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今日までついてきた嘘を勝手に告白/過去とさよなら

いきなり妙なタイトルのNoteですが、妙なこと書こうと思っています。そしてこれから書くことは、完全自己満足のために書きます。自分の中でのケジメです。伝わりやすさも何も考えずに、殴り書きなので誤字脱字あるかもしれないので、あったらこっそり教えて下さい。

生まれてから、これまでつき続けた嘘

前置きが長くなります。

これまで、嘘を突き通したことありませんか?例えば。。。

・実は、Aくんのことは大嫌いだけど、言わない
・浮気をしたことあるけど、これは墓場まで持っていこう
・実は犯罪を犯したことある
・自分のせいで、友達が死んでしまった

なんでもいいですが、こんな経験です。適当に想像したのでわかりませんがないですか、こんな嘘。

僕もこんな嘘をついてきたんです。あとで詳細書きます。

「嘘」と「自分」と「もうひとりの自分」

そんな嘘を付き続けることで、築き上げるともうひとりの自分が出てくるんです。まるで自分が多重人格になったような感覚、あるいはパラレルワールドを生きてる感覚。

小さいときから嘘を隠し続けることで、自分を傷つけてきました。そして自分への傷をつけると同時に思春期には、多くの友人へ迷惑をかけてきました。

自分の中に、嘘を抱え込む生活は自分で意識し始めたのは小学生のときからでした。自分の境遇を包み隠さず、なんの罪意識もなく話すことで自分がいじめられ、そしてそれを守ってくれるはずの大人からもそのいじめを無視されました。そのいじめをきっかけに嘘をつくことになったんです。

嘘を付き続けた理由

隠してきたのにはたくさんの理由があって、そしてその理由たちを言語化するのが難しかった。

これまでも言語化しようと何度も何度も試みて、文書にしてみたり、人に話してみたり試してみたけど、なかなか本当の意味で理解してくれる人はいなかった。中には、「告白」してそれを理由に関係がフェードアウトした友だちもいました。多くの人にとって混じり合わない世界線のことなので、理解できないのは、今となっては、容易に理解できるし、そもそも完璧な理解を他人に求めることが間違っていると気づいた。

実際に、これから書くことでも、うまくアウトプットはできないと思うし100%伝わらないでしょう。だからこそ、自己満足で書くし、聞きたい人がいれば話そうかなって思います。

そして、心優しい僕の友人の皆さんの中でも、更にここまで読んでくれた人へは、『こんな世界もあるんだ』と参考にしてくれたらとても嬉しいです。

ぶっちゃけ(僕の場合は)そんなにハードな体験ではなく、他のもっと大変な中で育ってきた人がたくさんいることも知ってます。なので、知ってもらう以外の何も望みません。こんな人もいるんだってくらいで認識してもらえるだけでも僕のような人は救われると思います。

これまで親友と呼べるような友だちやつながりが深い方々になればなるほど、伝えたくなかったことを、伝えれることをとても怖くもあり、嬉しくも思います。

※これから書くことは、あまり事情を知らない人向けに書いており、必ずしも正式名称で記載されていなかったり、ニュアンスが異なってる場合があります。
※関係者の方で、ご意見がある方は直接ダイレクトメッセージにてお問い合わせください。
※あくまで僕個人の主観です。

僕は統一教会の2世として産まれました


僕は新興宗教と呼ばれる【(旧)統一教会(現:世界平和統一家庭連合)】の二世として生まれました。
※統一教会は旧名ですが、ややこしいので、統一教会で呼び名統一します。

僕と同世代の人はあまり知らないと思いますが、昔は大きな勢力(今もそこそこある)を持ってて自民党とも結びつきが強かったキリスト教系の宗教団体です。
二世というのは、私の両親が統一教会の信者になりその子どもとして産まれたということです。
実はこの新興宗教の二世は、世の中に多く存在します。同じにするなと怒られるかもしれませんが
・エホバの証人
・幸福の科学
・顕正会
・創価学会
・立正佼成会
・霊友会
などの宗教二世の方も類似の課題を持っていることがあるようです。SNSで"宗教二世"とかで検索してみると多くの方が出てきます。

僕は、この”二世である”ということを隠し続けるために、たくさん、たくさん嘘をつくことになりました。

宗教2世の悩みとは

同じ宗教同士、もしくは同じように親からの影響で半強制的に宗教を信仰することになった人の苦悩は、宗教の性質上(宗教の話って政治とかと同じで話しづらいし)理解してくれる人が少なく、相談しづらく、自分で抱え込む人が多いことがわかりました。
僕が知ってる顕在化してる悩みだと、
・親と絶縁
・反動でグレる
・貧困化
・1親等以外の親族とのトラブル
・周囲からのいじめ、迫害
・不登校や社会不適合
・自傷行為、自殺
・精神障害
などが挙げられます。(何個か僕の環境にも一致してます。。)

でも宗教って人の悩みを解決し、拠り所になり、身近におこる理解を超える何かを説明してくれて幸せになるものだったりもするわけです。現に道徳や自己啓発本などで教えられるようなことを多く学んでいるんです。各宗教の教典から。
だから宗教二世は、すごく純粋で良い子が多いのが特徴です。小さいときから、自分のプライベートの時間を”道徳の塾”に行っていると考えるとスッキリ来るのではないでしょうか。

だからこそ、世の中とのギャップで潰れる人が多いです。統一教会が描く理想的な社会と、統一教会内の現状と、世の中の現状はそれぞれあまりにも解離が大きく、様々なレイヤーで受け入れられない精神的苦痛となって、宗教2世に悪影響を与えていると思います。

統一教会の性質と影響

また、統一教会は、当時新聞、週刊誌、テレビなどで強く叩かれていたので、僕より年上の世代の方はよくご存知ではないでしょうか。
高い壺を売ったり、占い名目で近づいて布教したり、知らない人と結婚のマッチングを行うことなどで有名で、これまで正義感の強かった青年などが、急にそんなことをし始めるので、統一教会は”洗脳(マインド・コントロール)”が有名です。まさに私の両親世代は、世間からの風当たりも相当辛かった世代です。

僕も少なからず、その影響をたくさん受けて育ちました。
小さいときから毎週日曜日は教会にいき礼拝を受けてました。
教会の行事で学校を休むこともありました。
部活の大事な大会よりも、教会を優先しなければならないこともありました。

そこで教えてもらうことは、基本的には聖書の内容を統一教会独自の解釈を経て産まれた『統一原理』を教えてもらったり、教祖の文さんのみ言葉(有難いお言葉や、神様の子や、歴史解釈、そして現代社会で起きてることの教会的解釈など)を聞いたりしました。
そこでの教えを徹底的に叩き込まれてた僕は、一般家庭の人との大きな文化の差を感じることになります。

教会の教えとは、純粋な子どもの頃の僕にとってかなり耳障りの良いものでした。

・人のために生きなさい。
・課題に対して主体性もちなさい。
・全人類が大きな家族になり、幸せになる世の中を作りましょう
・国境、宗教、思想すべてを超えて世界を一つにしましょう


現に他にも自己啓発本などに記載されてるようなこともたくさん学びます。
宗教なので、道徳的な教えは非常に多く世の中に即してるものも本当に多いです。よく自己啓発本にかいてあるようなことは一通り小さいときから学んでいたことは、少なからず僕の財産として今も残っています。
そして、その財産には感謝してることもあり、今となっても被害者意識などの負の感情よりも、統一教会を通しての成長や出会いに感謝のほうが大きいときもあるのは事実として触れておきます。
ただ一方で、世の中一般の人との乖離や制約も多くありました。

・教会の人は基本どの家族も貧乏
・本当の親は、肉親ではなく教祖夫妻と神様(唯一神)
・私は罪がない(原罪がない)神の子だと教えられる
・異性と同じ部屋にいてはいけない、仲良くなってはいけない
・飲酒、喫煙の禁止
・日曜は基本教会へ行かなければならない
・お年玉などの一部も献金(統一教会へ捧げる)


などが挙げられます。小さいときからこのような制約の中で、多感な時期である思春期を過ごしました。

僕個人への負の影響

長々と書いてきたように、様々な制約などの影響もあり、僕は小学生頃から3つの顔を使い分けるようになりました。
それは、①本当に自分の頭の中で話す自分(人格っていうのかな)と②家庭の中(教会教義に従った)の自分と③学校や社会に適応するための自分です。
少なからずこの使い分けで自分自身へのマイナスの影響があったように思っています(詳細についてはここでは割愛します。)

僕個人へのプラスの影響

長々と書いてきましたが、僕が変わったきっかけがありました。それは、中学に入ったときの卓球部のコーチの存在でした。
そのコーチは、初めて家族以外の人に深く何かを教えてもらった人であり、僕の命の恩人といっても過言ではない方です。
その方は、自分の息子と一緒にボランティアで僕たち中学生に卓球を教えてくれました。ほぼ毎日僕ら中学生を卓球の指導してくれた上に、テスト期間には勉強も見てくれたり、成績を報告したり、第2の父親のような存在でした。
夏休みには、卓球部なのに10キロ走らされたり、何故か午前中は筋トレだけという日々もありましたが、卓球部で強くなったおかげで、転校や高校進学、大学でもたくさん大事な仲間ができました。
そのコーチは、宗教という檻の外から手を差し伸べてくれた唯一の大人でした。感謝しか無いです。

僕は「不条理な家庭環境や、理不尽な環境においても、子供へ手を差し伸べることができる大人になりたい」と、高校生の途中から先生を目指しました。結局免許だけとって先生にはなりませんでしたが、いつか絶対に自分の経験を次の世代へ還元することはやっていきます。

極端な環境に育ったおかげで、自分と向かい合う時間がたくさん取れたこと、貴重な出会いができたこと、いろんな世界をみることができたことは本当にいい体験をさせてもらったと思っています。

まとめ

宗教二世であることを、隠し続けてきて苦しかったときもあったけど、なんとなく公開して楽になりましたw
あと、書いてみて振り返ることができる今のタイミングって色んな意味でもうすでに終わった段階なんだなぁって実感します。

僕は、本当に恵まれています。これまで出会った人が素晴らしい方ばかりで、今は本当に楽しく過ごしたり、挑戦したりさせてもらってます。

まだ今も苦しんでる人や、話しづらい境遇の方などがいたら力になりたいとおもってるし、そのために今はめちゃくちゃ頑張ろうと思ってます。

仕事前後の電車で追記に追記を重ね、そして納得いかずに消したりしてたので、意味不明な文書もあると思います。
書きたいこと伝えたいことはもっとありますが、いつかちゃんと伝えるべき人に伝えたいと思います。

長い文章読んでいただきありがとうございました!



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