第4章 神永未羅の場合 第6節 ティンカーベルに性別は必要か?
英薫は、ものすごく普通の人だった。「どうしてこんな人が、女形をやってるんだろう?」と思ったけど、その理由は、薫のサークルの少年シェイクスピア劇を、定期公演、アトリエ公演(練習試合みたいな物)と、何度か観劇している内に、だんだん分かって来た。
面白かったよ。ハマっちゃった。
「ハムレット」には、筋肉マッチョなアクション・シーンがあるけど、薫のサークルでは、このシーンだけダブル・キャストにしてた。わざわざ剣道部の人を連れて来て。
フェンシング部だと、キマリすぎちゃってダメなんだって。
マッチョなハムレットとは対照的に、To be, or not to beの神経質なハムレットは女の子みたいに見えたの、不思議なことに。
これに対し、オフィーリアは線香みたいに消えちゃう役。演じる方も、客からも、あんまり人気が無い。
確かに、あの子、ただの目障りよね。死んでくれて正解と言うか。
「ロミオとジュリエット」は泣いた泣いた。
あんまり女オンナしてない、男の子キャストが正解だと思う。
恋に恋する話だから、剥き出しの性を絡めると汚れちゃうのよ。
「真夏の夜の夢」は、男女ぐちゃぐちゃ。「テンペスト」も、ちょっとだけ、そんな感じがする。
「オセロ」、「冬物語」そして「マクベス」は、「女、カッコいい。男、どうしようもない」と言う話。
「リヤ王」は、こじれた父子関係の話だけど、男の子が演じる「三姉妹」は新鮮だった。考えさせられた。どうしてシェイクスピアは、「リヤ王」を「老いた父と息子たちの葛藤の話」にしなかったんだろう。相続法の関係?
「アントニーとクレオパトラ」は「物理的に」上演が難しいと言ってた。「クレオパトラの取り合いになって、サークルの人間関係が悪化するから」だって。
ここにフェミニズムを持ち込んだら、場ちがいだと思った。
歌舞伎は歌舞伎。宝塚は宝塚。
そしてシェイクスピアはシェイクスピア。
みんな約束ごとの中の世界よ。
そもそもお芝居って、そういう物じゃない?
演じている人たちは「人間とは別種の、妖精さんたちだ」と思った方がいい。
もちろん、舞台の上だけの話。舞台を降りたら、普通の人よ。
その妖精さんの一人が、フェミニズムの読書会に興味を持ったとは、ちょっとだけ面白いな。
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