間があるからと言って、ダラダラしている訳には行かなかった。建築業はビジネスであると同時に、宣教ミッションの一環だったからだ。
空いた時間は宣教活動に充てられたが、レクリエーション(コーラス、テニス等)も充実していた。まるで武者小路実篤の「新しき村」である。

「人間万歳」の武者小路には出来なかった事が、ヴォーリズには出来た。
ヴォーリズには、側面支援・後方支援してくれるsocietyがあったからだと思う。
武者小路を含む白樺派を財政的に支援してくれたのは、永青文庫・和敬塾で知られる細川のお殿様くらいの物だったのだ。

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ヴォーリズのビジネスのキラー・コンテンツは、ヴォーリズ自身だったのではなかろうか。
そりゃ、そうだろう。こんな人が目の前に現れたら、誰だって、救いの手を差し伸べたくなる。

「これで良く体を壊さなかったものだ」と言いたくなるほど働いたが、本人は充実していたのだろう。
自分の一日を、宣教広報誌『近江マスタード・シード』で紹介した一文を、ヴォーリズは下記のように結んでいる。1928年、ヴォーリズ47歳のことである。

(引用、はじめ)

こうして一五時間と二七分の一日の仕事が終わった。しかし世界標準の仕事時間を超えてはいない。八時間の設計の仕事と八時間以下の伝道をしただけだから。―もちろんこれはビジネスと信仰を兼ねる我々の時間の使い方であるが、二つのことを成そうとする我々の言い訳でもある。(本書、147ページ)

(引用、おわり)

羨ましいな。私は30年間サラリーマンをやったが、ずっと自分に嘘を付いていた。
言い訳は酒に聞いてもらった。
私は自分の主人じゃなかったが、雇い主の会社は神様じゃない。ただの資本だ

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