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Finding Paradiseから考えるイマジナリーフレンドと自分の関係性

はい。こんにちは。ちゃんこです。
ゲーム実況チャンネル、ゲーミングちゃんこにて実況しました「Finding Paradise」というゲームに関しての感想をつらつらかいていきます。
まず、「Finding Paradise」というゲームは

『To the Moon』の続作
思い残すことなく死を迎えられるよう,依頼者の願いを叶える
Dr.エヴァ・ロザリーンとDr.ニール・ワッツは奇妙な仕事をしている。それは、人々に人生をやり直すチャンスを与えることだ。しかし、それは頭の中だけである。
人生の最後、思い残すことがあるなら、彼らに依頼して、記憶を書き換えてもらうことができる。あくまで記憶の書き換えなので,依頼者の実際の人生には何も変わらない。だが,依頼者は「自分は,この人生でやりたかったことを成し遂げた」という充足感を持ったまま,この世を去ることができる。
『Finding Paradise』は一人の孤独者が過去の自分を再発見する物語。プロデューサーKAN GAO氏は、孤独な子供時代に対する顧みと偲びを本作に書き込み、同じような経験を共感する人々に、前に進む力を与えてくれるのだろう。
本作は『To the Moon』と同様、シリーズの過去作をプレイしていなくても楽しめます。

My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)より引用(  )

この作品の大きなテーマは「子供時代にいた想像の友達との関係」だと私は考えます。
想像の友達、それはイマジナリーフレンドのことを指します。
私にとってイマジナリーフレンドというのはものすごく身近な話題であり、以前実況し、noteで綴ったMilk inside~シリーズでも取り上げました。

こちらの記事では私にとってのイマジナリーフレンドという観点から、実体験を踏まえてお話をしましたが、今回は「イマジナリーフレンドに対する文化と関係性の違い」という観点からお話しようかと思います。
また、私が調べたことの他に、頂いた感想を元にお話をします。

イマジナリーフレンドというのは日本よりも海外の方がよりメジャーであり、カートゥーンや映画ではよくテーマにされています。
ただ、この作品でもそうでしたが「イマジナリーフレンドは大人になると存在が無くなるもの」として捉えられています。
ただ、大人になってもイマジナリーフレンドと同居している人もいて、そういった方は「Tulpamancer」と呼ばれる存在だそうです。
ただ、何故日本においてそのような研究や知見が浸透していないか、それは恐らく日本人特有の「集団主義の強さ」というのがあるからなのでは無いかと思います。自分にしか感じていない存在、そういうものとおしゃべりをしていると「おかしな子」という扱いになってしまうから、と考えています。
そういう文化があり、また発達障害ほど日常生活に支障をきたすものではないので、日本ではあまり浸透しなかったのかもしれません。
だからこそ私はイマジナリーフレンドというものについての知見が、自分の物差しでしか測れないのかもしれませんね。
これを機に海外の文献を読めるようになりたいですが、何かいい翻訳があれば良いですね……勉強不足なのが悔しいです。

この文化の違いがあったからこそ、後半のコリンとフェイのやり取りの中で
「まだその歳になっても私と話をするつもり?みんなに笑われるよ?」
というのがあったのは、イマジナリーフレンドの文化の中に「子供のもの」という認識があったからなんですね。
このセリフを聞いた時私にもイマジナリーフレンドがいたから
「イマジナリーフレンドに年齢は関係ないんだよ!なんで別れる必要があるの?」
と言いました。
ただ、それはそういった認識や文化の違いが原因で、2人の決断に疑問を持ってしまったんだな、と思います。
それでも私は大人でもイマジナリーフレンドがいるということに違和感を感じません。
心の拠り所に現実も想像も関係ないはずです。
その人が大事な人だと思うのであれば、その人と仲良くして欲しいし、ずっと相棒であって欲しいです。
ただ、頂いた感想の中でこういうのがありました。

イマジナリーフレンドというのは必ずしも年齢によって消えるものではなく、人間関係のように役割や相性、仲の良さ等…様々な一人の人間としての関係性の違いによって変わってくるものだと思います。

この感想にはハッとさせられました。
今の私とイマジナリーフレンドたちとの関係性はいわゆる「ちゃんこプロダクション」という会社を経営する関係性です。
今に至るまで変わりない関係性が保たれてるのはこのおかげでもあるからなのかな、と思います。
だから、私のようにイマジナリーフレンドと関係性を築けてる人も中にはいるんですよね。
そういう風にしている人の多くはインターネットで何らかの創作活動をしているのだと思いますが、コリンとフェイも生まれる時代が違えば外に飛び出して何らかの活動をすることが出来たのではないかと思います。
そう考えると余計に寂しくなりますが、彼らが下した決断に何も文句は言えません。
なぜならコリンとフェイも沢山話し合ってお別れすることにしたのだから。

このように文化や、考え方の違いによりイマジナリーフレンドとの関係は変わってくるもので、そこには年齢は関係ないのかもしれない、と私は考えます。
すごく解釈が難しくて正解がない世界観ですが、だからこそたくさんの解釈があると思います。
色んな解釈に触れてイマジナリーフレンドということについての理解を深めようと思いました。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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是非遊びに来てください!

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