教員養成課程の大学生が系統看護学講座を読んでみた話。~看護学概論編〜その4

さて、今回も『系統看護学講座 看護学概論』を読んだ感想を述べていこうと思います。

これは『系統看護学講座 専門分野Ⅰ 基礎看護学[1] 看護学概論』を読んで書いたものなので、実際に本を読みながら「この人はここでこう思ったんだな」って読むのが一番楽しめると思います。多分。

一応リンク張っておきます。

1.ヴァージニア・ヘンダーソン

ヘンダーソンはナイチンゲールに比べるとやや知名度が下がるような気もしますが、看護の世界ではかなり有名な人っぽいです。
さて、このヘンダーソンさんの主張を外野の素人が大雑把ににまとめると以下の3つになりました。
1.基本的ニードの充足
2.個別性の重視
3.潜在的ニードの把握
まず順番に見ていきましょう。

1.1.基本的ニードの充足

まず一つ目が看護を必要とする人の基本的ニード、つまり欲求を充足することが基本的看護であるという主張ですね。
さらに述べられているものとして基本的ニードには「常在条件」と「病理的状態」の2種類があるということですが、ここは個人的には「病理条件」みたいにネーミングを統一して欲しかったなと思っています。

看護が満たすべき基本的ニードはどうやら14の要素で構成されているようです。多くね?
14の中には正常な呼吸の欲求のような基礎的すぎるようなものから、好奇心の充足のようなQOLにかかわるようなものもあってマズローの分類だと次元が違いそうなものが一緒くたに混ざっているように見えますね。
とはいえこれが作られたのがマズローの欲求段階と同じくらいの時期らしいので仕方ないということにしておきます。

さて、完全に個人的な趣味としてこれをわかりにくくしてみましょう。当然専門的な話ではなく個人の妄想です。
ここからおふざけが続くので数式が嫌いな人は1.2.個別性の重視まで飛ばしちゃって大丈夫です。

基本的ニードをベクトルとして$${\vec{b}}$$で表すこととします。
ちなみに$${b}$$はbasic needの頭文字からとってます。
そしてさらに基本的ニードの構成要素である14の要素の欲求についてそれぞれに対応する大きさ1のベクトルを$${\vec{e}_n (1 \leqq n \leqq 14)}$$で表します。
すると基本的ニード$${\vec{b}}$$は基本的ニードの構成要素に係数をかけたものの和で表すことができると考えられるため、
$${\vec{b}=\displaystyle\sum_{i=1} ^{14} a_i \vec{e}_i (a_n \in \R )}$$
と表すことができます。少し優しくするためにシグマを分解すると、
$${\vec{b}=a_1 \vec{e}_1 +a_2 \vec{e}_2 + \cdots +a_{14} \vec{e}_{14}}$$
という風になります。つまり基本的ニードを構成要素の強さを足し合わせたものに表現してみたという感じです。
ここから考えられることとして、観察すべきことはそれぞれの$${a_n}$$であり、その大きさを求めることで基本的ニードを把握することができるということです。

しかし実際の基本的ニードと現実は違うわけでそれぞれを$${\vec{b}_{理想}}$$と$${\vec{b}_{現実}}$$と表すと、この2つには差があるわけです。従って看護師が充足すべき基本的ニード$${\vec{n}}$$は
$${\vec{n}=\vec{b}_{理想} -\vec{b}_{現実}}$$
で表すことができます。

もっとも、$${a_n}$$を定量化できなければ意味がないただの机上の空論ではありますが。
さらに言えばこの$${a_n}$$は時間や環境によって変化するため、変数を含む関数であるとも言えます。こうなると統合的に判断することはかなり難しいため、やはり観察習慣が大事であるということはここでも言えそうですね。

こんな滅茶苦茶なこと言ってると在野の人間に怒られそうな気もしますが、私は衒学趣味理系バカなので許してください。

1.2.個別性の重視

2つ目の主張が個別性を重視する、つまり患者それぞれにはアイデンティティがあるため、患者それぞれに合わせたケア計画をする必要があるということです。
まあ、つまり患者がみんな同じ基本的ニードを持ち合わせているわけじゃないからケアは個別的に行おうねという主張ですね。
これはまあごもっともな主張なので特に加えることもないでしょう。
ケアに銀の弾丸はないってことですね。

1.3.潜在的なニードの把握

さて、3つ目の主張が潜在的なニードを拾うことが重要であるという内容です。
これに関しては私自身の要約なので、実際このことをヘンダーソンがなんと表現しているかというと「皮膚の内側に入り込む」なんですよね。

なんというか医療現場の人間だからか表現の癖がすごいなこれ。

とはいえこれも言っていることに関してはかなり妥当だと思っています。
看護のみならず教師であれば児童・生徒、営業であれば顧客の潜在的なニーズを把握するということはより良い仕事のためにも重要な働きかけであると言えます。

特に人間は目に見える変化ばかりに目が行きがちであり本質を見落としてしまうことが多々ある生き物なのでこの点においては皆が意識しておくといいかもしれませんね。
とはいえ多くの人間はヒューリスティックスを用いてしまい、同じ状況に陥った自分の皮膚の内側を想像して相手の皮膚の内側に入り込んだつもりになってしまうのでしょうけど。
「他人の皮膚の内側と思い込んでいるそこは、おそらく自分の皮膚の内側であろう。」って書くと名言っぽいですよね。使いどころが全くないけど。

この話を書いているとフォードの「顧客は自身の欲するものがわからない」という話を思い出しますが、有名な話過ぎて引用するまでもないと思うのでここでは割愛します。気になる知らない人は調べてください。

2.ドロセア=E=オレム

ヘンダーソンの次にはアーネスティン=ウィーデンバックについての記述がありますがここはそんなに内容が多くないので割愛します。

ナイチンゲールとヘンダーソンの部分は看護哲学の理論家としての記述でしたが、以下からは概念モデルについての理論家としての記述になっていきます。

オレムはセルフケアという観点から看護を説明しようとしました。
ここでいうセルフケアとは「日常生活を維持したり、成長したりするのに必要な毎日のケア」みたいな感じでしょうか。なんせ外野の人間なのでこういうことに対して細かい部分を落としてしまっているのではないかとで怖いです。
さて、人間は生活を送るためにケアを行い続けていますが、疾病を患ったりした際にそれらのケアを自身で行うことが困難になったり、必要なセルフケアが多くなってしまいオーバーフローしてしまうことがあります。このオーバーフローしてしまった不均衡な状態に対して必要な看護を実施していくというのが大まかなオレムの考え方になります。

そして、この不均衡状態に対してどの程度援助を行うかという観点で「看護システム」を決定するとしました。つまり全面的に援助が必要であればほぼすべてのケア方策を行う「全代償的システム」を用いるし、部分的でよければ「一部代償的システム」を、患者のセルフケア能力を促進するのであれば「支持・教育システム」を用いるということですね。

これに関しては誰かの援助を行う職業であれば必須の考え方なような気がしますね。あまりにも過干渉をしてしまい相手を自主性の必要のない環境に長時間さらしてしまうと当然よりエネルギーを消費しない状態で安定してしまうのは自然の摂理でしょうし。
この話をたとえば教師に適用しようとするのであれば、全く何もわかっていない児童・生徒に対しては手取り足取り教えますし、部分的にわかっていない場合には一部援助を、問題を解く力を育てたければ支持的な関わりをすればよいという風になりますね。
すでに教育学でもこういった考えはありそうなのではありますけどまだまだ教育学も学んでいる途中の初学者なためこれに当たる話は探してみる必要がありそうです。

この話から学べる一般的な話は育児や学校などの教育においても、相手の必要とする以上のものを与え続けるのではなく、相手の自主性を支えるような干渉が重要であるということですね。

3.余談

こんな看護学のかの字もないような表面の内容だけを切り取って一般化しようとしていると本当に在野の人に怒られそうだとは思いますが、如何せんそれを訂正してくれるような人もいないので暴走は加速していくばかりとなっています。とはいえやっぱり当たり前のことについて気づかされることが多いためこれからもふざけつつ書き続けていこうと思います。

今回の記事ではKaTeXを用いた数式を使ってみました。大学の授業でLaTeXを使ったことはあるのですがやはり慣れないと難しいですね。これからも数式おふざけはやっていきたいと思っているので徐々に慣れていきたいと思っています。

次はシスター=カリスタ=ロイの話からになると思います。これから期末のテストやレポートが増えるためいつになるかはわかりませんがなるべく早く投稿したいですね…

こんな調子でこれからも書いていくので面白いなと思っていただいた方は、これからも読んで頂けると幸いです。ありがとうございました。

4.参考文献

茂野香おる.系統看護学講座 専門分野Ⅰ 基礎看護学[1] 看護学概論.第17版,医学書院,2019,384p,


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