第1章 祝武子の場合 第6節 闇よりも暗い世界

そんなある日、ふと口をついて出たの、「我は山に行く」って。山の中にじゅれいなん百年かのごしんぼくがあるのは知ってた。そのそばの古い横穴(戦国時代の金のさいくつあと)に、おこもりすると言い始めたの、私。正しかろうが、まちがっていようが、この道を行くしかないと、そう思いめてた。お養母かあさんは悲しそうな声で「分かりました」とだけ言った。

今思えば、ひどい娘よね。親公認の家出宣言みたいなものだもの。そもそもお養母かあさんの気持ちを考えもせず、自分のやりたいようにやった結果がこれだもの。
ああ、親の気持ちは、いかばかりか。
もしかして私、はんこうおくれて出たの?

そして私は横穴のおくにおこもりして、くる日も、くる日も必死でお祈りして、今ここに、いると言うわけ。くらやみには慣れてるけど、さんけつがキツかったな。心は今でも15さいのままなんだけど、あの体は、どうしちゃったんだろう。なんか、お祈りしている内に、どうでも良くなっちゃって。だって、しょうえるのが巫女の仕事だもの。生きてても死んでても、おんなじでしょ。

生死の「ゲート」をくぐる時、目の前がいっしゅん、パァッと明るくなったのを覚えてる。見えたのは神さまでも仏さまでもなかった。漢文だった。13歳で失明した私には読めない漢字がいっぱいあったのに、その漢文の意味を、私はパッとさとった。そして、すぐ元の闇にもどった。(もしも漢字じゃなくてぼんだったら、どうだったんだろう。)

「死ぬのはこわくなかったか」って?。
いいえ。巫女修行って、小出しに小出しに、1ミクロンずつ死んで行くようなものだもん。要は慣れよ、慣れ。

今は、ご飯食べなくても良い体だから、とっても自由よ。私の居場所なんて、どこにも無いと思ってたけど、ちゃんとあったじゃない。うれしいわ。

その時は知らなかったんだけど、私がどうくつにおこもりした、すぐそのあと、となりの国で戦争が始まったんだって。町の人は、それでようやく牛鬼のことは忘れられたみたい。狭い国土で押したり押されたりの激戦で、一時は「日本にも飛び火するかも」のピンチだったからね。どっちにしても、人がたくさん死ぬなんて楽しいニュースじゃないよ。つらいニュースは、つらいニュースで上書きした方が良い場合もあるのよ。それで初めて「自分には関係ない」って、思えるようになるもの。

もちろんせいしゃのご遺族の方は、そうは行かないわよ。ずっと悲しみから自由になれないと思う。他人から「前を向いて生きろ」と言われるのが、一番キツいのよね。だって、目の前に死んだご家族がいるんだもの。

牛鬼による死者・行方不明者は150人。負傷者500人。焼失家屋1,000とう。1950年のことだったわ。

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