仮説:外国人は侍と武士の区別がついてない説をシミュレーションしてみた

以前の記事でも書いたんですが、例の件以降、色々と日本史を見るようになって一つ気づいたことがあります。

それは海外勢は侍と武士の区別がつい取らんのではないか、ということ。より正確には英語圏の話者の人たちですね。

「武士」を大衆が使うであろうGoogle翻訳で英語に変換すると「Samurai」となり、テックすら勘違いしているかのようであり、侍という言葉の移り変わりが激しいその歴史までは追い切れていないのかSamuraiに翻訳されてしまいます。

というか普通に「Bushi」でいいじゃんと思うのですが…

というわけで今回は「日本語で侍について調べる」Vs「英語で侍について調べる」を実際にネット検索を使用して実際にシミュレートし、どのような結果を得られるか検証してみたいと思います。


日本語で侍について調べる

まずはwikipediaから


まずは最近改変荒らしで信用を落とし勝ちなWikiから言ってみますか。

前述したように、「サブラヒ」はその後「サブライ」→「サムライ」と語形変化を遂げていったが、地位に関係なく武士全般をこの種の語で呼ぶようになったのは、江戸時代近くからであり、それまでは貴族や将軍などの家臣である上級武士に限定されていた。

Wikipedia/侍 「語源」より

さらに、武士階層の裾野は広がり貴族に連なる支配階層に加え、本来は百姓身分である地侍徒士足軽なども武士に含まれるようになると、「侍」は武士の中でも比較的高い地位にある「騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士(上級武士)」を指すようになった。

Wikipedia/侍 「成立」 より


とあり、江戸時代以前までは貴族や将軍などの家臣である上級武士を侍と呼んでいた、足軽や地侍などが武士に含まれるようになってからは武士の中でも比較的高い地位である牙戦闘の権利資格を有する階層以上の武士を指すようになったとあります。

しかしなんだかえらい内容が少ないですね。

と思ったら武士の方に侍に関してさらに記載がありました。

「職能」起源論では、武士と見なされる社会階層は源氏、平氏などの発生期には武芸を家業とする諸大夫、侍身分のエリート騎馬戦士に限定されていたとし、その後、中世を通じて「狭義の武士」との主従関係を通じて「広義の武士」と見なされる階層が室町時代以降拡大していった。

Wikipedia/武士 「武士の身分」より

室町以降ということは戦国時代もこの定義は含まれますね。

しかし戦国時代"の"侍についての直接的な記載がありません。もう少し調べてみますか。

「侍 武士 戦国時代」とぐぐってみる


1番目、2番目に下記サイトを発見。※検索結果は以下


侍と武士は今ではほとんど同じ意味です。ただし、ふたつが同じものを意味するようになったのは江戸時代からで、もともと「侍」は京都の貴族の側に仕えた、ガードマンである「さぶらう」がルーツでした。江戸時代より前は、武士の中でも上級の人しか侍とは呼ばれなかったようです。

戦国時代、侍と武士と武将と大名…何がどう違うの?歴史のプロに聞いてみた!「武士と武将、違いがわからない!」より

各地で大なり小なり争いが起こった戦国時代になると、侍の定義は全く変わってしまいます。もはや、天皇や貴族、将軍に仕える武士の名称ではなくなり、戦(いくさ)で戦う者のことすべてを侍と呼ぶようになったのです。

戦場では常に、才気にあふれ腕に自信のある兵士が求められていたため、身分の低い者でも、戦功を挙げさえすれば侍になることができました。

刀剣ワールド 「侍の定義があいまいになる戦国時代 」 より

おおよそWikiと同じ内容で、上級武士が侍である、ですが、刀剣ワールドさんが「戦で戦うもののことをすべて侍と呼ぶようになった」と興味深いことを書いていますね。足軽も侍だったのかな?それだと本当に一般人=侍説が浮上してくることに…ただその次に続けて、「戦功を上げさえすれば侍になることができた」ともあり、こちらは上級武士のことを指しているものになると思います。

これはどういうことなんでしょうね。時代の移り変わりを指しているんでしょうか。想像ですが下剋上が各地で勃発し、既存の階級制度が一度崩壊した直後のことを言っているのかもしれません。戦功を上げさえすれば侍というのは、その後に出てきた信長や豊臣秀吉のような武功を上げて成り上がった武士を侍という風にいっているのかもしれません。実際秀吉は農民の出ですしね。あ、でも彼は最近の研究だと豪農の出で、下級武士の家系であるとかという説が有力なんでしたっけ。

まぁ話を戻して、とはいえこの表現の意図は定かではないですが。ちょっと後ほど問い合わせてみましょうかね。

とまぁこんな感じで、日本語で調べた情報を統合すると、戦国時代の侍は戦功をあげた上級武士のことを指していることがわかります。

英語で侍について調べる

まずはwikipediaから


まずは英語WikiのSamuraiから

'During the Sengoku period, the traditional master-servant relationship in Japanese society collapsed,
and the traditional definition of samurai changed dramatically, becoming synonymous with bushi.[17][15][16] jizamurai (地侍) were bushi with the status of nanushi (名主), the highest class in the village who managed the farmland, and many of them became vassals of the sengoku daimyo (戦国大名, feudal lords). On the other hand, it also referred to local bushi who did not serve the shogun or daimyo.'

Wikipedia/Samurai 「Changing the definitions of "samurai" and "bushi"」 より

とあり、戦国時代に伝統的な主従関係が崩壊して侍は武士のシノニムになったという記載があります。ついでに地侍のことについてもなぜか記載があるが特に結び付けて描かれてはいませんね。

この時点で既に日本語wikiの内容とずれてます。日本語では江戸時代までは上級武士を侍としているとありますが、こちらは武士のシノニムです。

ではBushiはどうでしょう。と、調べてみると…

え゛ぇ゛~!?(マスオ風感嘆

なんとSamuraiのシノニムでした。つまり武士=侍という扱い。これガチで侍と武士をごっちゃにして勘違いしてる証拠じゃないか?

一応キャプチャ取っておきました。

英語でググってみる

まま、誰でも編集可能なあのWikipediaですし(されど多くの人がみてるWikipedia)、ほかのページもちゃんとみないと公平じゃないですよね。

samurai bushi sengokuで検索したのですがろくなページが見つからないのでちゃんと質問でぐぐってみました。
検索ワード:what's the difference between bushi and samurai
検索結果は以下

1つめはwikiのSamurai。上に書いたので除外、

2つめはこれ

The meaning of ”Samurai” changed with the times, and while there are differing opinions on when exactly it came to carry its current meaning of a person who carries a katana and fights, it’s said to have taken that meaning from the latter half of the 1500s.

group.bishamon-ten.com「What is a Samurai?」 より

時代とともに侍の言葉の意味が変化した、とはあります。しかし、1500年代後半から刀を持って戦う人なら侍と呼ばれたとあるので、戦国時代後期からを指しており、微妙な期間の違いを除くと英語wikiと同じですね。

ちなみにwhat's the difference between bushi and samurai in sengokuと再検索してもSNSのページばかりだったり先ほどの二つ目のページがトップにでてきてしまい、上級武士であるという事を指すページはその中からはみつかりませんでした。

3つめはこれ

The samurai (warrior-administrators) are those who closely serve and safeguard the noble. They are also considered to be on top of the social ladder.

pop-japan.com 「Bushi, Bushido and Samurai: What’s the difference?」より

侍は貴族に使えて警護する存在だったとあります。また貴族階級で社会の上級階級であったともありますね。ただこれはかなりざっくりした説明で、どの時代にもざっくりあっていてる形にはなっていますが説明不足感がぬぐえません。戦国時代の侍の説明としては不十分ですし、そもそも時代ごとに意味が変わっていったという事は書いていないし、江戸時代以降の話をしている。

全然細かい情報がでてきませんね。ではSNS、といってもXみたいなどこの誰でも書き込める情報だとちょっとあれなので、動画のコンテンツの方でみてみましょう。考えてみれば最近はYoutubeの動画でも教材として扱われていたりするわけですしね。

上記の検索ワードで最も上にでてくる動画

6:48秒あたりから説明あります。「侍 samurai means "a person who serves(the aristocrats)"」とあります。

これもさっきと同じような内容でかなりざっくりですね。

と、これらをすべて読んで侍とは何か、とまとめると「刀持ってれば侍」「仕えてれば侍」ってことになるんじゃないかと思いますね。

これらの情報を統合して戦国時代の侍の定義をまとめると、少なくともネットだけで情報収集すると、「刀持っていれば侍」が海外の人が学びうる侍の定義になるってことになると思います。

まじで海外では侍=一般人なんだ…。あ、というのは戦国時代はみんな刀もってたので。農民も自衛のためにもってましたからね。足軽のことを知らんだけかもしれんが。

いやでも本当にざっくりですな。すごい適当というかなんというか。

この辺りの情報について英語で調べるとマジでろくな情報が出てきません。なるほど。だから海外勢はあんなに言ってることがめちゃくちゃなのか~

日本人は細かいって言われることあるけど、案外本当かもしれない。あるいは日本の歴史自体が外国人からするとめちゃくちゃ細かいだけなのかもしれない。

でもそれが日本史なわけでして…

やっぱこれあっちの理解がただいい加減ってだけですね。どこかで「戦士と騎士みたいなもの」というコメントをみたのですが、まさにそういう形の違いですしね。どっちも騎士でいいじゃんとはならないわけで…
そんな勘違いしてる人がいて、それも自分の解釈が史実だなんて言い始めたらきっとその国の人は怒ると思いますね。

これはこれは…じゃぁマジで勘違いしてるってことじゃないですか。それもおそらく世界レベルで


少なくともネット上でぱっと見つかる情報の中で、という点なのでネットで調べただけの場合ではありますが。とはいえ今どき調べ物といえばほとんどがネットでしょうから、あながち間違いではないかなと思います。図書館まで言って日本の、それも日本語の資料に目を通す海外の人なんて大学まで行って日本語や日本史の専攻でもしない限りはしないんじゃないでしょうか。

英語ではざっくりと貴族かそうでないかという理解があるくらいで、あとはほとんど武士と同じという認識。戦国時代においてはただのシノニム。もっと深くちゃんと調べれば正確な情報を書いているサイトや動画などが見つかるかもしれませんが、通常、人がネットで調べ物をするとき一つのものにそんな深くまで時間をかけて調べようとはしないと思うので、多くの英語圏の人が最初に見つかるこの辺りの情報を拾って侍とは何かを学んでいるってことになるんじゃないかと思います。

結論:英語で侍を勉強したら勘違いする

日本人と海外勢の間で侍の言葉のやり取りをする中でアンジャッシュ現象が起きてるんじゃないか説、あると思います。

日本人「だから弥助は侍(普通の武士とは違う上級武士、戦国時代なら功績をあげて成り上がった上級武士)じゃないっていっているだろ?。そんな資料何処にも残ってないんだ」

一部の外国人「弥助はSamurai(武士とsamuraiのごった煮)だ!」

という感じ。まぁここに彼等の言い分がロックリーの妄想本をソースだとしているというのも含めてもいいかも。

海外の感覚からすれば「は?刀持ってりゃみんな侍でいいだろ細かいこと言うな」ってことなのかもしれませんが、それはただの押し付けで文化を理解する気がないといっているようなもんです。

いや、下手すると日本人間でも起きてるかも。Xみてもyoutubeみてもみんなガバガバで、定義にばらつきがあります。

あとこれはエビデンスがないんで単なる推測ですが、ほかの部分も色々と勘違いしてる可能性もあるんじゃないかと想像します。

基本的な言葉の定義に対する言語間の誤解釈があり、これをそれぞれ個人が「自分の思う定義で相手も理解している前提」ので主張しあってるので議論も進まず、一生喧嘩してる状態の可能性もありますね。

多分侍という単語の話だけじゃないんじゃないでしょうか。これはXで話しているので知ったんですが、頭巾とフードは英語にするとどちらもhoodになります。ひょっとしたらなおえがパーカーみたいな衣装なのと関係があるのかもしれませんね。

漫画や小説を持ちだして史実とかいうのもいるので環境レベルで話にならないケースもたくさんあるのかもしれませんが、程度問題はあれど、このような誤解釈は結構たくさんありそうです。

私の印象としては、主に言語の壁で海外勢が勘違いしまくってるってのが事の本質かなという感じがしてきました。弥助については言うまでないですがほかの言葉などについても色々勘違いしてる可能性はあります。

例:刀狩を勘違いしてる?


日本では豊臣秀吉が行ったことで有名な刀狩ですが、信長が刀狩やっていたと海外wikipediaに書かれており、どうも刀を没収した"行為"を刀狩としてとらえているような内容のように見えます。日本史に出てくる刀狩とは刀狩令のことを指すのであって、行為のことではないはず。描かれている内容として令と行為の区別はついているようなのですが、同列のように書いているので、ちょっと誤解というか、物事のとらえ方のセンスが違うという感じがします。こういう言葉のとらえ方やまとめ方も解釈不一致の一因になったりするんじゃないかななんて素人ながらおもうのですがどうなんでしょう。

一部の外国人「信長も刀狩(刀を没収する行為)やってたんだぞ、知らないのか?

日本人「いや、刀狩(刀狩令)やったの秀吉だから」

みたいなね。

追記:あ、でも日本語のwikiも行為としてとらえて書いてるな…

となると日本人間でも認識にずれがあるか?一般的に刀狩といえば秀吉の制作である、というのは小学校の頃の歴史の授業でそう教えられてそう知っている、という意識があるからそう思うわけだし。このwikiみなければ刀狩=秀吉の刀狩令の認識の人は多いんじゃないかと想像しますがどうなんでしょう。

というかまぁwikipediaだからな…これをソースにしちゃいけないというのはもう今回の騒動で身に染みました

一度単語の意味についてそれぞれどういう定義をしているのか聞いてみたら色々発見があるのかもしれませんね。とはいえ、英語圏の人達にとってのソースはおそらくほとんどが英語なんで、英語でいくら説明しても堂々巡りな気がする(samuraiは侍やろ的な)。下手したら自分たちの定義の方が正しい、お前らが正しい歴史を知らないだけだとかいって押し付けてきそう。

あぁ、ドリフターズのあのセリフをぶつけてやりたくなりますねぇ…

その国の母国語が理解できないならその国の歴史を自分は真に理解できないという風に考えた方がいいのかも

結局、日本史を理解しようとしたら、日本語をまずはネイティブ並みに読めるのが第一条件なんじゃないでしょうか。さらにプロフェッショナル的なら日本古文の資料を読めるとかかなのかしら。(私は読めませんけど…)

後、文化の理解も必要だと思います。宗教の理解も。言語を理解するというのはその背景にある文化や宗教の理解も必然的になってきますので。

ひょっとしたら「細かい」というか「我慢」の気質的な部分も近くて、かつ日本語を日本史を調べるための言語として使っているかどうかという習慣の部分も必要なんじゃないか。というかもう率直に言って日本人じゃないと日本史の理解自体が難しいんじゃないかな。

そもそも一神教の国が多神教の国を理解すること自体が難しいのでは

キリスト教などの一神教と我々の無意識的な宗教神道の多神教じゃどう考えても根幹的なモノの見方から全然違うと思うんですよね。

というのは一神教っていわゆるその宗教の中で定義している「真実」を教える宗教だと個人的には解釈してるんですが、それはつまり自分以外の宗教は基本的に間違いってことを案に示しているということになると思うのですよね。あるいは真実以外の要素については単に知らない、感知しない=存在しないみたいな感じなのかもしれませんが。そういう考え方からなのか、時に彼らはどこか支配的というか、決めつけてかかってくる感じがするなぁという印象もあります。

さらに宗教の違いで戦争したりする感覚は、私のような多神教の、それも習慣に完全に溶け込んでる神道由来の無意識的な宗教の出の自分からすれば、到底理解できない。

こちら側からしても、あちら側しても理解できないある大きな溝が、まずこの宗教感の違いで存在しているような気がします。

日本の神道は市民から将軍、天皇すべての人に根付いていて、社会制度などにまでその歴史に深く結びついてきているのでこれが理解できないと始まらない気がします。

万物に神が宿り、ご先祖様を大事にするって宗教観。まずこれが理解できなさそう。一神教の自身の唯一神こそが至高で絶対であるという宗教観でそれを理解したり肌で感じることなんてあるのかは正直疑問を感じてしまいます。
むしろ拒絶反応が出そうな気がしますが…前提条件を超えるのにものすごく高いハードルを越えないといけない感じな気がするんですよね。私がキリスト教の何がいいのか理解できない、肌で感じられないのと同様に、どうしようもない感覚的なレベルの違いと溝があるような気がします。

まぁもし理解できるんであれば、今回の件で日本人がキレてるのもわかりそうなもんですしな。祖先を馬鹿にするようなことをしているわけだし。それを知ってれば配慮もしてただろうし。

なので、文化に触れて楽しんでもらう分には全然いいんですが、日本語よく知らないけど俺は日本史わかる!ソースは日本語以外のどっかの記事!というのはちょっとどうかな、なんて思ってしまいますね。ましてや「お前らの方が間違ってる。お前らは嘘の歴史を教えられてるだけだ」と日本側の自国に対する歴史の記載を間違い呼ばわりは流石にアンポンタンすぎるのでやめてもらいたいものです。

追記:と思っていたのですが…


後述のドイツの方のyoutuberの方のような正しく理解されているどころか勉強になるほどの知識をもっているかたもいらっしゃるので、宗教や国、言語の違いで一概には言えないですね。これについては偏見だったと思います。申し訳ない…。ただ日本語について詳しい方でもあるようなので、日本語が読めるかというのは一つの指標にはなってくるのかな、とは思います。後はちゃんとソースを確認するという事も。わからなかったらわからない、ソース以外のことを自分が考えたりいうならば、自分の個人的な推論であるという事を念頭にしてとらえる。他人が言っていることも同じ。これは日本人でもどこの国の人でも同じですね。

↓ドイツのyoutuberの方で弥助についてちゃんと歴史的なエビデンスをもとに解説している方の動画を見つけました。日本語字幕もあるので、興味のある方は字幕をONにしてみてみてください。


アサクリシャドウズの参照しているソースが英語か日本語のものかで話は大きく変わってくるのではないか

アサクリの史実云々の話で重要なの、史実に沿う情報を参照しているのかどうかはどこをどう見ているか、だと思いますね。

彼ら(UBI)が日本史について学ぶとき、一体どこにある情報、言語でみているのか。です。

まぁ、それはですけど。だって内情わかんないしね。

でもまぁ普通に推測して英語っぽいですよね。だってUBIの開発者ほとんど海外の人でしょうし。日本語ネイティブの人は…いるんでしょうか?

まぁでもいたとしてもごく少数派なのはほぼほぼ間違いないんじゃないかな、例の開発者の集合写真をみても。グローバル企業ですし基本的なやり取りはやっぱり英語でしょう。となるとつまり…

まぁわかんないけどね!でもまぁ…ね。

あとがき:やっぱツシマはすごかった

そうして考えてみると、やっぱツシマはすごかったんやなって。やツ神。
このような世界の状況を見てなおさら思うのですが、外国人が日本の文化を理解しようとしてくれたことからもう既に奇跡的というか。その点においては、やっぱり宗教の壁を乗り越えないとなかなかそこにたどりつくのは難しい気がするんですよね。

そしてあのクオリティですからなぁ。神道的な日本文化に対する理解度も高いし。歴史考証的にはおかしなところはあっても、時代劇を再現したいというのがテーマのゲームですし(そもそも登場人物みんな架空の存在なので)、あえて取捨選択しているということで理にかなったものだし、現地の人や歴史家の人にも話を聞いて、現地に来て資料も作ったという徹底ぶり。もちろんこれが史実だなんて大口もたたいていないわけですし、なんなら「日本人に不快感をあたえるようなものにしたくない」という何ともつつましい謙遜的敬意も持ち合わせている方たちなわけで。それも史実を謡っているわけでもないのにですよ。フィクションならこちらとしてはガバガバでも面白ければ全然歓迎なくらいなのに。

それで実際出来上がったゲームのそれはまさに時代劇アートでしたからね。ゲームとしても面白かった。

個人的には人間国宝レベル、尊敬に値するってレベルですごいと思っています。

後ローニンはPCででないんですか?ローニンも「本タイトルは~フィクションです」という形ではっきりとこの作品はフィクションだよと明確にいっている作品なんですが、割と史実的な部分もある点で評価もされてるっぽいんですよね。やりたい。

なんかアサクリの反動か色々と日本史ゲーを摂取したくてたまらんのですよ…

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