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dawn

丑三つ時、まだ外は暗く街灯がぽつりぽつりとついているだけで人の気配がない住宅街を歩いてしばらく、昨日は散々な日だったなと、自宅のアパートの鍵を開けながら佐々木優介は考えていた。

それというのも昨日は朝から寝坊して2週間捨てられていない燃えるゴミをまた捨てることができなかったところから始まる。この生ゴミが少しずつ腐ってビニール袋の口を固く縛っているにも関わらず腐臭を放っているのだ。

本当は夜中のうちに出しておけばいいのだが、アパートの下にやたら神経質な住人がいるようで燃えるゴミを早くに出すとカラスが寄ってくるだのなんだのと管理会社にクレームを入れるせいで、燃えるゴミの日は早起きするしかないというのがここ半年のことである。

そんなこんなで、今日もまた捨てそびれたと思いながら急いで出かける支度をする。
最近お気に入りの青いシャツにこの前買ったチノパンを合わせる。「今日はスニーカーを履いてこう」そう独り言をつぶやき鞄と財布とスマホ、鍵を持って家を出る。

駅までは徒歩で20分。住宅街をまっすぐ歩くと、幼稚園があって、そこを右に曲がってしばらくすると大通りに出る。そこから左に曲がって大通りに沿ってまっすぐ歩くといつも寄るコンビニがある。

だけど、今日はいつも買ってる烏龍茶と梅おにぎりがない。タイミングが悪かったのか、それとも補充のトラックがまだ来てないのか今日に限ってどちらも売っていなかった。ルーティンが崩れる日というのはそれだけで嫌な予感がする。そして大体、そういう感覚は外れないのだ。

諦めて、緑茶と鮭おにぎりを買う。不服だが、何も食べないわけにはいかない。今日の仕事は大変そうなのだから。

コンビニを出ると信号があって斜め向かいに地下鉄の入り口がある。
そこを降りていくときにサラリーマンのおっさんにぶつかって睨まれた。眼鏡をかけた白髪混じりの中肉中背の男。どうせなら女子高生とぶつかるくらいがいいのになどと心の中で悪態をつく。

地下鉄に乗る。今日は平日だけど通勤ラッシュは過ぎているので、まばらである。
佐々木は鞄からイヤホンを取り出し、スマホで音楽を聴く。最近はシャッフルで適当に曲を流し聴く。急行で五駅。近くも遠くもない距離を移動して、仕事場の倉庫に行く。

鼻歌を歌いながら倉庫の管理室の鍵を開ける。中に入ると左側に旧型のテレビが一台、正面にはゲーミングデスクとゲーミングチェア、そしてデスクと壁にはモニターが10台ほど並んでいて窓のついた部屋の右側には小さな冷蔵庫がある。佐々木は画面を確認する。AからJまで振られたそれぞれのモニターにはいくつかに分かれた倉庫内のブースが映し出されている。
「1,2,3,………よし」
確認を終えると、朝ごはんの時間だ。先ほど買った鮭おにぎりを食べながら旧型のテレビのスイッチをつける。テレビからは昼のニュースが流れていて先日起きた誘拐事件の捜査の進捗をアナウンサーが伝えている。物騒な世の中だ。行方不明の人間も年々増えているらしい。どうしてこんなにも事件が多いのだろうか。善良な市民が安心できる社会を作ってほしいものだ。
そうこうするうちにおにぎり一個というのはすぐ食べ切れてしまうもので、佐々木は一口緑茶をゴクリと飲むと、それを冷蔵庫に入れ作業服に着替える。倉庫での作業は汚れることもしばしばあるため、汚れてもいいように長袖長ズボンの作業服と長靴、手袋、それからマスクをつけ倉庫に向かう。

各ブースにはそれぞれ商売道具があるのだが、毎日手入れをしなければいけないような繊細なものを取り扱っているので佐々木は長期で休むことはなく、長くても1日程度でそれ以外をほとんどこの倉庫で過ごしている。

最初のブースには小柄なナイフ。小さくとも切れ味が鋭いため、扱いには注意が必要だ。ここにこいつが来てから佐々木は何度かケガをする羽目になったので、最近は少量の液体に漬けることで本来の切れ味を鈍くさせている。商品といえど切れ味が良過ぎるのも困りものだ、と鞘から丁寧に取り出し手で今日の状態を確認していく。反抗的なまでにエッジの効いてた時と比べて随分と扱いやすくなったものだ。どこか不具合が出てないか丹念に調べていく。じっくりと時間をかけて。
佐々木は小さくとも鋭い武器が嫌いではなかったのでまだ手元に置いておきたくこいつの取引先には、もうしばらく後で交渉しようと思っている。
ナイフは少し使い物にならないくらいが一番使えるのだ。2時間ほど確認してナイフに浸す液を追加してブースを出た。

ナイフの確認が終わったら、隣のブースに移る予定だったがここは最後に回すことにした。ナイフの対面のブースに行くことにした。
ここには美しい柄の蛇がいる。部屋に入ってまずは餌を与える。蛇は美味しそうに食べている。こいつはとても狡猾でこのブースで飼われていながら、いつでも佐々木の首を狙っている。しかし、佐々木はそれすらも楽しいと感じており逆にその蛇を甚振ることに快楽を見出してもいた。長さが1.5m以上はあろうかというその大蛇は隙をみて佐々木に巻き付いて締めてくる。佐々木はそんな蛇の喉元に手をやりこちらが蛇に食べられる前に蛇が負けて気絶するのを待つ。蛇は苦しさからかさらに締め上げるもやがて少し痙攣したのち気絶した。佐々木は締められていた蛇の間から体を抜くと同時に蛇を起こす。気絶したまま放っておくと死ぬ可能性もあるからだ。何度か叩いて、意識が戻ってきたら部屋を出る。もう1時間半ほど経っていた。

蛇はとても元気がいいが、少しだけ商品としても曰く付きであり厄介なためまだ取引先への対応を決めかねている。早く渡してしまいたい気持ちもあるのだが、殺されるかもしれないというスリルは倉庫と家の往復で日々の多くを過ごしている佐々木にとってはちょっとした娯楽でもあった。

蛇と格闘して疲れたところで、蛇の右隣のブースへ行く。倉庫の角にあるこのブースはアイアン・メイデンがある。穏やかそうな外見とは裏腹に中には思いもやらないほどの数多の棘が存在している。その棘は管理するこちらのことなどお構いなしに鋭く、黒く光っている。万が一の事故が起きては危ないので決して扉が閉じないよう鎖で扉の上下が固定され常に開かれている。手入れをするのも一苦労だが、オイルを塗り丹念に磨き上げていく。上から下まで外も中も丁寧に手作業で行う。作業に熱が入って長時間に及ぶと佐々木も体勢を変えながら場所を変えて作業をしていくため時々アイアン・メイデンの扉が少しだけ動いてガチャンガチャンと鎖が鳴るのも佐々木はやりがいを感じて嫌いじゃない時間だ。そうして今日も、満足がいくまで外も中も磨いたところで今日は耐久テストのマシンをセットして次の日まで放置する。このアイアン・メイデンでは以前も耐久テストをしたのだが、少し棘が歪みはしたものの壊れなかったため、前回より長い時間で試してみることにしたのだ。
アイアン・メイデンの中でも耐久性の高いこいつは高く売れるだろう。どのくらいまで耐えられるのか、後数回はテストすることになるだろう。今日は楽しくなって3時間もこいつに時間をかけてしまった。

最後に後回しにしていたナイフの隣のブース、そのブースでは醜い豚を飼っていた。が、佐々木は醜い豚が嫌いであるが商品なので嫌々ながらも世話をしていた、しかしこいつはあまりにうるさいので取引先に生体で持っていく前に肉塊にしてしまった。だってあまりにも起きている間中、鳴き続けるものだから豚の代わりくらいいくらでもいる、そう思い処分したのだ。佐々木は醜い物が嫌いなので、倉庫にすらあまり置きたくはないのだがこの豚は使えそうだと持ってきたのだ。だが、想像よりも使えなさそうだということがわかり解体した。

佐々木は解体に関しては素人なので、餌に混ぜた睡眠薬で豚を眠らせ、その間にブースにビニールシートを隙間なく敷き壁にも貼り付け、そのあと魚を捌くときのように血抜きをしまず腹を割いて内臓を取り出して、それから部位ごとに切り分けていった。かなり大きい豚で普通の包丁で切れるのか佐々木には分からなかったので、楽に作業しようとチェーンソーでザクザクと切り分けていった。肉はスーパーで見慣れてるものとはいえ、自分で切り出して全部位が揃った状態で並んでいるのを見ると生きていた時はあんなにうるさかった豚も少しは美しく見えた気もして佐々木は不思議に思った。
しかし、肉は好きでも自分がブースで適当に屠殺したものを食べたいと思えるほど佐々木は衛生面を気にしない男ではなかったので、一部は切り分けて焼いて倉庫の生き物に餌として与え、一部は自宅で捨てるために持ち帰ったのだが、残った肉や内臓など大部分は倉庫に併設されている焼却炉であらかた燃やした。

ーーそれが2週間前。その解体の時に使ったビニールシートなどがまだブースに幾らか残っているので、意を決してこれから片付けるのだ。
部屋の中は腐った肉の匂いと血の鉄分の匂いがツンとしていて、マスクをしていても佐々木には不快なものだった。しかし、いつまでもこのブースをデッドスペースにしておくのも勿体無いので、佐々木は黙々と、時々臭いに顔を顰めながら片付けていく。ブースに残っていたものを全てゴミ袋にまとめて、最後にブースに消臭剤をいくつも置いて今日の作業は終わりにすることにした。なんだかんだで結構な時間がかかってしまった。

管理室に戻って帰るために私服に着替える。作業服は機能性重視で揃えているのだが、今日の作業であまりにも臭いが付いてしまって洗濯に持ち帰るにも電車に持っていくのは憚られる臭いだったので捨てることにした。今月は報酬が少なくて金がないのにあの豚のせいで最悪だ。などと考えながら着替える。

倉庫での作業は楽しいが腰に負担があるので、いつも帰る前にゲーミングチェアで少しだけ休む。テレビを付けると、今月頭に突如、行方不明になった政治家の捜索をお願いする特別番組が流れていた。あんなに一生懸命可愛い娘さんが喋ってるんだから、早く帰ったらいいのに。可哀想に。
まあ、もう生きてないけど。
テレビを消して、帰りの支度をする。
最後にモニターでブースの様子を見て、異常がないことが確認できたので管理室を出て鍵を閉めた。
来た道を戻るだけの帰り道。
地下鉄で急行に乗って五駅。今日は帰りもコンビニに寄る、この時間には晩ごはんの時間帯であらかた弁当やおにぎりが無くなっているのだが、梅おにぎり、それと烏龍茶も補充されていたので買った。
疲れで今日はかなり眠い。家に着いたら早く寝たい、そう思いながら少し足取り重く帰っていく。

丑三つ時、まだ外は暗く街灯がぽつりぽつりと付いているだけで人の気配がない住宅街を歩いてしばらく、昨日は散々な日だったなと、自宅のアパートの鍵を開けながら佐々木優介は考えていた。

それというのも昨日は朝から寝坊して2週間捨てられていない燃えるゴミをまた捨てることができなかったところから始まる。この中に捨てた生ゴミが少しずつ腐ってビニール袋の口を固く縛っているにも関わらず腐臭を放っているのだ。

"ピンポーン"


チャイムが鳴る。ああ、来たんだねやっと。
ようやくやってきたんだ、こんな最悪の日に。
「遅かったじゃないか」
佐々木はドアを開ける。

"ガチャ"

夜明けの光が目に飛び込んできた。



終わり



※作品に登場するすべてはフィクションであり、実在のものと関係ありません。

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