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「京大への羨望」の一考察

日本の出生数が落ちつき、受験戦争がだいぶ沈静化した今もなお、「京大」はなぜ特別な大学として君臨しているのか。この記事に関して異論反論オブジェクション等あれば、コメント欄にて歓迎いたします。

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はじめに

僕は東京の西の方のとある大学に通う大学3年生。個人的な思考トレンドとして最近「京大への憧れ」というのがあらわれてきた。

実はこの感情、大学1年の入学時から夏頃までにも同じく存在していたもので、大学生活を送るなかでいったん忘れ去られていたものの、厄介なことに最近復活してきた形になる。
さまざまなイベントが重なり、今の大学での潜在的な満足度が低下していることの証左のかもしれないが、それはさておき、自分がなぜ京大への憧れを捨てきれないのか、京大のなにに憧れるのかをここで列挙してみようと思う。

ちなみに現役当時は京大を目指すなんて思考は掛け値なしで一切なかった。その理由はざっとこんな感じ。

  • 暑いのが嫌で、東京以北の大学を志望していた。国立後期は北大に志願していた(結局受けなかったが)。

  • 西日本への「なんとなく」の忌避感。当時は謎の関西アンチ的価値観があった(我が家のルーツは西日本なのに)

  • 京大に「凡人のクセに無理して変人ぶってるイタい集団」という偏見があった。高校生当時は今よりもハイレベル(?)な逆張りをしていたので、その偏見はなおさら強かったんだと思う。

…今思うとどれも一笑に付されるべきものなのだが、当時はこれでも真面目に考えていたということで、その時の価値観を大切にしたいところではある。

続いて、京大のなにに魅力を感じるかを考えてみよう。

①箱庭感

河原町。京大からチャリで15分くらい

これよこれ。なによりこれである。

京都盆地内で生活が完結するあの感じ。いかんせんサイズがコンパクトゆえ、その気になりゃ河原町にも祇園にも嵐山にも自転車で行けるあの万能感。
盆地内が「生活圏内」、大阪や大津が「他所の場所」として明確に区別されており、京都に住む人々は無意識的に盆地への帰属意識を高めていく(?)。京都の公共交通網が壊滅的に不便なのもそれに一役買っている気がする。
さらに周縁の山には文化財がゴロゴロあるので、気が向いたら自転車を漕いでそれらにアクセスすることもできる。僕も全休日にフラっと自転車漕いで龍安寺に枯山水でも見にいって心を落ち着けたい!!!!

ついでに言うと、基本的に盆地内はどこも発展していて商業施設や飲食店が多いうえ、地名が「〇条」「〇〇通」(=四条烏丸、東山三条など)の条坊制を軸にしているので、街の連続性を感じられるのも大きいと思う。鴨川がそれらに果たす役割も大きい。

いっぽうで東京ではそうはいかない。
たとえば吉祥寺に飲みに行こうとなっても基本的には中央線に乗らなければいけないように、中距離間の移動に自転車の出る幕がない。
街と街の間についても、畑や住宅地ばかりで連続性もクソもない。

東京でいうところの「周縁の山」には奥多摩が該当すると思われるが、クルマで何十分もかけないとアクセスできない。東京版鴨川である(?)多摩川も基本的には行かないし(というか気軽に行ける距離じゃない)。全ては関東平野が広すぎるのが悪い。

…そう思うと別に同志社でも立命館でもいいじゃんとなってくるのだが、それはそうである。あーあ、願書出しておけばよかったかもなあ。ちなウチの婆ちゃんは広島生まれの同志社出身。羨ましい!!!!!

②充実した学生向けサービス

ハイライト食堂

先述したように、京都には京大のみならず同志社大、立命館大、京都府立大など、大学が多数立地し、大学生が市人口のおよそ10%を占める、まさに「学生の街」である。
それもあって、必然的に学生向けサービスが多い気がする。「ハイライト食堂」やいわゆる「出町の王将」もそうだろう。

ちなみに僕の大学で安く食べられるのは松屋、やよい軒、インドカレー屋とかだろうか。まあ街がそもそもオシャレで学生向けという感じじゃないからなあ。これでも十分充実してるのかもだが。(居酒屋はバリヤスサカバ)

③独特の文化、学生数の多さ

熊野寮にて

これも大きい。

タテカンや折田先生像、時計台占拠など、褒められるかは別として間違いなく「京大特有」のものだろう。それらは主に学生自治寮である「熊野寮」に住む学生たちが企てていると聞く。

僕の小学校時代の友人に熊野寮の寮生がいて、以前寮内を見学させてもらったことがある。寮の様子は想像の通りとして、友人が京大のことを「当局」と呼んでいるのが印象的だった。当時の僕は「反抗期の中学生みたいでみたいでイタいなぁ」とか思っていたが、今思うとそれもそれで学生時代の思い出として十分昇華できるレベルのものなのだろう。
そもそも京大生は頭がいいので、自分がイタいことぐらい承知の上でやってそうな感もあるしね。

少なくとも「変装をした学生が「わーいわーいたのしいな吉田寮祭 吉田寮祭」と言いながら講義中の教室を練り歩く動画」「家宅捜索する機動隊と衝突する動画」なんかはなかなか他の大学じゃ生まれない気がする。

他に挙げるとすれば、学生数の多さと、それから生まれる多様性も魅力の一つだろう。京大には「駅寝サークル」や「キャップ投げサークル」など、個性豊かなサークルが存在するが、これは学生数の多い総合大学でないとなかなか成立しない気がする、、、(ぼくの大学でもその気になれば作れるだろうが。それを作れないあたりが凡人の限界といったところか)

学生自体の面白さというより、大学の規模感や長い時間で蓄積された文化が京大を面白い(と他所からは見える)大学たらしめているのだと考えた。


結論こんな感じかな。最近知ったYouTuber「いだちゃんねる」の影響も大きいと思う。
何はともあれ、過去の自分を将来振り返ったときに、あの時の悩みが実に些細だったと笑い飛ばせるくらいには今の大学での生活を充実させていきたいなと思う所存である。

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