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読書雑報

G氏との対話―「死の宣告」をめぐって②

すぐに私はG氏にメールを送った。

Subject: 先日お会いしたがむちょこです

Gさん、こんばんは。
先日フリージャズ喫茶で名刺を交換させていただいた、
「待つこと・忘れること」のがむちょこです。
あの日はブランショを読んでいない友人と一緒だったので、
懇親会にも参加できず、残念でした。
まあ私も行き当たりばったりに読んでいるただの本読みで、
ブランショも、読んでいないものがまだたくさんあります。
「明かしえぬ共同体」と「待つこと・忘れること」だけは
好きで何度も読んでいるのですが。

あの時ちょっとお話しした「死の宣告」の中の断片的なエピソードに関しては、
それが何か不穏なムードを発しているせいか、以前から気になっていて、
ネットで調べてみようにもフランス語もできないため、誰か詳しい人に聞いてみ
たいと思っていました。
お渡ししたプリントアウトは、2ch文学板ブランショスレで、
ちょうど詳しい人が何人かの質問に答えていたのを見つけ、聞いてみた時の対話
です。

私の疑問は、まず該当部分が完全な創作ではなく、
基になった事実が存在するだろうという推測が前提ですが、
あの女性が秘密にされていたアパートの箪笥の中で発見したものは何か、
そしてその女性が後に顔と手の石膏型を取ったというのは何のためか、
という二点です。
私生活に関する情報が少ないことで有名なブランショですが、
何かご存知の情報があればお聞かせください。

最近は2chからも足を洗い、ニュー速と電力板(原発関連)をROMしているだけなので
「Gさんがこう言った」などという書込みは決していたしませんのでご安心ください。
ただの本読みの好奇心です。

するとG氏からは詳細な返信があった。

がむちょこさま

 先日メールをお送りしてからまた時間が経ってしまいました。
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
 問いかけに導かれて『死の宣告』を読み直しましたが、いただいたプリントでのお二方の読みが非常に鋭いものであることに感心するばかりで、私の方で付け加えてお答えできるようなことはほとんどありません。


 「アパートの箪笥の中で」、とされているのは、小説の初めの方で出てくる「〈生きた〉証拠品」についての記述を第2部のナタリーの事件と重ね合わせているということですよね。つまり、邦訳(『ブランショ小説選』2005年)170頁の「1940年の終り頃~」から
始まる段落の記述を、ナタリーが語り手のホテル(O街のホテル)の部屋にやって来たときのことと解している、ということでよろしいでしょうか。その場合、アパートというよりもホテルの部屋の箪笥、ということになるでしょうか。
 ナタリーは、1度目はホテルの部屋に突然やって来て語り手を「嵐」に陥らせますが(227頁)、語り手に呼ばれてやって来た2度目には、確かに、寒さによるふるえに襲われているので(247頁)、170頁の記述と合っていると言えるようです。ただ、この2回とも、「箪笥」への言及はないように思います。そして次に、S街のホテルでの場面では、ナタリーは鍵を盗んで勝手に彼の部屋のなかに入っています。
 そして最後、その1週間後の彼女の家での最終場面では、ナタリーが彼の財布から
名刺を盗んで彫像師X.に連絡をし(280頁)、ある「計画projet」(282頁)を抱いてX.のところへ行き、「あれcette chose」を見た(287頁)、ということが分かるわけですね。
 こうしてみると、「あれ」は彫像師X.のところにあったように読めるので、ナタリーがホテルの箪笥の中に何かを見たかどうかは定かではないように思います。いずれにせよ、ナタリーがJ.の手の石膏型を見たのだろうという推測は、ひとつのありうる真実だろうと思います。
 ただ、170頁の「女の人」をナタリーだと解するならば、「あの事件の〈生きた〉証拠品」とは何か、ということを考える必要があります。「あの事件」とは、語り手が瀕死のJ.を生き返らせたことだと考えられますが、その「〈生きた〉証拠品」とはどういうことか、ということです。
 手の石膏型のことだとすると、その運命線のこと(181頁)でしょうか。青年占星師によると、その手相は「外科手術の結果、彼女はほとんど全快する」、「彼女は死なないだろう」と読めるものだったので(182頁)、手の石膏型は彼女の異様な生命力の証拠ではあるのかもしれません。
 あるいは、「あれ」というのはすでに、N.が頼んでおいた顔と手の石膏型であるの
かもしれません。だとすれば、「生きている人に実施された場合、しばしば危険」な「手術
operation」(281頁)がすでにN.に施された、のかもしれません。

 J.は手の石膏型を取り、N.は顔と手の石膏型を取る、あるいは、取ろうとするわけ
ですが、これに関しては、がむちょこさんの対話のお相手が、X.が彫像師の名前と同時に語り手の名前の暗示としても使われていること(238頁)に着目しているのが的を射ていると思います。
 この小説は、石膏型のエピソードに限らず「手」のモチーフに満ちているのですが、手というのは作家が書くためのもの、書くことによって何かを失いつつ保持していくためのものです。
 これはJ.Hillis Millerという人が示唆していることですが、二人の女性の顔と手の石膏型というのは、生きた手と顔から作られて、彼女たちの死の後に生き残るものであって、その意味で、生きた手によって書かれ生き残るテクスト、そして読者が読むページのうえの言葉そのものの象徴だと考えられます。
 ここから、この小説の最後の呼びかけの言葉、「この物語を綴った男の手を心に浮
かべるよう試みられますように。もし読者がその手を思い浮かべられれば、おそらく読むことは真摯なつとめとなるにちがいない。」(290頁)という言葉が理解されることになります。このページは新版では削除されているのですが。

 この小説はミュンヘン会談とかいくつもの日付が登場するのでその点でも興味深い
のですが、現実との関係ということで今のところ分かっているのは、J.のモデルはバタイユの恋人コレット・ペーニョ(通称ロール)だろうということです。
 コレット・ペーニョは1938年11月に亡くなっていて、その当時はまだブランショはバタイユと知り合っていませんが、後に親友となって、ペーニョとの関係や壮絶な死についても詳しく知るようになったことと思われます。
 ブランショの伝記作者のクリストフ・ビダンは、『死の宣告』はバタイユとの友愛のうちに書かれていると述べています。
 また、これは本文中にも書かれていますが、J.の死のいくつかのモチーフはカフカ
の死と重なっており、1945年に仏訳が出たマックス・ブロートのカフカ伝が背景にあるのだろうと指摘されています。カフカ自身が医者に「ぼくを殺してくれ、さもなければあなたは殺人者だ」と言ったようで、これはJ.の非常に印象的な台詞と重なっています。

 以上のように、J.に関してはいくつかソースが考えられるのですが、スラヴ系の女性であるらしいナタリーに関しては、伝記的なソースというのは、寡聞にしてまだ存じません。
 しかし、改めて読み直してみると、この語り手はそれなりに多くの女性関係があったようで、このような小説はブランショには他にありませんし、現実の日付や事件が出てくる小説であることを考え合わせても大変興味深いことだと思います。
 ブランショ自身はドゥニーズ・ロランという女性と恋人関係にあったことが分かっていますが、その他の女性関係については分かっていません。

 『死の宣告』についても、ブランショにおける性の問題といったテーマについて
も、今後考えようとしていたところですので、いただいた問いかけや示唆についてはこれからも立ち返って考えていきたいと思います。
 十分なお返事ができず申し訳ありませんが、いまさしあたりお返事できるのはこのようなところです。ご了解いただければ幸いです。

過去に読んだ論文で参考になることがあったかもしれませんので、読み直して何かあればまたお知らせしたいと思います。このたびはどうもありがとうございました。

G

 いったいNは箪笥の中を見たのか見ていないのか、彫像師Xのアトリエで何があったのか。すっきりはしないが、テキストからの読解はG氏によって限界線が見えたように思われた。

 そしてこの後の2、3のメールのやり取りが失われている。
 ここまではすべて、10年ほど前に私が書こうとした記事をサルベージしたものである。当時「読書雑報」を連載していた雑誌はヨコカワ氏が主宰していたが、ともに編集に関わっていた彼の親友が倒れ、以降休刊となったため、この記事は企画段階でストップした。そうこうしているうちに私は急にガンのステージ4を宣告され、自分の持つすべての予定を捨てて入院することとなったのだ。リアル『死の宣告』である、などと今なら軽口も叩けるが、入院、治療していた頃は、もっと茫漠としたものが私の内部に広がっていた。これには恐らく緩和ケアチームが処方する大量のオピオイドが影響していたのかも知れないが…。何はともあれ、放射線と抗がん剤により腫瘍と骨転移部位はその活動を停止、現在に至るまで完全に沈黙を保っている。『死の宣告』はそのままの状態で留保され続けているわけである。
 そして私は雑誌『ドルーク』に連載した3つの記事をnoteに転載するとともに、この、書こうとしていた記事を続けてみようと思い、いまやかなり出世していたG氏におこがましくも連絡をとってみたのである。
 この記事に使おうとしていたメールの幾つかは、PC本体の買い替えやプロバイダの変更などにより失われていた。G氏にも問い合わせてみたが、氏も務める大学が変わっていたりというわけで、最終的に幾つかのメールはサルベージできなかったのだが、その中のひとつにこの記事を終えるために非常に重要なものがあった。それは私が「ミイラ説」を展開しているものだ。
 そこで私は10年ぶりに『死の宣告』を読み返し、かつての『ミイラ説』を再構築することにした。それは『死の宣告』の何箇所からの抜粋をもとに組み立てられていたはずだ。

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