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読書雑報

言葉による残酷表現について

② 生田耕作訳『閉ざされた城の中で語る英吉利人』


【厳重注意】本稿には残酷な表現や変態的な性表現が多数あります、苦手な方、また未成年の方は絶対に読まないでください。またこの小説全体にわたる多くの引用、引用されていない部分のあらすじの記述もあるため完全にネタバレです。その点にもご注意ください。

 前稿を読み返してみて思ったのだが、私は出典の残虐なシーンはできるだけ引用を控え、その間の物語上の出来事を単純化し、フラットな表現で記述しようと試みた。少しでも残虐さを抑えながら、本稿の主旨を伝える方法を模索していたのだが、残虐さを抑えるという点ではさほど効果をあげてはいないようである。確かに引用するよりは短くはなってはいるが、出来事自体の残虐さが強すぎるようだ。しかし今後もできるだけ同様のスタンスで努力していきたいと思う。同時に現時点で出典を読む予定がない方にも拙稿の論旨を辛うじて理解していただけるような情報量(それは出典をこれから読もうという方にとっては完全にネタバレなのだが)を保っていきたい。これはおそらく本稿の最低限の自立性を担保してくれるだろう。
 さて、今回は生田耕作訳『閉ざされた城の中で語る英吉利人』奢灞都館版。光沢ある紙に別刷されたハンス・ベルメールのドローイングが数点収められた美しい造本である。巻頭の

 この書物は〈闘牛(コリダ)〉の一種のつもりでご覧いただきたい

 という言葉に従えば、今回取り上げるのはこの物語の「真実の瞬間*」最後の、静かな狂気に彩られたクライマックスである。

*正闘牛士(マタドール)が剣を使い牛にとどめをさす、スペイン闘牛の最後の位相(フェイズ)は「真実の瞬間」と呼ばれる。首の付け根にあるコイン1枚分の大きさの急所に長く細い剣が滑り込むように差し込まれると、牛は一様に鼻と口から血を吹き出しながら崩れ落ちる。

 1953年、マンディアルグがピエール・モリオン名義で地下出版した本書は、その巻頭から60〜70年代のヌーベルバーグやミケランジェロ・アントニオーニの映画に見るようなヴィジュアルを想起させる。先見的ヴィジュアリストと言えるのか。
 それでは、冒頭から順次見ていこう。

 物語の語り手が干潮時にしか渡れない貝殻や海藻だらけの古い舗装路を通ってたどり着くのは17世紀以前の堡塁に手を入れられた、地元民に「城」と呼ばれ、その主は「ガムユーシュ」と呼んでいる建築物である。「激浪にもまれる荒涼とした裸岩の上」に「暗青色の花崗岩」によって築かれた円形の塀の中には、幾何学的に配置された大小の円柱形の塔が聳え、「半透明の大きな張出し窓が外壁のほとんど全表面を占めて」いるものが多い。そして塔の中のインテリアはさらに詳細な描写が続くが、そのデザインはなかなかサイケデリックだ。まず最初に、浴室が現れる。

 浴槽というより水盤といったほうが近い大きな鉢が一つ、タイルの床と同じ高さにしつらえられ、部屋の中心部に陣取っている。(中略)外側の垂れ幕は青い薄布で出来ていたが、もう一枚の、内側のそれは防水帽や舟の雨覆いに使われる赤茶色の丈夫な油引き布で作られていた。これが天井全体を覆って、そこからもういちど床まで垂れさがっている。幕を背にしてコルクの生木でできた椅子が三脚置かれており、そして窓ガラスの前では幕は左右に分かれ、どの窓もそれとは別種の、もっと軽い布だけでおおわれ、海中の洞窟にでも見られそうな青味がかった光に似た明かりを部屋のなかに投じている。この二重のカーテンの外に、壁に取りつけた螺旋階段があり、二階の部屋に通じているらしい。(中略)
 部屋は、浴室よりもはるかに天井が高く、それに広々としていた。(中略)天井からは、内側のは白く、外側のは淡紅色のモスリンの布が二枚深々と垂れ下って、樅の生木を使った柱の中ほどに取りつけられている星形に組んだ帆桁によって部屋の内側に貼りつけられ、柱自体はこの組立て式小型後宮(ハーレム)の天蓋といったかたちの優美な薄布の屋根を支えている。下の部屋と同じく、ただしもっと明るい調子で、ガラスのはまった張り出し窓が外光をふんだんに採り入れており、それを赤白二重の遮幕が鞭打を受けて火照った肉体の色艶そっくりの曙色に染めるのだった。柱はまん丸な形をした巨大なベッドの中心部に突っ立っており(そこではこの軸のまわりに枕を並べ、それに頭をのせて、脚を放射状に投げ出せば、楽々と八人の人間が、いや必要とあらば十人ないし十二人でも寝られそうに思われた)。ベッドのほうは、おそらく山羊の毛皮であろう、鮮紅色や、紫色や、薔薇色に染められた、幾枚もの毛足の長い獣皮で覆われている。(20〜22頁)

 長い引用になってしまったが、かように細部までデザインは構築されている。それはエクステリアからインテリア、そして衣服にまでおよぶ。

 まだ私の肌が一度も触れたことがないほど柔らかなリンネルでできた、ひらひらした襞飾りのついたシャツと、なおその上に、玉虫の腹のような金褐色にきらめく絹のパンツを私のために出してくれるのだった。次に彼女は肩掛けのような大きな折返し襟と打紐の帯のついた、薔薇色がかった白いカシミヤ織りのガウンを私に羽織らせるのだった。最後に黒い靴下と、銀の留金のついたスリッパをはかせてもらって、私の夜会服は整った。(37頁)

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