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10年遅かった話

突然だが俺はゲーミングキャット。
1680万の光でノベルスキーを照らすゲーミングキャットだ。
ノベルスキーというのはミスキー内にある拡散性SNSの総称の1つ。
そこでうだうだ文字を書いている、というよりは絵を描いているキャットなのだが。
今回何となく吐き出す口がないなと思って「note」に登録した。
適当に話す。

口上さておき。

キャットは今年、運命的な出会いをしたした曲がある。
今もなお活動をしている音楽グループだ。詳細は伏せる。
親友が突然「これ好きだから聞いてほしい」とライブの映像を見せてくれたのだが、これが珍しくキャットにカッチリはまってしまった。
もうそれは音が「カチリ」とまでいかず「ズギャアアンバアァアン」という衝撃と共に心臓にダイレクトアタックをしてきたレベルだった。
その曲をライブで流す経緯があったのは1月1日の地震があったからだ。
テーマ性も相まってその曲はある種の「願い」が込められた曲だった。
その為に作った曲でもないし、数年前の地震に合わせて作った曲でもないことは今のうちに言っておく。
本質的、言葉とテーマの本質的に鮮やかで荒々しい。
言葉を作るなら「荒れやか」だ。
耳触りのいいその音楽に耳を傾け、流れる言葉に胸を掴まれる。
突如キャットはGoogleで歌詞を検索した。
歌詞を見て、私はハッとした。
これが、キャットの求めていた「世界観」なのだと。

1つ言うと、キャットはとあるジャンルで死ぬほどこだわりがあるタイプだ。
親友からは「こだわりあり過ぎて同テーマ作品の愚痴1時間聞かされる」と言われたくらいには謎のこだわりがある。
キャットは史実と遺された資料でそれを確立しているのだが、それが曖昧な作品が多くてキャットは自分の世界観を維持しながら同テーマを見るのがかなりきつかった。

そんな中、キャットの心に刺さった「同テーマの曲」である。
解釈が一致し、言葉の1つ1つ、音の1つ1つに血潮が湧きたつような、動かずには居られないような。
聴き終わった後に思ったことは「出会えてよかった」ということだ。
この曲を知らずに死ぬのか、キャット。
親友は単に「自分の好きな曲」を渡しただけなのに、それだけでかなり、いやものすごく気に入ってくれたことを大層喜んでくれた。
当然だ、自分の好きを受け入れてもらえたという事だ。

問題は、その曲が10年前に作られたということだ。

ライブで流した、とはいっても作曲者兼歌手の人はこの界隈を離れていた。
彼の作った曲は今でも我々が聞くことができる、それは許可されているらしい。
しかし、彼の作ったこの世界観の楽曲は聞くことが出来ない。
キャットはかなり悲しんだ。だからこそ、この曲を大事にしていこうと思った。
当然だが、レーベルなどはなく同人…?で出しているようなCDなので、現状ほとんどが廃版。フリマアプリでも1万円が前後だった。

話が45度くらい傾くのだが、キャットはこのCDをどうにかして手に入れようとしている。
それは親友にプレゼントする為だ。
幸運なことに親友とは6月前後に会う予定をしている。
遠方のため1年に会える回数はかなり低いのだが、昨今のSNS、通話アプリなどで距離が毎回近くほぼ毎日会話をしているので寂しさはない。
この興奮を伝えてくれた感謝にCDのプレゼントを企んでいる。

あと10年前に知っていたら。と思うと悔やんでも悔やみきれないが、これはまあ、仕方の無い事だ。

皆さんにもあるだろう、10年前に流行ったジャンルをまた手に取って再熱するという事が。
あの時手放したグッズや買えなかったグッズ、今はないその作品の色々を手に取りたいと強く思う。
あれとほぼ同様だ。
キャットとしては、10年前ジャンルをほりほりすると綺麗に音ゲーとかが掘り返されるのである。
意外と最新ジャンルもいいが、過去ジャンルもいいという結論に至ることは多い。
キャットの親友はゲゲゲの謎を「2年後、誰もい無くなった時に墓荒らしするのが楽しみ」と言っている。
墓荒らしすんな馬鹿たれ。

と、いうお話だったとさ。


最後にノベルスキーの紹介を。
ノベルスキーは小説好きに特化した拡散型SNSだ。
ベースはミスキー。
身内ネタが多少あれど、みんな優しくて面白い人たちでいっぱいなので是非遊びに来てほしい。

キャットもココに居るので、もしも見つけたら声をかけてくれ。
それでは、さよなら~

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